安西水丸さんがなくなる。
『週刊朝日』に「1回だけの『村上朝日堂』復活!」がのり、
村上さんのほかにも14人の方が追悼の記事やコメントをよせている。
村上春樹さんの本でしか わたしは水丸さんの絵をしらなかったけど、
ほかにもすぐれた仕事をたくさんされてこられたのだ。
また、そのひとがらについても魅力をかたるひとがおおい。
安西水丸さんのしたわれかたをみると、
まるで吉行淳之介さんのような存在だったという印象をうける。
粋で、やぼなことがきらいで、つまりかっこいい。
小説をかくということは、いかに生きてきたか、ということなのだ、と
いうようなことを村上春樹さんがかいていた。
たとえば、ご飯をどういうふうにたべ、
どんなおしゃべりをしてきたか、の
すべての蓄積が作品にはあらわれる。
安西水丸さんは、きっといろんなことが
なにをしても かっこよかったひとなのだろう。
その粋な生き方が、おおくのひとに愛される。
台所でゴソゴソとゆうべののこりものをあたため、
小皿にとりわけもしないでたべているようでは
水丸さんの絵は生まれない。
コメントでは、イラストのかきかたについて
「一気に描く。一枚しか描かない」
という水丸さんのことばが紹介されている。
村上さんの本をみていると、水丸さんは
ずいぶんやわらかそうなひとにおもうけど、
「一気に描く。一枚しか描かない」は、
やぼな人間にはいえないひとことだ。
わたしにとっての村上春樹さんは、
安西水丸さんがかくところの村上さんだ。
「村上朝日堂」にのる水丸さんの絵をみて、
村上さんへの敷居がひくくなったひとはおおいのではないか。
村上さん、ときにはハルキさんと気やすくよばせてもらえるのも、
かなりの部分は水丸さんによる、ゆるい「村上春樹」像のおかげだ。
「村上朝日堂」もいいけど、きわめつけとして
村上かるたの『うさぎおいしーフランス人』をあげたい。
この本もまた、村上ー水丸という ふたりのくみあわせでしかなりたたなかった。
ひさしぶりに、ちょっとよみかえしてみると、
ズルズルとつぎのページをめくりたくなる。
徹底的に意味をはなれ、役にたたないこの本を、
「世界の村上ハルキ」はかかざるをえず、
それをささえられるのは 水丸さんしかいなかった。
小説家としての村上春樹だけでなく、
村上さんの魅力をかたるうえで かかすことのできないべつの一面を、
水丸さんがひろくしらしめてくれた功績はおおきい。
2014年04月10日
2014年04月09日
トレーニングの習慣は、動機のつよさに関係する。内容はとわない。
新年度がはじまったからか、
おじさんがジムにかよってトレーニングをはじめる、という企画が目につく。
そのうちのひとりは、わたしがすきなサッカーライターの宇都宮徹一さんだ。
からだをうごかしたいけど、最初の一歩がなかなかでない、というおじさんたちの、
こころづよい味方になるのでは、という企画らしい。
宇都宮さんはいま48歳で、これからさき歳をとり、60になったときにも
キビキビとからだがうごくことを目ざしてジムにかよいだいしている。
宇都宮さんは、週に1回のトレーニングを、2月からはじめられたという。
おもたい重量があがるようになってきているものの、
体重には変化がなく、このままではモチベーションが維持できないと、
連載の2回めにはやくも弱気な報告がのった。
週に1回のトレーニングをしたからといって、
すぐに成果があがるわけがないようにおもうけど、
トレーニングにたいする一般的な認識は、こんなものなのだろうか。
週に3回のトレーニングを、3ヶ月つづけてきたけれど、
まだ成果がでない、だったら、
そういうこともあるかもしれないね、とおもうけれど、
週に1回を2ヶ月つづけたからといって、体重がへるようなら苦労はしない。
いまのジムでは、なにか画期的な方法をおしえてくれるのだろうか。
意外なのは、おじさんたち(宇都宮さんだけではない)が、
運動からとおざかった自分のからだに、
なにをしたらいいのか、よくわからないことだ。
運動と関係ない仕事というわけではないし、
リハビリというか、ひさしぶりのトレーニングには、
どんな運動がいいのかぐらい、
常識としてだれもがしっている情報なのかとおもっていた。
「今年から身体を動かそうということで、
初めてフィットネスクラブの会員になりました。
何を着ていけばいいんだろう?」
と、宇都宮さんはジムがよいのまえに、フェイスブックにかきこんだという。
服装からかんがえこんでしまうぐらい、
宇都宮さんはトレーニングからはなれていたのだ。
まあ、だからこそ、自分でも一歩をふみだそうと、
おじさんたちの背中をおしてくれるのだろう。
ダイエットについてかたられると、かならずといっていいほど、
消費カロリーと摂取カロリーの差が脂肪になるので、とか
基礎代謝がいくらで、日中の活動で消費するカロリーがこれこれなので、
というはなしがでてくる。
もう30年もむかしから、おなじような「まえぶり」をききつづけてきた。
それだけについていえば、きっとただしいのだろうけど、
基礎代謝や消費カロリーにばかり目をむけても
ダイエットがうまくいかないのは、
このふたつには習慣化するだけの魅力がないからだろう。
基礎代謝や消費カロリーをみきわめたからといって、
トレーニングに効果がうまれるかというと、
わたしはあんまり関係がないようにおもう。
ダイエット、それにトレーニングも、
けっきょくはどれだけつづけられるかが大切になってくる。
なにごとにおいてもそうだけど、
トレーニングでも両極化がはげしい。
やるひとは、病気のときでもトレーニングをやすめないのにたいし、
やらないひとは、ほんのささいなことでも やめるきっかけになる。
いつでもやめる覚悟をもっているひとが運動をつづけるには、
いろんなしくみに手だすけしてもらう必要があるのだ。
フィットネスクラブは、インストラクターの存在や、ジム友、
自分にあったメニュー、定期的な数値の測定、カウンセリングなどで
なんとかあきないでつづけられるよう、環境がととのっている(らしい)。
とはいえ、いくらまわりがよくても、
つづかないひとは、けっきょくは習慣になるまえにやめてしまう。
わたしがかよっているジムは、
ネットでみるフィットネスクラブみたいなはなやかさがまるでない。
インストラクターはついてないし、ふるくさい器具と
フリーウェイトがおいてあるくらいだ。
トレーニングがつづくのは、圧倒的に中高齢のおじさんたちで、
わかい女性たちは、こんな殺風景なジムではなくて、
お金がかかっても、利用者がおおくても、
もっと絵になるジムをえらぶみたいだ。
おじさんには、トレーニングをはじめるだけの切実な動機がある。
つづけやすいといえるし、もしやめたときには
人生のさきゆきとおおく関係してしまう。
そのままでっぱったお腹をほおっておいては、
健全な老後をすごせないという、あとにひけない状態なのだ。
いまをのがしたら、自分の足でうごけなくなる、という悲壮感が、
おじさんたちの頭にはある。
いっぽうで、うまくいけば夏までに3キロ!
という女性の覚悟がよわいかというと、そういうわけでもない。
一流の女性アスリートが、運動をはじめたきっかけとして
ダイエットをあげることはよくある。
トレーニングがつづくかどうかは、
習慣にできるかどうかの問題であり、
それにはどれだけ切実な動機があるかがとわれる。
動機の質は関係ないようで、
まえにもいったように、基礎代謝や消費カロリーは、
トレーニング習慣の なんのささえにもならない。
おじさんがジムにかよってトレーニングをはじめる、という企画が目につく。
そのうちのひとりは、わたしがすきなサッカーライターの宇都宮徹一さんだ。
からだをうごかしたいけど、最初の一歩がなかなかでない、というおじさんたちの、
こころづよい味方になるのでは、という企画らしい。
宇都宮さんはいま48歳で、これからさき歳をとり、60になったときにも
キビキビとからだがうごくことを目ざしてジムにかよいだいしている。
宇都宮さんは、週に1回のトレーニングを、2月からはじめられたという。
おもたい重量があがるようになってきているものの、
体重には変化がなく、このままではモチベーションが維持できないと、
連載の2回めにはやくも弱気な報告がのった。
週に1回のトレーニングをしたからといって、
すぐに成果があがるわけがないようにおもうけど、
トレーニングにたいする一般的な認識は、こんなものなのだろうか。
週に3回のトレーニングを、3ヶ月つづけてきたけれど、
まだ成果がでない、だったら、
そういうこともあるかもしれないね、とおもうけれど、
週に1回を2ヶ月つづけたからといって、体重がへるようなら苦労はしない。
いまのジムでは、なにか画期的な方法をおしえてくれるのだろうか。
意外なのは、おじさんたち(宇都宮さんだけではない)が、
運動からとおざかった自分のからだに、
なにをしたらいいのか、よくわからないことだ。
運動と関係ない仕事というわけではないし、
リハビリというか、ひさしぶりのトレーニングには、
どんな運動がいいのかぐらい、
常識としてだれもがしっている情報なのかとおもっていた。
「今年から身体を動かそうということで、
初めてフィットネスクラブの会員になりました。
何を着ていけばいいんだろう?」
と、宇都宮さんはジムがよいのまえに、フェイスブックにかきこんだという。
服装からかんがえこんでしまうぐらい、
宇都宮さんはトレーニングからはなれていたのだ。
まあ、だからこそ、自分でも一歩をふみだそうと、
おじさんたちの背中をおしてくれるのだろう。
ダイエットについてかたられると、かならずといっていいほど、
消費カロリーと摂取カロリーの差が脂肪になるので、とか
基礎代謝がいくらで、日中の活動で消費するカロリーがこれこれなので、
というはなしがでてくる。
もう30年もむかしから、おなじような「まえぶり」をききつづけてきた。
それだけについていえば、きっとただしいのだろうけど、
基礎代謝や消費カロリーにばかり目をむけても
ダイエットがうまくいかないのは、
このふたつには習慣化するだけの魅力がないからだろう。
基礎代謝や消費カロリーをみきわめたからといって、
トレーニングに効果がうまれるかというと、
わたしはあんまり関係がないようにおもう。
ダイエット、それにトレーニングも、
けっきょくはどれだけつづけられるかが大切になってくる。
なにごとにおいてもそうだけど、
トレーニングでも両極化がはげしい。
やるひとは、病気のときでもトレーニングをやすめないのにたいし、
やらないひとは、ほんのささいなことでも やめるきっかけになる。
いつでもやめる覚悟をもっているひとが運動をつづけるには、
いろんなしくみに手だすけしてもらう必要があるのだ。
フィットネスクラブは、インストラクターの存在や、ジム友、
自分にあったメニュー、定期的な数値の測定、カウンセリングなどで
なんとかあきないでつづけられるよう、環境がととのっている(らしい)。
とはいえ、いくらまわりがよくても、
つづかないひとは、けっきょくは習慣になるまえにやめてしまう。
わたしがかよっているジムは、
ネットでみるフィットネスクラブみたいなはなやかさがまるでない。
インストラクターはついてないし、ふるくさい器具と
フリーウェイトがおいてあるくらいだ。
トレーニングがつづくのは、圧倒的に中高齢のおじさんたちで、
わかい女性たちは、こんな殺風景なジムではなくて、
お金がかかっても、利用者がおおくても、
もっと絵になるジムをえらぶみたいだ。
おじさんには、トレーニングをはじめるだけの切実な動機がある。
つづけやすいといえるし、もしやめたときには
人生のさきゆきとおおく関係してしまう。
そのままでっぱったお腹をほおっておいては、
健全な老後をすごせないという、あとにひけない状態なのだ。
いまをのがしたら、自分の足でうごけなくなる、という悲壮感が、
おじさんたちの頭にはある。
いっぽうで、うまくいけば夏までに3キロ!
という女性の覚悟がよわいかというと、そういうわけでもない。
一流の女性アスリートが、運動をはじめたきっかけとして
ダイエットをあげることはよくある。
トレーニングがつづくかどうかは、
習慣にできるかどうかの問題であり、
それにはどれだけ切実な動機があるかがとわれる。
動機の質は関係ないようで、
まえにもいったように、基礎代謝や消費カロリーは、
トレーニング習慣の なんのささえにもならない。
2014年04月08日
『熱気球イカロス5号』(梅棹エリオ)あそびこそ最高とおしえてくれた本
『熱気球イカロス5号』(梅棹エリオ・中公文庫)
著者は、日本ではじめて気球をつくり、
それを日本でとばしたひとだ。
冒険や探検の本がすきだったわたしは、
そのながれのなかで自然にこの本を手にしたようにおもう。
中学1年生のときのことだ。
冒険の本らしく、熱気球をつくってとばすまでの経緯がおもしろいけれど、
この本のもうひとつの魅力は、著者 エリオ氏が
学校を徹底的に批判していることだ。
「プロローグ」からしてすごい。
「高校二年生のとき、ぼくは落第した。
病気なんかではない。もちろん成績不良だ」
たぶんわたしはこのことばにおどろき、ノックアウトされ、
おおよろこびでこの本をうけいれたのではないか。
エリオ氏は、はじめにはいった平安高校を、入学して3ヶ月でやめている。
理由は「校風にあいません」だった。
制服やもちものにたいするとりきめがすごくきびしく、
ばからしくなったのだそうだ。
ふつう「校風にあいません」は学校が生徒をやめさせるときのセリフで、
でもエリオ氏は生徒の側にも校風をえらぶ権利があるとおもっていた。
エリオ氏は、もういちど受験勉強をやりなおして、
つぎの年に府立の鴨沂高校にはいる。
そこは自由な校風でしられている学校で、
1年ほどすきかってなことをして学校生活をたのしんでいた。
ある日、学校の先生が
「自由のはきちがいをしてはいけない。
今の三年生のように、遅刻はするし、授業はサボる、
あれは、自由のはきちがえをしているのだ」
といいだした。
エリオ氏は、先生のあたまのなかには、
けっきょく勉強や成績のことしかないことに気づいた。
「あこがれてはいった鴨沂高校も、けっきょくはただの学校だったんだ。
成績でおどしつけて、生徒の自由をうばい、
ワクにはめて、先生のいうことをきかす。
ぼくは、だまされたのだ。
鴨沂高校の自由の校風なんて、見かけだけだったのだ」
「プロローグ」にあったように、エリオ氏は落第して
二年生をもういちどやることになる。
その年の夏に屋久島へいったことがきっかけで
空にうかぶこと、そのための気球づくりにとりくむことになる。
本書には、学校教育にたいするうらみ・つらみがあちこちにかかれている。
「学校というところは、ひどいところだ。
学校というところは、
自発的な行為を何一つさせてくれないところだ。
学校がお膳だてしたことだけをやらせようとする」
「ぼくは、先生によくこんなことをいわれた。
『きみはやればできるんだ』あたりまえだ。
ぼくはやればできるにきまっている。
そんなことを先生から聞かされなくても、ぼくは知っている。
ぼくのやれることをやらさないのが学校なのに、
先生にはそれがぜんぜんわかっていないのだ」
高校の先生たちは、エリオ氏のあつかいにこまったようだ。
「成績の悪い子は、頭の悪い子で、そういう子は、先生なりに、
救うなりなんなりする手だてがある。
ところがぼくは、頭が悪いのやら良いのやら、
いったい何を考えているのかさっぱりわからん
ということになるらしい。
ぼくは、少し気がふれているのではないかと思われていたようだ」
「気球のことは、だれに言ってもまともには聞いてくれなかった。
しかし支持者がぜんぜんなかったわけでもない。
ほんの少数の女の子が共感をしめした。(中略)
『ヘェー、梅棹クン、気球で空を飛ぶの?ほん気?』
といって、中空をながめて、『ええなあ』といったあと、
『フーッ』とためいきをついた。
ぼくは、すこし気をよくした」
気球をつくるのは、エリオ氏ひとりだけでできるとりくみではない。
まず仲間をあつめ、そしてどんな気球にするのかをきめていく。
「熱気球イカロス5号」とあるのは、
試作をいれて5代目の気球だからで、
それまでにたくさんの実験をかさね、
ようやく5号目で完成にこぎつけている。
なんといっても、空をとぶのはひとのいのちにかかわってくる。
学校にたいする不満や、著者が落第生であることとは関係なく、
綿密な計画をたてて、それを実行にうつす能力が必要となる。
お金もあつめなければらなない。
おこづかいをもちあってすむような規模ではないのだ。
気球をつくる布やゴンドラ、それにじっさいにとばすために150万円が必要で、
イカロスのメンバーたちは、会社をまわって資金をつのっている。
こういうのは、ほかの冒険や探検とまったくいっしょで、
その過程が具体的にかいてあるこの本をよめば、
どんな計画でもたてられるだろう。
もちろんやる気さえあれば、のはなしだ。
みょうじからわかるように、このエリオ氏は、梅棹忠夫さんの長男であり、
わたしは梅棹さんの本よりもさきに、まずエリオ氏の本をよんでいたのだ。
そのずいぶんあとに梅棹忠夫さんの『モゴール族探検記』を目にして、
「また梅棹さんがへんな本をだしたぞ」とよろこんだものだ。
梅棹さんのむすこだからといって、
このイカロス計画がなにかで優遇されたかというと
まったくそういうことはない。
梅棹さんも、気球をとばすことについて
直接のアドバイスはなにもしていない。
ただ、梅棹さんの友人であり、名古屋大学の教授でもあった樋口敬二氏に、
この計画の相談役をたのんでいる。
ふたりのあいだで、なんどもイカロス計画についてはなしをかさねており、
メンバーにはしらされていないこの「みまもり」は、
計画を成功させるために、おおきなやくわりをはたした。
この本は、あそびがどれだけ大切かを
中学生のわたしにおしえてくれた。
ある意味で、わたしにとって決定的なであいだったかもしれない。
これまで「冒険」とかいてきたけれど、
気球をつくり、うかべるのは、エリオ氏にとってあそびであり、
なにかの目的があったわけではない。
目的から完全にはなれた行為を、
わたしはこのイカロス5号によってはじめてしることになる。
あそびこそすべてと、しらずしらずのうちに
おもいこむようになっていた。
「ぼくは、働くことに価値はないと思っている。
いまは、働けばすぐ金が手にはいる。
金につられて働けば、働くことにならされてしまう。
そのうちに働くことが生きがいになる。(中略)
人間は、自分のやりたいことをやって遊ぶのが本当だと思うのだ。
社会のために意義のないこと、役にたたないことでも、
ぜんぜんかまうことはない」
「ある友だちは、ぼくが遊びほうけて、
口をひらけば気球、気球と言うのを見て注意してくれた。
『君のところは金があるから、いまは遊んでいられるけれども、
一生遊んでくらすことはでけへんで。
どうせお前も働かんならんようになる』(中略)
この友だちは、どこかでぼくを誤解しているようだった。
言っとくけど、ぼくの家は金持ちじゃない。
ぼくの家が金持ちなら、もっと遊びたおしてやる。
ぼくは、遊んでいられるから遊んでいるのではなくて、
遊ぶことこそ最高だと思ったから遊ぶことにしたのだ」
この本のクライマックスは、北海道の平原で、
じっさいにイカロス5号をとばしての飛行に成功した場面だ。
最初ののりくみ員にエリオ氏はえらばれて、
日本人初の気球にのりこんでいる。
「なんというすばらしい光景だろう!
羊蹄山が雪をかがやかせている。
洞爺湖が静かに水をたたえている。
そして、あらゆるものが開放されて、自由に生きている。(中略)
ぼくは、おかしくて、なみだが出てきた。
何もかもすべてが、おかしくてしかたがない。
こんなイチジク形のオレンジ色の気球を作るために、
ぼくは、ぼくの全力を投入した。
なんのため?
そんなこと知るもんか」
気球をとばし、気球らしい空のたびをたのしめば、
エリオ氏のあそびはそれでおわりだ。
その気球をつかってひともうけしようなんて
すこしもおもってない。
エリオ氏は、この飛行のあとなにをしたのか。
エピローグには、「進学も就職もしなかった」とあるだけで、
具体的なうごきはしらされていない。
はたらくことに意味はない、あそぶことこそ最高、というエリオ氏の、
その後の人生にとても興味がある。
著者は、日本ではじめて気球をつくり、
それを日本でとばしたひとだ。
冒険や探検の本がすきだったわたしは、
そのながれのなかで自然にこの本を手にしたようにおもう。
中学1年生のときのことだ。
冒険の本らしく、熱気球をつくってとばすまでの経緯がおもしろいけれど、
この本のもうひとつの魅力は、著者 エリオ氏が
学校を徹底的に批判していることだ。
「プロローグ」からしてすごい。
「高校二年生のとき、ぼくは落第した。
病気なんかではない。もちろん成績不良だ」
たぶんわたしはこのことばにおどろき、ノックアウトされ、
おおよろこびでこの本をうけいれたのではないか。
エリオ氏は、はじめにはいった平安高校を、入学して3ヶ月でやめている。
理由は「校風にあいません」だった。
制服やもちものにたいするとりきめがすごくきびしく、
ばからしくなったのだそうだ。
ふつう「校風にあいません」は学校が生徒をやめさせるときのセリフで、
でもエリオ氏は生徒の側にも校風をえらぶ権利があるとおもっていた。
エリオ氏は、もういちど受験勉強をやりなおして、
つぎの年に府立の鴨沂高校にはいる。
そこは自由な校風でしられている学校で、
1年ほどすきかってなことをして学校生活をたのしんでいた。
ある日、学校の先生が
「自由のはきちがいをしてはいけない。
今の三年生のように、遅刻はするし、授業はサボる、
あれは、自由のはきちがえをしているのだ」
といいだした。
エリオ氏は、先生のあたまのなかには、
けっきょく勉強や成績のことしかないことに気づいた。
「あこがれてはいった鴨沂高校も、けっきょくはただの学校だったんだ。
成績でおどしつけて、生徒の自由をうばい、
ワクにはめて、先生のいうことをきかす。
ぼくは、だまされたのだ。
鴨沂高校の自由の校風なんて、見かけだけだったのだ」
「プロローグ」にあったように、エリオ氏は落第して
二年生をもういちどやることになる。
その年の夏に屋久島へいったことがきっかけで
空にうかぶこと、そのための気球づくりにとりくむことになる。
本書には、学校教育にたいするうらみ・つらみがあちこちにかかれている。
「学校というところは、ひどいところだ。
学校というところは、
自発的な行為を何一つさせてくれないところだ。
学校がお膳だてしたことだけをやらせようとする」
「ぼくは、先生によくこんなことをいわれた。
『きみはやればできるんだ』あたりまえだ。
ぼくはやればできるにきまっている。
そんなことを先生から聞かされなくても、ぼくは知っている。
ぼくのやれることをやらさないのが学校なのに、
先生にはそれがぜんぜんわかっていないのだ」
高校の先生たちは、エリオ氏のあつかいにこまったようだ。
「成績の悪い子は、頭の悪い子で、そういう子は、先生なりに、
救うなりなんなりする手だてがある。
ところがぼくは、頭が悪いのやら良いのやら、
いったい何を考えているのかさっぱりわからん
ということになるらしい。
ぼくは、少し気がふれているのではないかと思われていたようだ」
「気球のことは、だれに言ってもまともには聞いてくれなかった。
しかし支持者がぜんぜんなかったわけでもない。
ほんの少数の女の子が共感をしめした。(中略)
『ヘェー、梅棹クン、気球で空を飛ぶの?ほん気?』
といって、中空をながめて、『ええなあ』といったあと、
『フーッ』とためいきをついた。
ぼくは、すこし気をよくした」
気球をつくるのは、エリオ氏ひとりだけでできるとりくみではない。
まず仲間をあつめ、そしてどんな気球にするのかをきめていく。
「熱気球イカロス5号」とあるのは、
試作をいれて5代目の気球だからで、
それまでにたくさんの実験をかさね、
ようやく5号目で完成にこぎつけている。
なんといっても、空をとぶのはひとのいのちにかかわってくる。
学校にたいする不満や、著者が落第生であることとは関係なく、
綿密な計画をたてて、それを実行にうつす能力が必要となる。
お金もあつめなければらなない。
おこづかいをもちあってすむような規模ではないのだ。
気球をつくる布やゴンドラ、それにじっさいにとばすために150万円が必要で、
イカロスのメンバーたちは、会社をまわって資金をつのっている。
こういうのは、ほかの冒険や探検とまったくいっしょで、
その過程が具体的にかいてあるこの本をよめば、
どんな計画でもたてられるだろう。
もちろんやる気さえあれば、のはなしだ。
みょうじからわかるように、このエリオ氏は、梅棹忠夫さんの長男であり、
わたしは梅棹さんの本よりもさきに、まずエリオ氏の本をよんでいたのだ。
そのずいぶんあとに梅棹忠夫さんの『モゴール族探検記』を目にして、
「また梅棹さんがへんな本をだしたぞ」とよろこんだものだ。
梅棹さんのむすこだからといって、
このイカロス計画がなにかで優遇されたかというと
まったくそういうことはない。
梅棹さんも、気球をとばすことについて
直接のアドバイスはなにもしていない。
ただ、梅棹さんの友人であり、名古屋大学の教授でもあった樋口敬二氏に、
この計画の相談役をたのんでいる。
ふたりのあいだで、なんどもイカロス計画についてはなしをかさねており、
メンバーにはしらされていないこの「みまもり」は、
計画を成功させるために、おおきなやくわりをはたした。
この本は、あそびがどれだけ大切かを
中学生のわたしにおしえてくれた。
ある意味で、わたしにとって決定的なであいだったかもしれない。
これまで「冒険」とかいてきたけれど、
気球をつくり、うかべるのは、エリオ氏にとってあそびであり、
なにかの目的があったわけではない。
目的から完全にはなれた行為を、
わたしはこのイカロス5号によってはじめてしることになる。
あそびこそすべてと、しらずしらずのうちに
おもいこむようになっていた。
「ぼくは、働くことに価値はないと思っている。
いまは、働けばすぐ金が手にはいる。
金につられて働けば、働くことにならされてしまう。
そのうちに働くことが生きがいになる。(中略)
人間は、自分のやりたいことをやって遊ぶのが本当だと思うのだ。
社会のために意義のないこと、役にたたないことでも、
ぜんぜんかまうことはない」
「ある友だちは、ぼくが遊びほうけて、
口をひらけば気球、気球と言うのを見て注意してくれた。
『君のところは金があるから、いまは遊んでいられるけれども、
一生遊んでくらすことはでけへんで。
どうせお前も働かんならんようになる』(中略)
この友だちは、どこかでぼくを誤解しているようだった。
言っとくけど、ぼくの家は金持ちじゃない。
ぼくの家が金持ちなら、もっと遊びたおしてやる。
ぼくは、遊んでいられるから遊んでいるのではなくて、
遊ぶことこそ最高だと思ったから遊ぶことにしたのだ」
この本のクライマックスは、北海道の平原で、
じっさいにイカロス5号をとばしての飛行に成功した場面だ。
最初ののりくみ員にエリオ氏はえらばれて、
日本人初の気球にのりこんでいる。
「なんというすばらしい光景だろう!
羊蹄山が雪をかがやかせている。
洞爺湖が静かに水をたたえている。
そして、あらゆるものが開放されて、自由に生きている。(中略)
ぼくは、おかしくて、なみだが出てきた。
何もかもすべてが、おかしくてしかたがない。
こんなイチジク形のオレンジ色の気球を作るために、
ぼくは、ぼくの全力を投入した。
なんのため?
そんなこと知るもんか」
気球をとばし、気球らしい空のたびをたのしめば、
エリオ氏のあそびはそれでおわりだ。
その気球をつかってひともうけしようなんて
すこしもおもってない。
エリオ氏は、この飛行のあとなにをしたのか。
エピローグには、「進学も就職もしなかった」とあるだけで、
具体的なうごきはしらされていない。
はたらくことに意味はない、あそぶことこそ最高、というエリオ氏の、
その後の人生にとても興味がある。
2014年04月07日
トホホ的な精神
なにかにつけ、おれはトホホのひとだなー、とおもうことがおおく、
そういう目でみると、世界はトホホ界の住人と、
それ以外の世界にすむひとたちにわかれていることに気づいた。
いきなりそんなことをいわれても
なんのことかわからないだろうから、具体的なイメージとしては
「ののちゃん」のおにいさんである「のぼるくん」をおもいだしてもらえば、
トホホ的な世界の雰囲気をつかんでもらえるのではないか。
なにかの才能がないことははっきりしている。
でも、人生をすててかかっているわけではなく、
なんだかんだと(たとえば野球部の活動)手をだすけれど、
その努力がむくわれることはまずない。
おいしい部分は、調子のいいタイプの「ののちゃん」にぜんぶもっていかれる。
鷹の爪の総統も、典型的なトホホのひとだ。
世界征服をかかげ、なかまたちといろいろうごきまわっているものの、
おそらく本人も自分たちのとりくみが成功するなんておもっていない。
かといって、すべてをなげだすのは、根がまじめな人間であるだけに、できない。
トホホの世界にすむひとは、だいたいあんなかんじだ。
努力がきらいなわけではないが、本質をはずしているので、
なかなか核心にせまれない。どうしてもツボをはずしてしまう。
あまり向上心はないけれど、まったくゼロというわけでもない。
ただそれは、成功にむけてというよりは、
なにかをかんちがいしてのことがおおく、
最終的に身につくことはない。
トホホのひとは、おおむね人畜無害で、
成功した人間をねたむこともない。
だいたいにおいて自分の世界で機嫌よくくらしている。
成功は、自分にとって関係ないことで、
自分に陽のひかりなんて、ずっとあたらないことをしっているからあせりはない。
わたしたちは、自分がどういう星のもとに生まれてきたのかを、
わりとはやい時期にさとる(わたしの場合は小学校4年生ごろ)。
自分がおこなったよい行為が正統に評価されることはないし、
わるいことをすればかならずみつけられる。
なにかをえらぶときにも、わるいクジはかならず自分がひくことになっている。
おさないころにそんなことがつづくと、
だんだんと運のわるさになれ、いいことなんか自分におこらないと
はじめから達観するようになる。
トホホは、運命でもあるけれど、
それに気づいてからは、自分でえらんだ道でもあり、
だんだんとその世界になじんでいく。
だいぶまえに話題になった「だめ連」とトホホのひとは
すこしかさなる部分もあるけど、
トホホは自分たちのことをあそこまでつよく肯定してはいない。
トホホの人生をあゆんでいるという意識があるにせよ、
にたものどうしでグループをつくるのではなく、
集団のなかにポツリ、ポツリとばらまかれて生息することがおおい。
トホホは連帯しない。ただあるだけだ。
わたしとしては、だれにでもトホホの要素があるなどといって、
問題をあいまいにしたくない。
要素があることと、トホホのひととして生きるのは
まったくべつなことだ。
トホホに生きる人間は、トホホなりのほこりみたいなものをもっていて、
いまさらできるタイプをめざしたりしない。
これはこれで、ひつとの完結した生き方であり、
このごろは、トホホはトホホでそうわるくないとおもえるようになってきた。
そういう目でみると、世界はトホホ界の住人と、
それ以外の世界にすむひとたちにわかれていることに気づいた。
いきなりそんなことをいわれても
なんのことかわからないだろうから、具体的なイメージとしては
「ののちゃん」のおにいさんである「のぼるくん」をおもいだしてもらえば、
トホホ的な世界の雰囲気をつかんでもらえるのではないか。
なにかの才能がないことははっきりしている。
でも、人生をすててかかっているわけではなく、
なんだかんだと(たとえば野球部の活動)手をだすけれど、
その努力がむくわれることはまずない。
おいしい部分は、調子のいいタイプの「ののちゃん」にぜんぶもっていかれる。
鷹の爪の総統も、典型的なトホホのひとだ。
世界征服をかかげ、なかまたちといろいろうごきまわっているものの、
おそらく本人も自分たちのとりくみが成功するなんておもっていない。
かといって、すべてをなげだすのは、根がまじめな人間であるだけに、できない。
トホホの世界にすむひとは、だいたいあんなかんじだ。
努力がきらいなわけではないが、本質をはずしているので、
なかなか核心にせまれない。どうしてもツボをはずしてしまう。
あまり向上心はないけれど、まったくゼロというわけでもない。
ただそれは、成功にむけてというよりは、
なにかをかんちがいしてのことがおおく、
最終的に身につくことはない。
トホホのひとは、おおむね人畜無害で、
成功した人間をねたむこともない。
だいたいにおいて自分の世界で機嫌よくくらしている。
成功は、自分にとって関係ないことで、
自分に陽のひかりなんて、ずっとあたらないことをしっているからあせりはない。
わたしたちは、自分がどういう星のもとに生まれてきたのかを、
わりとはやい時期にさとる(わたしの場合は小学校4年生ごろ)。
自分がおこなったよい行為が正統に評価されることはないし、
わるいことをすればかならずみつけられる。
なにかをえらぶときにも、わるいクジはかならず自分がひくことになっている。
おさないころにそんなことがつづくと、
だんだんと運のわるさになれ、いいことなんか自分におこらないと
はじめから達観するようになる。
トホホは、運命でもあるけれど、
それに気づいてからは、自分でえらんだ道でもあり、
だんだんとその世界になじんでいく。
だいぶまえに話題になった「だめ連」とトホホのひとは
すこしかさなる部分もあるけど、
トホホは自分たちのことをあそこまでつよく肯定してはいない。
トホホの人生をあゆんでいるという意識があるにせよ、
にたものどうしでグループをつくるのではなく、
集団のなかにポツリ、ポツリとばらまかれて生息することがおおい。
トホホは連帯しない。ただあるだけだ。
わたしとしては、だれにでもトホホの要素があるなどといって、
問題をあいまいにしたくない。
要素があることと、トホホのひととして生きるのは
まったくべつなことだ。
トホホに生きる人間は、トホホなりのほこりみたいなものをもっていて、
いまさらできるタイプをめざしたりしない。
これはこれで、ひつとの完結した生き方であり、
このごろは、トホホはトホホでそうわるくないとおもえるようになってきた。
2014年04月06日
『人生オークション』(原田ひ香)47箱のひっこし荷物をどうかたづけたか
『人生オークション』(原田ひ香・講談社文庫)
ワケありで離婚し、それまでのマンションをでたりり子おばさんが、
4トントラック1台分の荷物とともに アパートでひとりぐらしをはじめた。
めいの瑞希(みずき)は荷物のかたづけを手つだうことになる。
瑞希は大学を卒業したものの、就職ができず、フリーターの身のうえなので、
親からたのまれるとことわりにくい。
瑞希がアパートをたずねると、りり子おばさんは台所に布団をしいてねていた。
8畳の部屋は、ダンボールや家具がぎっしりつまっていて、
とても布団をひろげる場所がないからだ。
この、47個もある、膨大なダンボールの山をほどいていかなければ、
ひとのすむ部屋にならない。
この荷物をかたづけるためにはじめたのが
タイトルにもあるオークション、ヤフオクだ。
りり子おばさんはブランド品をたくさんもっていて、
ヴィトンのバックなどが意外なほどいい値段でうれていく。
服も、マネキンにきせ、シワをのばして写真にとれば、
それなりの値段でかいてがついていく。
でも、このままヤフオクが軌道にのって、
仕事になっていくかというと、そうはうまくいかない。
ブランド品以外はたいした値段にならず、
かんたんにはネットでの仕事にならないという
現実的なところでおさえられている。
瑞希はりり子おばさんと距離をとりながらも、
ふたりはうまく世の中をわたっていけない にたものどうしだ。
本のこのみがおなじで、小道具としてちょこちょこ本が顔をだす。
台所に布団をしいてねているりり子おばさんに瑞希が、
「こういうの、なんか本で読んだことがある」思わずつぶやいた。
「『キッチン』でしょ」しゃがれた声と同時に布団のかたまりがもぐもぐ動いて、
叔母さんが顔を出した。
ほかにも、アガサ=クリスティのシリーズを一冊だけのこすとき、
その一冊が『春にして君を離れ』と瑞希がすきなものだったり、
「経済だわねぇ。瑞希ちゃん」というひとことから
りり子おばさんが永井荷風の本をよんできたことがわかったり。
うまいなー、とおもったのが、シャンパングラスを箱にしまうときで、
「『アフリカの日々』みたいだね、と言おうとして、やっぱりやめた」
というところ。
瑞希がいうのをやめたのは、
りり子おばさんとメリル=ストリーブとのギャップが
ばかばかしかったからではない。
シャンパングラスをつかうのは、
ほんとうにしあわせなときだけで、
おばさんの結婚生活にも、しあわせなときがあったのだ、とさっしたからだ。
ちょくせつ生活にはやくにたたなくても、
瑞希がこれまでに身につけてきたことは、
ひとのことをおもい、あいてからも必要にされるという、
生きるよろこびにむすびついていく。
たくさんの本をよんできて、いろんな場面に
その本たちが味つけをしてくれるのだから、
就職はできなかったにしても、
ひとりの人間として、瑞希には魅力がある。
解説は斎藤美奈子さんだ。
小説として『人生オークション』がどうつくられているのかを
簡潔にときあかしていく。
斎藤さんによると、りり子おばさんと瑞希は
「バブリーにはなりきれない『バブル世代』と、
さとりきれない『さとり世代』」なのだそうだ。
りり子おばさんは、バブル期に生きながら、そのながれにのりきれなかった。
瑞希はさとり世代のわかものとして「格差社会」に生きながら、
就活にすんなりちからをそそぐことができない。
斎藤さんは、オークションがりり子おばさんと瑞希にはたした役割を、
「就職できない二人にとって、人生をリセットする意味でも、
社会性を取り戻す意味でも、オークションは『リハビリ』だった」
とみている。
そして、この本は
「生きづらさを抱えた読者に『断捨離』をすすめるだけではなく、
『人生、リハビリからはじめればいいじゃん』というメッセージ」
をおくっているという。
人生は、死ぬまでとまらない。
どんなことがおきても、死ぬまでおわりにはならない。
どうにもならない気がしても、ちょっとやすんで、
またリハビリからはじめればいいし、そうするしかない。
4トントラックにいっぱいの荷物がかたづき、仕事にもなるオークション。
オークションを中心にものがたりがふくらんでいくのかとおもったのに、
そうはならなかった。
ぜんぶの箱がかたづいたころ、りり子おばさんは
ファミリーレストランでの仕事をみつけてくる。
りり子おばさんの「ワケあり」のすべてを了承したうえでの採用だ。
瑞希も就活のためにノートを一冊用意した。
ふたりのリハビリがうまくすすみ、
つぎの段階へと足をすすめるときがきたのだ。
りり子おばさんは、さいごにダンボールを1箱のこした。
瑞希がかたづけ終了のうちあげにアパートへいくと、
りり子おばさんはかいもにでかけており、だれも部屋にいない。
なかにはなにがはいっているのか、
みようとおもえばみれるけれど、瑞希はそのままにしておく。
うまいなー、原田ひ香。
余談ながら、瑞希の軽口をふたつ紹介する。
(両親について)
「二人ともまだ40代なのに、なんか、桃太郎が来る前の、
おじいさんとおばあさんみたいだ」
「これが小説の中のお話なら、そろそろ叔母さんに
なんか特技が見つかる頃なんだけどね」
原田ひ香がハードボイルドをかいたら、
軽口をたたきまくる探偵がきっとでてくる。
本書には、『あめよび』という中編も収録されている。
これもまたよませるはなしで、ほかのどの作品ともちがったあじわいがある。
よみおえたあと、つい乾杯をしてしまった。
ハッピーエンドにたいする乾杯ではなく、
いい本にであえたことへの祝杯だ。
ワケありで離婚し、それまでのマンションをでたりり子おばさんが、
4トントラック1台分の荷物とともに アパートでひとりぐらしをはじめた。
めいの瑞希(みずき)は荷物のかたづけを手つだうことになる。
瑞希は大学を卒業したものの、就職ができず、フリーターの身のうえなので、
親からたのまれるとことわりにくい。
瑞希がアパートをたずねると、りり子おばさんは台所に布団をしいてねていた。
8畳の部屋は、ダンボールや家具がぎっしりつまっていて、
とても布団をひろげる場所がないからだ。
この、47個もある、膨大なダンボールの山をほどいていかなければ、
ひとのすむ部屋にならない。
この荷物をかたづけるためにはじめたのが
タイトルにもあるオークション、ヤフオクだ。
りり子おばさんはブランド品をたくさんもっていて、
ヴィトンのバックなどが意外なほどいい値段でうれていく。
服も、マネキンにきせ、シワをのばして写真にとれば、
それなりの値段でかいてがついていく。
でも、このままヤフオクが軌道にのって、
仕事になっていくかというと、そうはうまくいかない。
ブランド品以外はたいした値段にならず、
かんたんにはネットでの仕事にならないという
現実的なところでおさえられている。
瑞希はりり子おばさんと距離をとりながらも、
ふたりはうまく世の中をわたっていけない にたものどうしだ。
本のこのみがおなじで、小道具としてちょこちょこ本が顔をだす。
台所に布団をしいてねているりり子おばさんに瑞希が、
「こういうの、なんか本で読んだことがある」思わずつぶやいた。
「『キッチン』でしょ」しゃがれた声と同時に布団のかたまりがもぐもぐ動いて、
叔母さんが顔を出した。
ほかにも、アガサ=クリスティのシリーズを一冊だけのこすとき、
その一冊が『春にして君を離れ』と瑞希がすきなものだったり、
「経済だわねぇ。瑞希ちゃん」というひとことから
りり子おばさんが永井荷風の本をよんできたことがわかったり。
うまいなー、とおもったのが、シャンパングラスを箱にしまうときで、
「『アフリカの日々』みたいだね、と言おうとして、やっぱりやめた」
というところ。
瑞希がいうのをやめたのは、
りり子おばさんとメリル=ストリーブとのギャップが
ばかばかしかったからではない。
シャンパングラスをつかうのは、
ほんとうにしあわせなときだけで、
おばさんの結婚生活にも、しあわせなときがあったのだ、とさっしたからだ。
ちょくせつ生活にはやくにたたなくても、
瑞希がこれまでに身につけてきたことは、
ひとのことをおもい、あいてからも必要にされるという、
生きるよろこびにむすびついていく。
たくさんの本をよんできて、いろんな場面に
その本たちが味つけをしてくれるのだから、
就職はできなかったにしても、
ひとりの人間として、瑞希には魅力がある。
解説は斎藤美奈子さんだ。
小説として『人生オークション』がどうつくられているのかを
簡潔にときあかしていく。
斎藤さんによると、りり子おばさんと瑞希は
「バブリーにはなりきれない『バブル世代』と、
さとりきれない『さとり世代』」なのだそうだ。
りり子おばさんは、バブル期に生きながら、そのながれにのりきれなかった。
瑞希はさとり世代のわかものとして「格差社会」に生きながら、
就活にすんなりちからをそそぐことができない。
斎藤さんは、オークションがりり子おばさんと瑞希にはたした役割を、
「就職できない二人にとって、人生をリセットする意味でも、
社会性を取り戻す意味でも、オークションは『リハビリ』だった」
とみている。
そして、この本は
「生きづらさを抱えた読者に『断捨離』をすすめるだけではなく、
『人生、リハビリからはじめればいいじゃん』というメッセージ」
をおくっているという。
人生は、死ぬまでとまらない。
どんなことがおきても、死ぬまでおわりにはならない。
どうにもならない気がしても、ちょっとやすんで、
またリハビリからはじめればいいし、そうするしかない。
4トントラックにいっぱいの荷物がかたづき、仕事にもなるオークション。
オークションを中心にものがたりがふくらんでいくのかとおもったのに、
そうはならなかった。
ぜんぶの箱がかたづいたころ、りり子おばさんは
ファミリーレストランでの仕事をみつけてくる。
りり子おばさんの「ワケあり」のすべてを了承したうえでの採用だ。
瑞希も就活のためにノートを一冊用意した。
ふたりのリハビリがうまくすすみ、
つぎの段階へと足をすすめるときがきたのだ。
りり子おばさんは、さいごにダンボールを1箱のこした。
瑞希がかたづけ終了のうちあげにアパートへいくと、
りり子おばさんはかいもにでかけており、だれも部屋にいない。
なかにはなにがはいっているのか、
みようとおもえばみれるけれど、瑞希はそのままにしておく。
うまいなー、原田ひ香。
余談ながら、瑞希の軽口をふたつ紹介する。
(両親について)
「二人ともまだ40代なのに、なんか、桃太郎が来る前の、
おじいさんとおばあさんみたいだ」
「これが小説の中のお話なら、そろそろ叔母さんに
なんか特技が見つかる頃なんだけどね」
原田ひ香がハードボイルドをかいたら、
軽口をたたきまくる探偵がきっとでてくる。
本書には、『あめよび』という中編も収録されている。
これもまたよませるはなしで、ほかのどの作品ともちがったあじわいがある。
よみおえたあと、つい乾杯をしてしまった。
ハッピーエンドにたいする乾杯ではなく、
いい本にであえたことへの祝杯だ。
2014年04月05日
「健康診断の基準値がみなおしに」 いままでの数値はなんだったのだ
日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が、
健康診断の基準値をゆるめると発表した。
国内で人間ドックをうけたひとの値をしらべたところ、
これまでの数値よりたかくても健康なことがわかったためで、
例年の4月からあたらしい基準値が運用になるそうだ。
たとえば、収縮期血圧は、これまで129以下を「異常なし」としていたのを、
これからは88〜147が基準値となる。
肥満度をみる「BMI」も、これまでは男女とも25以下が「異常なし」だったのにたいし、
これからは男性が18.5〜27.7、女性は16.8〜26.1の範囲におさまれば「健康」だ。
これまできびしすぎた数値が、実態にあわせてゆるめられるわけで、
よいみなおしだとおもうけれど、
それでは、いままでの数値はいったいなんだったのだ、ともおもう。
コレステロールの値に一喜一憂しているひともいるだろうに、
男性ではこれまで60〜119だった値が、こらからは72〜178というから
ずいぶんゆるやかになる。
血圧やコレステロールの値をさげるために薬をだされているひともおおいけれど、
これからはそれもみなおされるのだろうか。
基準値の緩和というより、これまでめちゃくちゃだったことがはっきりし、
数値はそれぞれが自分で把握するもの、という、
基準の崩壊といえる。基準値なんてないのだ。
くりかえすけど、いまは血圧が130だとすこしたかめです、といわれているのが、
これからは147でも大丈夫なのだ。すごいことではないだろうか。
それでも「健康」なら、これまでの基準はいったいなんだったのだ。
「基準値」というのが、どれだけあやふやなものなのかがよくわかる。
医療にお金をつかいたくない国が、健康の基準をさげたのかとおもったけど、
製薬会社と医療機関の関係など、ほかにもいろんなうら事情をかんぐりたくなってくる。
なぜいまになってこれだけの数値のみなおしがされるのか、
この変更がただしいのなら、いままでの数値はなんだったのかと、
わたしはすごくおどろいてしまった。
わたしは血圧やコレステロールをさげる薬はのんでないけれど、
いろんな数値のあがりさがりは気になるし、
医者に薬を処方されたらその気になるかもしれない。
しめされる値が基準値だとおもうからで、
それがたいして根拠がないものだったというのは
もっとおおさわぎされてもおかしくない「事件」ではないだろうか。
健康や栄養については、具体的な数字がしめされることがおおく、
その数値が絶対的なものになりやすい。
たんぱく質をいちにちに何グラム以上とりましょう、とか
食塩は10グラム以下におさえて、とかは
いま、そういうことになっている、というだけのはなしで、
なんねんかさきに、「これからはこっちが最新の情報です」といくらでもなりえる。
これまでの数値がまちがっていても、
だれも責任をとってくれないのだから、
病院のいうことをうのみにせずに、
自分で判断していくしかない。
だって、130でたかいといわれていた血圧が、
147でも大丈夫になったのだ。
そしてこんどの変更がただしいという保証はない。
基準値にふりまわされてはならないことがよくわかった。
健康診断の基準値をゆるめると発表した。
国内で人間ドックをうけたひとの値をしらべたところ、
これまでの数値よりたかくても健康なことがわかったためで、
例年の4月からあたらしい基準値が運用になるそうだ。
たとえば、収縮期血圧は、これまで129以下を「異常なし」としていたのを、
これからは88〜147が基準値となる。
肥満度をみる「BMI」も、これまでは男女とも25以下が「異常なし」だったのにたいし、
これからは男性が18.5〜27.7、女性は16.8〜26.1の範囲におさまれば「健康」だ。
これまできびしすぎた数値が、実態にあわせてゆるめられるわけで、
よいみなおしだとおもうけれど、
それでは、いままでの数値はいったいなんだったのだ、ともおもう。
コレステロールの値に一喜一憂しているひともいるだろうに、
男性ではこれまで60〜119だった値が、こらからは72〜178というから
ずいぶんゆるやかになる。
血圧やコレステロールの値をさげるために薬をだされているひともおおいけれど、
これからはそれもみなおされるのだろうか。
基準値の緩和というより、これまでめちゃくちゃだったことがはっきりし、
数値はそれぞれが自分で把握するもの、という、
基準の崩壊といえる。基準値なんてないのだ。
くりかえすけど、いまは血圧が130だとすこしたかめです、といわれているのが、
これからは147でも大丈夫なのだ。すごいことではないだろうか。
それでも「健康」なら、これまでの基準はいったいなんだったのだ。
「基準値」というのが、どれだけあやふやなものなのかがよくわかる。
医療にお金をつかいたくない国が、健康の基準をさげたのかとおもったけど、
製薬会社と医療機関の関係など、ほかにもいろんなうら事情をかんぐりたくなってくる。
なぜいまになってこれだけの数値のみなおしがされるのか、
この変更がただしいのなら、いままでの数値はなんだったのかと、
わたしはすごくおどろいてしまった。
わたしは血圧やコレステロールをさげる薬はのんでないけれど、
いろんな数値のあがりさがりは気になるし、
医者に薬を処方されたらその気になるかもしれない。
しめされる値が基準値だとおもうからで、
それがたいして根拠がないものだったというのは
もっとおおさわぎされてもおかしくない「事件」ではないだろうか。
健康や栄養については、具体的な数字がしめされることがおおく、
その数値が絶対的なものになりやすい。
たんぱく質をいちにちに何グラム以上とりましょう、とか
食塩は10グラム以下におさえて、とかは
いま、そういうことになっている、というだけのはなしで、
なんねんかさきに、「これからはこっちが最新の情報です」といくらでもなりえる。
これまでの数値がまちがっていても、
だれも責任をとってくれないのだから、
病院のいうことをうのみにせずに、
自分で判断していくしかない。
だって、130でたかいといわれていた血圧が、
147でも大丈夫になったのだ。
そしてこんどの変更がただしいという保証はない。
基準値にふりまわされてはならないことがよくわかった。
2014年04月04日
『東京ロンダリング』(原田ひ香)事故物件の浄化(ロンダリング)という設定がうまい
『東京ロンダリング』(原田ひ香・集英社文庫)
りさ子は事故物件の「ロンダリング」を仕事としている。
ロンダリングとは浄化すること。
賃貸住宅で、すんでいたひとが不信な死に方をした場合、
気もちわるがって だれもあとから部屋をかりようとしない。
不動産業者は不審死をつぎのたなこにつたえる義務があるけれど、
正直にはなせばだれもかりないし、家賃をさげると大家が損をする。
そんなとき、りさ子が1ヶ月すめば、
そのあとはなにごともなかったかのように、部屋をかしだすことができる。
いちどだれかがすめば、それ以降はたなこにつたえる義務がないのだそうだ。
『母親ウエスタン』にしてもこの本にしても、
原田ひ香さんはどうやってこんなかわったアイデアをおもいつくのか。
いわれてみれば、ロンダリングがどれだけ必要とされるかよくわかる。
自殺や変死など、東京ではいくらでもおこるだろうし、ぜったいになくならない。
いちまいロンダリングをはさむことで、
すべてがまるくおさまるのだ。
ただし、ロンダリングはだれにでもできる仕事ではない。
短期間ですまいをかえる生活を、何年もつづけるのは
おおくのひとにとってらくなことではない。
そもそも変死のあった部屋にすむのは、
精神的なつよさというか素質が必要だ。
りさ子にしても、それなりのわけがあり、
どうにもならないところまでおいつめられたからこそ、
このロンダリングという仕事にめぐりあった。
家賃をはらう必要はなく、ぎゃくに
いちにち5000円が不動産屋からしはらわれる。
ワケあり物件なので、深夜におもいがけない訪問をうけることもある。
幽霊ではない。
ほんとうにこわいのは、幽霊よりも人間なのだそうで、
りさ子の部屋をノックしたのは、
その部屋に以前すんでいた(そしてそこで死んだ)男性の恋人だった。
男性がなくなったことをしらせると、その女性はショックからえずきだし、
りさ子はしかたなく女性を部屋にあげてトイレに案内する。
「玄関のドアを閉めながら、
りさ子はどうしてこんなことになってしまったのだろうとため息をついた」
原田ひ香さんの文章は、ありえない状況をすごく自然にあらわすのがうまい。
りさ子にしても、すきでえらんだ仕事ではなく、
自分のあやまちからまねいた事態でもあり、
「どうしてこんなことになってしまったのだろうとため息をつ」くしかない場面なのだ。
りさ子は、なぜ自分がこの部屋にすんでいるのかわけをはなし、
それが読者へのロンダリングの説明にもなっているという
うまいオープニングだ。
つぎの日のあさ、りさ子はその女性を不動産屋へ案内し、
男性の死についてくわしい状況を説明してもらう。
ロンダリングはまっとうな仕事だし、
りさ子にそれを依頼する不動産屋も
いかがわしい人間ではない。
「あんたたちが入ってロンダリングしてくれれば、
俺も助かる、大家も助かる、次に入る人間も助かる。
事情を知らなければ、ほとんどの人間は気がつきゃしないんだ。
俺たちは法は犯してない。東京は狭く不動産は限られてる。
しかも、人がやたら死ぬ。変死した人間がいる部屋が
どんどん使えなくなったら、だれも住めなくなっちまう。
あんたたちがやってることは人助けなんだよ。いや、東京助けだな」
この本は、ロンダリングというアイデアが奇抜なだけでなく、
りさ子をとりまくものがたりが とても自然にながれている。
りさ子はどこかまわりの人間がほっておけない魅力をもっており、
「富士屋」という食堂の手つだいをつうじて
だんだんとロンダリング以外の世界にも目をむけていく。
やがておおきな事件にまきこまれ、
おもってもみなかったクライマックスをむかえる。
そこは、超豪華なレジデンスで、どうしても変死事件をかくし、
ひとしれずロンダリングをすすめる必要があった。
りさ子は洗練されたヤクザみたいなレジデンス側のスタッフにたいし、
1対1での交渉にのぞむ。
「りさ子は黙ったまま、ウェイターに目で合図した。
彼は性能の良い高級国産車のようになめらかに忠実に近寄ってきて、
ふたりにメニューとワインリストを差しだした」
なんだか村上春樹の小説をおもわせる比喩だ。
そこからの会話が絶妙で、
よくねられたセリフがクールにきまっている。
「今日はお願いがあって、席を設けました」(中略)
「脅していらっしゃる?」高橋はまた苦笑した。
「われわれを脅していらっしゃるのですか」
「いいえ、ただ、マンションの中に違法カジノがあって、
そこに誘われた一般の市民が無理やり借金を作らされて、
逃げ惑うはめになったなんて、
そんなイメージはまずいですよね、とお聞きしているんです」(中略)
「私たちがそう簡単に、あなたの要求を呑むと思いますか」
高橋は小声でささやくように言った。
「要求を呑んでいただけなければ、私もここを出て行くことになります。
どうします?ロンダリングは。
それともあなたがあの部屋に住みますか?
私たちの力を過小評価しない方がいいですよ。(中略)
私がお願いしたことを聞いていただくのが、
一番簡単なんですよ。あなたは話をつける。
私はあの部屋のロンダリングを行う」(中略)
高橋はしばらく考えて、うなずいた。
「わかりました」封筒をとって、背広の内ポケットにしまった。
「ご了承いただいて、ありがとうございます。
受領書をいただけますか」
高橋は名詞を出し裏になにかを書き付けると、りさ子に渡した。
「百万程度の金で、私がごまかしをするとは思わないで欲しい」
「もちろん、信用しています」りさ子は名詞を受け取った。
こわもてのレジデンス側スタッフに対し 堂々とわたりあい、
要求をとおしてしまうこの場面にわたしはしびれた。
なにがこれだけりさ子をつよくしたのか。
この事件をつうじて、りさ子は自分がするべきことに気づいたからだ。
「りさ子さんがすることってなんですか」
「ロンダリングして、お金をもらって、生活すること」
「ええ」
「あと、『富士屋』を手伝うこと」
りさ子は一時しのぎではなく、仕事としてロンダリングに目ざめながら、
自分をもとめてくれるひとたちと いっしょに生きることをえらぶ。
ロンダリングという奇抜な設定がとてもうまくいかされているし、
その仕事をつうじて、りさ子がふたたび生きるちからを得ていく過程がすばらしい。
これまでによんだ3冊の原田ひ香さんの小説は、
どれもよみおえたあとの気もちのよさが共通している。
これもまたロンダリング(浄化)といえるのだろう。
原田ひ香さんでなければできない仕事だ。
りさ子は事故物件の「ロンダリング」を仕事としている。
ロンダリングとは浄化すること。
賃貸住宅で、すんでいたひとが不信な死に方をした場合、
気もちわるがって だれもあとから部屋をかりようとしない。
不動産業者は不審死をつぎのたなこにつたえる義務があるけれど、
正直にはなせばだれもかりないし、家賃をさげると大家が損をする。
そんなとき、りさ子が1ヶ月すめば、
そのあとはなにごともなかったかのように、部屋をかしだすことができる。
いちどだれかがすめば、それ以降はたなこにつたえる義務がないのだそうだ。
『母親ウエスタン』にしてもこの本にしても、
原田ひ香さんはどうやってこんなかわったアイデアをおもいつくのか。
いわれてみれば、ロンダリングがどれだけ必要とされるかよくわかる。
自殺や変死など、東京ではいくらでもおこるだろうし、ぜったいになくならない。
いちまいロンダリングをはさむことで、
すべてがまるくおさまるのだ。
ただし、ロンダリングはだれにでもできる仕事ではない。
短期間ですまいをかえる生活を、何年もつづけるのは
おおくのひとにとってらくなことではない。
そもそも変死のあった部屋にすむのは、
精神的なつよさというか素質が必要だ。
りさ子にしても、それなりのわけがあり、
どうにもならないところまでおいつめられたからこそ、
このロンダリングという仕事にめぐりあった。
家賃をはらう必要はなく、ぎゃくに
いちにち5000円が不動産屋からしはらわれる。
ワケあり物件なので、深夜におもいがけない訪問をうけることもある。
幽霊ではない。
ほんとうにこわいのは、幽霊よりも人間なのだそうで、
りさ子の部屋をノックしたのは、
その部屋に以前すんでいた(そしてそこで死んだ)男性の恋人だった。
男性がなくなったことをしらせると、その女性はショックからえずきだし、
りさ子はしかたなく女性を部屋にあげてトイレに案内する。
「玄関のドアを閉めながら、
りさ子はどうしてこんなことになってしまったのだろうとため息をついた」
原田ひ香さんの文章は、ありえない状況をすごく自然にあらわすのがうまい。
りさ子にしても、すきでえらんだ仕事ではなく、
自分のあやまちからまねいた事態でもあり、
「どうしてこんなことになってしまったのだろうとため息をつ」くしかない場面なのだ。
りさ子は、なぜ自分がこの部屋にすんでいるのかわけをはなし、
それが読者へのロンダリングの説明にもなっているという
うまいオープニングだ。
つぎの日のあさ、りさ子はその女性を不動産屋へ案内し、
男性の死についてくわしい状況を説明してもらう。
ロンダリングはまっとうな仕事だし、
りさ子にそれを依頼する不動産屋も
いかがわしい人間ではない。
「あんたたちが入ってロンダリングしてくれれば、
俺も助かる、大家も助かる、次に入る人間も助かる。
事情を知らなければ、ほとんどの人間は気がつきゃしないんだ。
俺たちは法は犯してない。東京は狭く不動産は限られてる。
しかも、人がやたら死ぬ。変死した人間がいる部屋が
どんどん使えなくなったら、だれも住めなくなっちまう。
あんたたちがやってることは人助けなんだよ。いや、東京助けだな」
この本は、ロンダリングというアイデアが奇抜なだけでなく、
りさ子をとりまくものがたりが とても自然にながれている。
りさ子はどこかまわりの人間がほっておけない魅力をもっており、
「富士屋」という食堂の手つだいをつうじて
だんだんとロンダリング以外の世界にも目をむけていく。
やがておおきな事件にまきこまれ、
おもってもみなかったクライマックスをむかえる。
そこは、超豪華なレジデンスで、どうしても変死事件をかくし、
ひとしれずロンダリングをすすめる必要があった。
りさ子は洗練されたヤクザみたいなレジデンス側のスタッフにたいし、
1対1での交渉にのぞむ。
「りさ子は黙ったまま、ウェイターに目で合図した。
彼は性能の良い高級国産車のようになめらかに忠実に近寄ってきて、
ふたりにメニューとワインリストを差しだした」
なんだか村上春樹の小説をおもわせる比喩だ。
そこからの会話が絶妙で、
よくねられたセリフがクールにきまっている。
「今日はお願いがあって、席を設けました」(中略)
「脅していらっしゃる?」高橋はまた苦笑した。
「われわれを脅していらっしゃるのですか」
「いいえ、ただ、マンションの中に違法カジノがあって、
そこに誘われた一般の市民が無理やり借金を作らされて、
逃げ惑うはめになったなんて、
そんなイメージはまずいですよね、とお聞きしているんです」(中略)
「私たちがそう簡単に、あなたの要求を呑むと思いますか」
高橋は小声でささやくように言った。
「要求を呑んでいただけなければ、私もここを出て行くことになります。
どうします?ロンダリングは。
それともあなたがあの部屋に住みますか?
私たちの力を過小評価しない方がいいですよ。(中略)
私がお願いしたことを聞いていただくのが、
一番簡単なんですよ。あなたは話をつける。
私はあの部屋のロンダリングを行う」(中略)
高橋はしばらく考えて、うなずいた。
「わかりました」封筒をとって、背広の内ポケットにしまった。
「ご了承いただいて、ありがとうございます。
受領書をいただけますか」
高橋は名詞を出し裏になにかを書き付けると、りさ子に渡した。
「百万程度の金で、私がごまかしをするとは思わないで欲しい」
「もちろん、信用しています」りさ子は名詞を受け取った。
こわもてのレジデンス側スタッフに対し 堂々とわたりあい、
要求をとおしてしまうこの場面にわたしはしびれた。
なにがこれだけりさ子をつよくしたのか。
この事件をつうじて、りさ子は自分がするべきことに気づいたからだ。
「りさ子さんがすることってなんですか」
「ロンダリングして、お金をもらって、生活すること」
「ええ」
「あと、『富士屋』を手伝うこと」
りさ子は一時しのぎではなく、仕事としてロンダリングに目ざめながら、
自分をもとめてくれるひとたちと いっしょに生きることをえらぶ。
ロンダリングという奇抜な設定がとてもうまくいかされているし、
その仕事をつうじて、りさ子がふたたび生きるちからを得ていく過程がすばらしい。
これまでによんだ3冊の原田ひ香さんの小説は、
どれもよみおえたあとの気もちのよさが共通している。
これもまたロンダリング(浄化)といえるのだろう。
原田ひ香さんでなければできない仕事だ。
2014年04月03日
『テロルのすべて』(樋口毅宏)なぜ樋口さんはこの本をかいたかに、ずっとひっかかる
『テロルのすべて』(樋口毅宏・徳間文庫)
アメリカぎらいの日本人のわかものが、
アメリカに原爆をおとす計画をたて、実行する。
解説をふくめても189ページのうすい本だ。
やま場もなく、淡々とはなしがすすむ。
だいそれたころろざしをもち、
じっさいに原爆をつくり、おとそうとするのだから、
ふつうだったらもっとぶあつくて、こみいったストーリーになるところを、
なぜ、あえて稚拙なかきかたをえらんだのか。
これではまるで中学生がかいた夏やすみの宿題だ。
樋口さんのほかの本をしるものからすると、
この『テロルのすべて』はいかにもものたりない。
主人公の宇津木は、ボストンにある一流の大学でまなぶ秀才であり、
この程度の本をかく人物にはおもえない。
このうすい本で、この内容をあらわそうとした
樋口さんの意図はどこにあるのだろう。
宇津木がアメリカに原爆をおとそうとした動機と
アメリカがこれまでにやってきた負の歴史が、
本書のなかでくりかえしかたられる。
テロなのだから、狂信的なわかものが
とんでもないことを計画するのはわかる。
ついていけないのは、そこにリアリティがないからだ。
天才的な頭脳をもつわかものが、
たったふたりで小型の原爆をつくり、
それをセスナからおとす。
あまりにもかんたんに計画はすすみ、実行にうつされる。
広島と長崎におとされたものよりはるかに強力な原爆を、
こんなにかんたんにつくれるわけがない。
つくるなら、それなりのリアリティがなければ ただの夢ものがたりだ。
なぜ樋口さんは、こうしたスタイルをとったのかに
どうしてもひっかかってしまう。
アメリカがこれまで白人以外の民族にたいしてやってきた
傲慢な歴史を宇津木は指摘する。
それにたいする復讐がアメリカへの原爆投下だ。
もちろんおおくの民間人が犠牲になるわけで、
こんな計画をたて、実行することがただしいわけはない。
ただ、宇津木のおもいは、アメリカにしいたげられてきた民族なら、
かなりの部分で共感できる。
すこしもそうおもわないで、いつまでもアメリカにあやつられる
なさけない国であるのがどうかしているという一面も、たしかにある。
「2009年にアメリカで実施した世論調査によると、
『日本への原爆投下は正しかった』という意見は六割に上がった。
これを聞いて日本人として何も感じないひとはいないだろう。
しかし、アメリカ在住の映画評論家、町山智浩のベストセラー
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』によると、
アメリカ人の二人にひとりは、
日本に原爆を投下した事実を知らないという。
つまり、『原爆投下に賛成』の意見も、半分は疑わしい」
(原爆について)
「八月六日、九日。
人類史最大にして最悪の人体実験が敢行された。
それは規模において、犠牲者の数において、
被害者の子孫がその後も受け続ける偏見や差別、
肉体的精神的苦痛においても、9.11とは比較にならない。
僕はその苦しみを味わった同じ国の人間として、
共通の言語を使う民族として、復讐をしなければいけない」
(原爆投下についてのアメリカ人男性との会話)
「日本に原爆を落としたのは、
戦争を早く終わらせるためだった」
「違う!アメリカはすでに大戦後の世界を見据えていて、
ソ連に対する牽制もあって日本に原爆を落としたんだ。
しかも二発!なんでだと思う?
しらなきゃ教えてあげるよ。
一発はウラン性。もう一発はプルトニウム製。
両方試してみたかったんだ。
投下してすぐにカラーフィルムのカメラで撮影した。
ソ連に対して、世界中に対して、
俺たちは新型爆弾の実験に成功したぞとアピールするために。
白人からしたら黄色人種なんて人間じゃないもんね。
イエローモンキーなんだろ?
第二次世界大戦の張本人であるドイツには落とさなかった。
ドイツ人はユダヤ人を600万人も殺したのに!」
かかれている内容のおおくにわたしは共感する。
原爆投下がどれだけひどいことなのか。
なぜそれを当然だとおもいこまされてきたのか。
宇津木はアメリカばかりを批判するのではなく、
日本が侵略してきた過去をみとめている。
「ああ、わかっている。
日本だってひとのことは言えない。
多くの中国人や韓国人を殺してきた。(中略)
まず認めよう。僕たち日本人に、
韓国や中国に対して拭いきれない差別の感情があることを。(中略)
僕個人としては、靖国で眠る兵隊さんたちを責めたくはない。(中略)
だがしかし、だとしても、
それでも中国や韓国に対して、謝るべきところは謝るべきだとおもう。
もう充分謝ったよと、心の中では思っていたとしてもー。
足を踏まれたものでなければその痛みはわからないのだから」
このバランス感覚がありながら、宇津木はアメリカに原爆をおとす。
その動機は、宇津木が小学生のころにすでに芽ばえていたのだから、
すべてはアメリカが広島と長崎に原爆をおとしたことにはじまっている。
理性や論理でそれが修正されることはない。
かいたのが樋口さんとしらなければ、
すこしは樋口さんの本でもよんでみたら、
なんて著者にいってしまいそうなぐらい
反樋口さん的に青くさく、つたない本だ。
なぜ樋口さんがこの本を、このようにかいたのかがわからない。
アメリカぎらいの日本人のわかものが、
アメリカに原爆をおとす計画をたて、実行する。
解説をふくめても189ページのうすい本だ。
やま場もなく、淡々とはなしがすすむ。
だいそれたころろざしをもち、
じっさいに原爆をつくり、おとそうとするのだから、
ふつうだったらもっとぶあつくて、こみいったストーリーになるところを、
なぜ、あえて稚拙なかきかたをえらんだのか。
これではまるで中学生がかいた夏やすみの宿題だ。
樋口さんのほかの本をしるものからすると、
この『テロルのすべて』はいかにもものたりない。
主人公の宇津木は、ボストンにある一流の大学でまなぶ秀才であり、
この程度の本をかく人物にはおもえない。
このうすい本で、この内容をあらわそうとした
樋口さんの意図はどこにあるのだろう。
宇津木がアメリカに原爆をおとそうとした動機と
アメリカがこれまでにやってきた負の歴史が、
本書のなかでくりかえしかたられる。
テロなのだから、狂信的なわかものが
とんでもないことを計画するのはわかる。
ついていけないのは、そこにリアリティがないからだ。
天才的な頭脳をもつわかものが、
たったふたりで小型の原爆をつくり、
それをセスナからおとす。
あまりにもかんたんに計画はすすみ、実行にうつされる。
広島と長崎におとされたものよりはるかに強力な原爆を、
こんなにかんたんにつくれるわけがない。
つくるなら、それなりのリアリティがなければ ただの夢ものがたりだ。
なぜ樋口さんは、こうしたスタイルをとったのかに
どうしてもひっかかってしまう。
アメリカがこれまで白人以外の民族にたいしてやってきた
傲慢な歴史を宇津木は指摘する。
それにたいする復讐がアメリカへの原爆投下だ。
もちろんおおくの民間人が犠牲になるわけで、
こんな計画をたて、実行することがただしいわけはない。
ただ、宇津木のおもいは、アメリカにしいたげられてきた民族なら、
かなりの部分で共感できる。
すこしもそうおもわないで、いつまでもアメリカにあやつられる
なさけない国であるのがどうかしているという一面も、たしかにある。
「2009年にアメリカで実施した世論調査によると、
『日本への原爆投下は正しかった』という意見は六割に上がった。
これを聞いて日本人として何も感じないひとはいないだろう。
しかし、アメリカ在住の映画評論家、町山智浩のベストセラー
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』によると、
アメリカ人の二人にひとりは、
日本に原爆を投下した事実を知らないという。
つまり、『原爆投下に賛成』の意見も、半分は疑わしい」
(原爆について)
「八月六日、九日。
人類史最大にして最悪の人体実験が敢行された。
それは規模において、犠牲者の数において、
被害者の子孫がその後も受け続ける偏見や差別、
肉体的精神的苦痛においても、9.11とは比較にならない。
僕はその苦しみを味わった同じ国の人間として、
共通の言語を使う民族として、復讐をしなければいけない」
(原爆投下についてのアメリカ人男性との会話)
「日本に原爆を落としたのは、
戦争を早く終わらせるためだった」
「違う!アメリカはすでに大戦後の世界を見据えていて、
ソ連に対する牽制もあって日本に原爆を落としたんだ。
しかも二発!なんでだと思う?
しらなきゃ教えてあげるよ。
一発はウラン性。もう一発はプルトニウム製。
両方試してみたかったんだ。
投下してすぐにカラーフィルムのカメラで撮影した。
ソ連に対して、世界中に対して、
俺たちは新型爆弾の実験に成功したぞとアピールするために。
白人からしたら黄色人種なんて人間じゃないもんね。
イエローモンキーなんだろ?
第二次世界大戦の張本人であるドイツには落とさなかった。
ドイツ人はユダヤ人を600万人も殺したのに!」
かかれている内容のおおくにわたしは共感する。
原爆投下がどれだけひどいことなのか。
なぜそれを当然だとおもいこまされてきたのか。
宇津木はアメリカばかりを批判するのではなく、
日本が侵略してきた過去をみとめている。
「ああ、わかっている。
日本だってひとのことは言えない。
多くの中国人や韓国人を殺してきた。(中略)
まず認めよう。僕たち日本人に、
韓国や中国に対して拭いきれない差別の感情があることを。(中略)
僕個人としては、靖国で眠る兵隊さんたちを責めたくはない。(中略)
だがしかし、だとしても、
それでも中国や韓国に対して、謝るべきところは謝るべきだとおもう。
もう充分謝ったよと、心の中では思っていたとしてもー。
足を踏まれたものでなければその痛みはわからないのだから」
このバランス感覚がありながら、宇津木はアメリカに原爆をおとす。
その動機は、宇津木が小学生のころにすでに芽ばえていたのだから、
すべてはアメリカが広島と長崎に原爆をおとしたことにはじまっている。
理性や論理でそれが修正されることはない。
かいたのが樋口さんとしらなければ、
すこしは樋口さんの本でもよんでみたら、
なんて著者にいってしまいそうなぐらい
反樋口さん的に青くさく、つたない本だ。
なぜ樋口さんがこの本を、このようにかいたのかがわからない。
2014年04月02日
「目からウロコ」はほんとうか
「目からウロコ」という表現をよくみかける。
これまでおもいこんでいたことがじつはまちがっており、
あることをきっかけによくわかるようになった、という意味だろう。
これまでとまったくちがうあたらしい世界がひらかれた、
みたいなときもつかってある。
「目からウロコが何枚も」
「目からウロコがボロボロと」
など、さらにおおげさにいいあらわしてあることもおおい。
なんとなくわかった気になるこの表現は、はたしてただしいのか。
言語学者の田中克彦さんが、著書『ことばの自由をもとめて』のなかで、
この「目からウロコ」を徹底的に批判されているのをよんだことがある。
わたしは田中さんのはげしい攻撃に、
もうこれで「目からウロコ」はまちがっていると
決着がついた問題だとおもいこんでいた。
それなのに、「目からウロコ」はあいかわらずあまりにもよくみかける。
みんな「目からウロコ」はまちがっているとしらないのだろうか。
わたしは いつまでもこの表現がつかわれつづけることを
不思議におもっていたけれど、
かんがえてみれば、言語学者が批判したからといって、
うのみにしたり、権威をかさにきて否定するなんて なさけない態度だ。
自分のいいとおもう表現をつかいつづけるひとのほうが、
よほど自由で勇気があるといえる。
みんな「目からウロコ」がだいすきなのだろう。
わたしは、気のきかない、そしてまちがった表現として
「目からウロコ」をずっととおざけてきた。
あらためて『ことばの自由をもとめて』をひらいてみると、
田中克彦さんの主張はそう断定的なものではなく、
「目からウロコ」がどう世の中に定着していったのか、
そして、その変化がなにによるものなのかを
おもしろがっておられるみたいだ。
そうつよいいい方で批判されているわけではなかった。
「私の好みから言うと、こんなことばは絶対につかいたくない。
だいたい、ウロコは魚とかヘビにあるかもしれないが、
人間に、ましてや、目などにあってたまるもんか」
というところがつよく印象にのこったようで、
だからといって このことばをつかうのが
まちがっているとはかいてない。
もともと「目からウロコ」は聖書にあることばなのだそうだ。
「何かウロコのようなものが目から剥がれ落ちて、
突然目が見えるようになったというので、
たぶん眼病のかさぶたみたいなものじゃないですか」
と同僚の先生(英文学)が田中さんにおしえてくれたという。
田中さんは外国語の辞典をしらべてみる。
「英、独、仏、いずれも、
ウロコは複数になっているが、ロシア語では単数で出てくる。
そしてこの単数の語の本来の意味は『薄皮、膜』というような意味だから、
『一枚の薄皮』がパラっと剥げたという感じなのに
英、独、仏のほうは、何片ものウロコがぱらぱら、ぽろぽろと
剥げ落ちてくるという、ちょっとかゆくなるような情景である」
こうなると、わたしがおおげさだとおもっていた
「目からウロコが何枚も」
「目からウロコがボロボロと」
はかえって正確に全体像をあわらしていることになる。
すこしまえのブログに、「ペロリとたいらげる」「口にチャック」などの身体表現について、
椎名誠さんが「見たことがない」と批判的にかいているのを紹介した。
こうした感覚からいえば、「目からウロコ」もそうとう奇妙でありえない表現だ。
しかし、あまりにもよく「目からウロコ」をみかけるので、
とうぶんこの表現はなくならないだろうとわたしはおもう。
「目からウロコ」をつかわないひとのほうがめずらしいのではないか。
この手の表現をするのはいまや「目からウロコ」の独壇場であり、
あとはウロコの枚数をたくさんにするぐらいしか
強調する方法がないみたいだ。
田中克彦さんは、「目からうんこが落ちた思いです」
とかかれた手紙をみつけてよろこんでいる。
「目からウロコ」はおかしいとおもいつつかいたから
「うんこ」にずれてしまったのではないかと推測し、
この手紙をかいた女性に共感のエールをおくっている。
「現実にはありえないという点ではウロコもウンコも五十歩百歩なのだ」
というのが田中さんのむすびだ。
あくまでもこれは、田中克彦さんの意見であり、
言語学者がいったからといって賛成する必要はない。
でも、わたしも「目からウロコ」とは距離をおきたいとおもう。
おなじ体験をするのなら、もっとましなものをおとしたい。
そんなことをいっているから、わたしの目にはいつまでもウロコがおおったままで、
不自由な精神をかかえているのだろうか。
これまでおもいこんでいたことがじつはまちがっており、
あることをきっかけによくわかるようになった、という意味だろう。
これまでとまったくちがうあたらしい世界がひらかれた、
みたいなときもつかってある。
「目からウロコが何枚も」
「目からウロコがボロボロと」
など、さらにおおげさにいいあらわしてあることもおおい。
なんとなくわかった気になるこの表現は、はたしてただしいのか。
言語学者の田中克彦さんが、著書『ことばの自由をもとめて』のなかで、
この「目からウロコ」を徹底的に批判されているのをよんだことがある。
わたしは田中さんのはげしい攻撃に、
もうこれで「目からウロコ」はまちがっていると
決着がついた問題だとおもいこんでいた。
それなのに、「目からウロコ」はあいかわらずあまりにもよくみかける。
みんな「目からウロコ」はまちがっているとしらないのだろうか。
わたしは いつまでもこの表現がつかわれつづけることを
不思議におもっていたけれど、
かんがえてみれば、言語学者が批判したからといって、
うのみにしたり、権威をかさにきて否定するなんて なさけない態度だ。
自分のいいとおもう表現をつかいつづけるひとのほうが、
よほど自由で勇気があるといえる。
みんな「目からウロコ」がだいすきなのだろう。
わたしは、気のきかない、そしてまちがった表現として
「目からウロコ」をずっととおざけてきた。
あらためて『ことばの自由をもとめて』をひらいてみると、
田中克彦さんの主張はそう断定的なものではなく、
「目からウロコ」がどう世の中に定着していったのか、
そして、その変化がなにによるものなのかを
おもしろがっておられるみたいだ。
そうつよいいい方で批判されているわけではなかった。
「私の好みから言うと、こんなことばは絶対につかいたくない。
だいたい、ウロコは魚とかヘビにあるかもしれないが、
人間に、ましてや、目などにあってたまるもんか」
というところがつよく印象にのこったようで、
だからといって このことばをつかうのが
まちがっているとはかいてない。
もともと「目からウロコ」は聖書にあることばなのだそうだ。
「何かウロコのようなものが目から剥がれ落ちて、
突然目が見えるようになったというので、
たぶん眼病のかさぶたみたいなものじゃないですか」
と同僚の先生(英文学)が田中さんにおしえてくれたという。
田中さんは外国語の辞典をしらべてみる。
「英、独、仏、いずれも、
ウロコは複数になっているが、ロシア語では単数で出てくる。
そしてこの単数の語の本来の意味は『薄皮、膜』というような意味だから、
『一枚の薄皮』がパラっと剥げたという感じなのに
英、独、仏のほうは、何片ものウロコがぱらぱら、ぽろぽろと
剥げ落ちてくるという、ちょっとかゆくなるような情景である」
こうなると、わたしがおおげさだとおもっていた
「目からウロコが何枚も」
「目からウロコがボロボロと」
はかえって正確に全体像をあわらしていることになる。
すこしまえのブログに、「ペロリとたいらげる」「口にチャック」などの身体表現について、
椎名誠さんが「見たことがない」と批判的にかいているのを紹介した。
こうした感覚からいえば、「目からウロコ」もそうとう奇妙でありえない表現だ。
しかし、あまりにもよく「目からウロコ」をみかけるので、
とうぶんこの表現はなくならないだろうとわたしはおもう。
「目からウロコ」をつかわないひとのほうがめずらしいのではないか。
この手の表現をするのはいまや「目からウロコ」の独壇場であり、
あとはウロコの枚数をたくさんにするぐらいしか
強調する方法がないみたいだ。
田中克彦さんは、「目からうんこが落ちた思いです」
とかかれた手紙をみつけてよろこんでいる。
「目からウロコ」はおかしいとおもいつつかいたから
「うんこ」にずれてしまったのではないかと推測し、
この手紙をかいた女性に共感のエールをおくっている。
「現実にはありえないという点ではウロコもウンコも五十歩百歩なのだ」
というのが田中さんのむすびだ。
あくまでもこれは、田中克彦さんの意見であり、
言語学者がいったからといって賛成する必要はない。
でも、わたしも「目からウロコ」とは距離をおきたいとおもう。
おなじ体験をするのなら、もっとましなものをおとしたい。
そんなことをいっているから、わたしの目にはいつまでもウロコがおおったままで、
不自由な精神をかかえているのだろうか。
2014年04月01日
なつかしさから、つい手にとった『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫)
『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫・中公文庫)
古本屋さんで『どくとるマンボウ航海記』を目にする。
なつかしさから、つい手にとってみる。
中公文庫から1978年に出版された本だ。
わたしが中学生のころによんだのとおなじ版で、値段は240円。
いまは版元が新潮文庫にかわり、452円になっている。
40年もまえの本なので、活字がかなりちいさくて、
いまのわたしには老眼鏡をかけても
ながくよむのはつらい。
わたしは『どくとるマンボウ青春期』から
北杜夫の世界にはいった。
北杜夫というより、おとなの本の世界、ともいえる。
それまでとても自分にはわからないだろうと
敬遠していたおとなの本を、
おそるおそる手にするようになったのは、
北杜夫が敷居をひくくしてくれたおかげだ。
小学6年生のときに『青春記』をよみ、
しばらく北杜夫の本ばかりをあさっていた。
この『どくとるマンボウ航海記』も、そうしたときによんだ一冊だ。
それからは、北杜夫の本にでてくる作家、吉行淳之介や山口瞳へと手をのばし、
すきになった作家から芋づる式に、というよみかたになる。
そのすべてが北杜夫からはじまったのだから、
わたしにとって特別な作家だ。
『どくとるマンボウ航海記』は、探検をするわけでも、
自分でヨットをあやつるのでもなく、
「航海記」という名にひかれてよんだわたしとしては
期待していたような本ではなかった。
むつかしい内容ではないとはいえ、寄港地での酒場のはなしなど、
子どもにはピンとこないこともおおかったのだろう。
『航海記』は、いまではよくみかける旅行記のジャンルだけど、
1958年は、まだ自由に外国旅行のできる時代ではなかった。
そもそも北杜夫がのった船は、マグロの調査船であり、
その船医という身分なので、だれにでもまねができる方法ではない
(本書にならって関係ないことをかくと、このころからマグロ漁はすでに
イタリアや南米を基地として、世界的に展開していたことがわかる)。
「私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、
くらだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりはないが
書かない方がいくらかマシなことだけを書くことにした」(あとがき)
は、けしておおげさではない。
「航海記」とはいいながら、航海とは関係のない、
どうでもいいようなことを、
あっちにいって、こっちにとんでと
どこまでもよこみちにそれる。
本はまじめなもの、まじめでなければ、というかたぐるしさが、
この本にはすこしもみられない。
めったにできない体験として、外国の町をおとずれているのだから、
ついもっともらしい所見をのべたくなるところなのに、
日本との比較や分析にはまったくふれられていない。
外国にびびることなく、たとえヨーロッパであっても、
自由に、ふてぶてしくみてまわれるひとは
この当時、そういなかったのではないか。
よんでなにかのやくにたつ本ではないけれど、
ページのはしばしからかんじる自由な雰囲気がすきだ。
日本人がはじめてたのしんだ世界旅行であり、
その旅行記として、たかく評価している。
もちろん、おとなの本の世界への、おもいでの一冊としても。
古本屋さんで『どくとるマンボウ航海記』を目にする。
なつかしさから、つい手にとってみる。
中公文庫から1978年に出版された本だ。
わたしが中学生のころによんだのとおなじ版で、値段は240円。
いまは版元が新潮文庫にかわり、452円になっている。
40年もまえの本なので、活字がかなりちいさくて、
いまのわたしには老眼鏡をかけても
ながくよむのはつらい。
わたしは『どくとるマンボウ青春期』から
北杜夫の世界にはいった。
北杜夫というより、おとなの本の世界、ともいえる。
それまでとても自分にはわからないだろうと
敬遠していたおとなの本を、
おそるおそる手にするようになったのは、
北杜夫が敷居をひくくしてくれたおかげだ。
小学6年生のときに『青春記』をよみ、
しばらく北杜夫の本ばかりをあさっていた。
この『どくとるマンボウ航海記』も、そうしたときによんだ一冊だ。
それからは、北杜夫の本にでてくる作家、吉行淳之介や山口瞳へと手をのばし、
すきになった作家から芋づる式に、というよみかたになる。
そのすべてが北杜夫からはじまったのだから、
わたしにとって特別な作家だ。
『どくとるマンボウ航海記』は、探検をするわけでも、
自分でヨットをあやつるのでもなく、
「航海記」という名にひかれてよんだわたしとしては
期待していたような本ではなかった。
むつかしい内容ではないとはいえ、寄港地での酒場のはなしなど、
子どもにはピンとこないこともおおかったのだろう。
『航海記』は、いまではよくみかける旅行記のジャンルだけど、
1958年は、まだ自由に外国旅行のできる時代ではなかった。
そもそも北杜夫がのった船は、マグロの調査船であり、
その船医という身分なので、だれにでもまねができる方法ではない
(本書にならって関係ないことをかくと、このころからマグロ漁はすでに
イタリアや南米を基地として、世界的に展開していたことがわかる)。
「私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、
くらだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりはないが
書かない方がいくらかマシなことだけを書くことにした」(あとがき)
は、けしておおげさではない。
「航海記」とはいいながら、航海とは関係のない、
どうでもいいようなことを、
あっちにいって、こっちにとんでと
どこまでもよこみちにそれる。
本はまじめなもの、まじめでなければ、というかたぐるしさが、
この本にはすこしもみられない。
めったにできない体験として、外国の町をおとずれているのだから、
ついもっともらしい所見をのべたくなるところなのに、
日本との比較や分析にはまったくふれられていない。
外国にびびることなく、たとえヨーロッパであっても、
自由に、ふてぶてしくみてまわれるひとは
この当時、そういなかったのではないか。
よんでなにかのやくにたつ本ではないけれど、
ページのはしばしからかんじる自由な雰囲気がすきだ。
日本人がはじめてたのしんだ世界旅行であり、
その旅行記として、たかく評価している。
もちろん、おとなの本の世界への、おもいでの一冊としても。