『本の雑誌5月号』は宮田珠己さんの記事がおもしろかった。
雪がつもったはなしと、ベッドのうえにおく、
おりたたみ式のテーブルをかったはなしだ。
2週連続でつもった雪に 近所のひとがおおあわてしているとき、
宮田さんは家のまえにすべり台をつくっていたそうだ。
「車の出し入れの邪魔になる」と奥さんはおこっていたが、
・こんな雪の中、車でどこに行くというのか
・だいていチェーンもスタッドレスも待ってないじゃないか
・今すべり台を作らないで、いつ作るんだ
ということで無視する。
「妻という生き物は、どうしてそんな一見正論のようで、
その実ものすごくつまらないことを言うのだろうか」
宮田さんの3つの理由は、それはそれでちゃんとした理屈におもえるのに、
奥さんに「邪魔になる」といわれると、
アブクのようによわよわしい「いいわけ」におもえてくる。
「一見正論のようで、すごくつまらないこと」は
男と女の役割分担みたいなもので、
男が現実からはなれたことをいうと、
女はすぐに正論をつっこんでくる。
世のなかただしいことばかりがのぞまれているわけではないのに、
男はたいていくやしいおもいをする。
「翌日から腰痛で動けず、
雪かきを妻に任せることになって、また怒られる」
というのがすべり台の結末だ。宮田さんの人生の必然をおもわせる。
ベッドのうえにおくテーブルをかったのは、
ベッドのうえで仕事をするからで、
なぜベッドのうえかというと、机がうもれてしまったからだ。
「読みかけの本はもちろんのこと、資料やらノートやら、
筆記道具やら電卓やらがパソコンの前を占領し、
さらに年賀状の束やら、CDやら、一眼レフに至っては
2台も机上にのっかっている。
ひとつは300ミリの望遠レンズ付きだ。それとあと、石。
もやは自分の机で仕事をすることは不可能になりつつある」
雪がつもったからすべり台をつくる → 腰がいたくなって奥さんにしかられる
パソコンのまえにものをおく → 机がつかえなくなる
ぜんぜんちがったことをしてるのに、
兄弟みたいによくにた結果をうんでいる。
これが宮田さんの魅力なのだろう。
さいわいベッドのうえでの仕事はよくはかどっているそうだ。
奥さんがどんな正論をのべられたかはかいてない。
もうひとつかんがえさせられたのが
「80歳になったら」という青山南さんの記事だ。
ポール=オースターが、80歳になったときの自分を
どうイメージしていたかについて、青山さんの想像がかかれている。
その内容というより、「80歳になったら」というタイトルをみて、
わたしは自分が80歳になったときのことのイメージを、
まったくもっていないことにはじめて気づいた。
あと30年もたつと、生きているかぎり80歳になるわけで、
そのときの自分がどんなコンディションになっているか。
痴呆がでているかもしれない。オムツをしているかもしれない。
スタスタあるけなくなって、車いすにのっているかもしれない。
だれかの介護をうけているかもしれない。
いれ歯ばかりでよくものをかめなくなっているかもしれない。
歳をとればかならずついてくる「老化現象」を、
自分のこととしてかんがえたことがなかった。
80歳になったとき、気のあう友だちはいるだろうか。
すこしぐらいはおこづかいをもっているだろうか。
80歳から逆算していまの生活をくみたてるなんて とてもできないけど、
たのしい生活をおくれないようでは なんのためのなが生きかわからない。
すこしぐらいは自分の老後をイメージしておいたほうがよさそうだ。