2014年04月03日

『テロルのすべて』(樋口毅宏)なぜ樋口さんはこの本をかいたかに、ずっとひっかかる

『テロルのすべて』(樋口毅宏・徳間文庫)

アメリカぎらいの日本人のわかものが、
アメリカに原爆をおとす計画をたて、実行する。

解説をふくめても189ページのうすい本だ。
やま場もなく、淡々とはなしがすすむ。
だいそれたころろざしをもち、
じっさいに原爆をつくり、おとそうとするのだから、
ふつうだったらもっとぶあつくて、こみいったストーリーになるところを、
なぜ、あえて稚拙なかきかたをえらんだのか。
これではまるで中学生がかいた夏やすみの宿題だ。
樋口さんのほかの本をしるものからすると、
この『テロルのすべて』はいかにもものたりない。
主人公の宇津木は、ボストンにある一流の大学でまなぶ秀才であり、
この程度の本をかく人物にはおもえない。
このうすい本で、この内容をあらわそうとした
樋口さんの意図はどこにあるのだろう。

宇津木がアメリカに原爆をおとそうとした動機と
アメリカがこれまでにやってきた負の歴史が、
本書のなかでくりかえしかたられる。
テロなのだから、狂信的なわかものが
とんでもないことを計画するのはわかる。
ついていけないのは、そこにリアリティがないからだ。

天才的な頭脳をもつわかものが、
たったふたりで小型の原爆をつくり、
それをセスナからおとす。
あまりにもかんたんに計画はすすみ、実行にうつされる。
広島と長崎におとされたものよりはるかに強力な原爆を、
こんなにかんたんにつくれるわけがない。
つくるなら、それなりのリアリティがなければ ただの夢ものがたりだ。
なぜ樋口さんは、こうしたスタイルをとったのかに
どうしてもひっかかってしまう。

アメリカがこれまで白人以外の民族にたいしてやってきた
傲慢な歴史を宇津木は指摘する。
それにたいする復讐がアメリカへの原爆投下だ。
もちろんおおくの民間人が犠牲になるわけで、
こんな計画をたて、実行することがただしいわけはない。
ただ、宇津木のおもいは、アメリカにしいたげられてきた民族なら、
かなりの部分で共感できる。
すこしもそうおもわないで、いつまでもアメリカにあやつられる
なさけない国であるのがどうかしているという一面も、たしかにある。

「2009年にアメリカで実施した世論調査によると、
『日本への原爆投下は正しかった』という意見は六割に上がった。
これを聞いて日本人として何も感じないひとはいないだろう。
しかし、アメリカ在住の映画評論家、町山智浩のベストセラー
『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』によると、
アメリカ人の二人にひとりは、
日本に原爆を投下した事実を知らないという。
つまり、『原爆投下に賛成』の意見も、半分は疑わしい」

(原爆について)
「八月六日、九日。
人類史最大にして最悪の人体実験が敢行された。
それは規模において、犠牲者の数において、
被害者の子孫がその後も受け続ける偏見や差別、
肉体的精神的苦痛においても、9.11とは比較にならない。
僕はその苦しみを味わった同じ国の人間として、
共通の言語を使う民族として、復讐をしなければいけない」

(原爆投下についてのアメリカ人男性との会話)
「日本に原爆を落としたのは、
戦争を早く終わらせるためだった」
「違う!アメリカはすでに大戦後の世界を見据えていて、
ソ連に対する牽制もあって日本に原爆を落としたんだ。
しかも二発!なんでだと思う?
しらなきゃ教えてあげるよ。
一発はウラン性。もう一発はプルトニウム製。
両方試してみたかったんだ。
投下してすぐにカラーフィルムのカメラで撮影した。
ソ連に対して、世界中に対して、
俺たちは新型爆弾の実験に成功したぞとアピールするために。
白人からしたら黄色人種なんて人間じゃないもんね。
イエローモンキーなんだろ?
第二次世界大戦の張本人であるドイツには落とさなかった。
ドイツ人はユダヤ人を600万人も殺したのに!」

かかれている内容のおおくにわたしは共感する。
原爆投下がどれだけひどいことなのか。
なぜそれを当然だとおもいこまされてきたのか。
宇津木はアメリカばかりを批判するのではなく、
日本が侵略してきた過去をみとめている。

「ああ、わかっている。
日本だってひとのことは言えない。
多くの中国人や韓国人を殺してきた。(中略)
まず認めよう。僕たち日本人に、
韓国や中国に対して拭いきれない差別の感情があることを。(中略)
僕個人としては、靖国で眠る兵隊さんたちを責めたくはない。(中略)
だがしかし、だとしても、
それでも中国や韓国に対して、謝るべきところは謝るべきだとおもう。
もう充分謝ったよと、心の中では思っていたとしてもー。
足を踏まれたものでなければその痛みはわからないのだから」

このバランス感覚がありながら、宇津木はアメリカに原爆をおとす。
その動機は、宇津木が小学生のころにすでに芽ばえていたのだから、
すべてはアメリカが広島と長崎に原爆をおとしたことにはじまっている。
理性や論理でそれが修正されることはない。

かいたのが樋口さんとしらなければ、
すこしは樋口さんの本でもよんでみたら、
なんて著者にいってしまいそうなぐらい
反樋口さん的に青くさく、つたない本だ。
なぜ樋口さんがこの本を、このようにかいたのかがわからない。

posted by カルピス at 19:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする