このまえよんだ鈴木孝夫さんの『人にはどれだけの物が必要か』には、
地球がぜんぶ自分のものだとおもえば、
その地球に負担をかけないようするし、
ゴミひろいも苦ではない、ということがかいてあった。
わたしは、自分のものとおもうと、かえってケチになってしまうところがある。
たとえば、スーパーでかいものをするときに、
自分だけのためにはお金をつかいたくないのに、
家族みんなでたべる食材については、
あまりケチなことをかんがえない。
季節はずれのたかいものなどはかわないが、
必要なものにはあまりためらわずにカゴにいれていく。
必要なんだから、と。
職場についてもそうで、会社のお金だと、
必要であればたかくてもかうのにためらいはない。
自分用にはMac版のエクセルなんてかわないけど、
会社でつかうとなれば、すぐに電気屋さんへいく。
ネオオフィスですますより、エクセルのほうがつかいやすいのだから、
けっきょくはそうしたほうが効率的で会社のためだろう。
お金は、自分のものだとおもうからケチケチしてしまう。
お金はみんなのもの、とおもったほうが、
わたしにはお金の価値を正統に評価できるようだ。
そのへんの感覚がさえているひとは、
自分のお金でも必要なことにはどんどん投資できるのだろう。
旅行をしたり美術館をたずねたりたかいレストランへいったり。
インプットがなければアウトプットもできない。
アウトプットもちろん大切だけど、
そもそものインプットはどうしても必要な自分への投資だ。
わたしは、本についてはかなり寛大な気もちでつきあうことができる。
自分でよむものでも、気にいった本をひとにプレゼントするにも
あまりもったいないとはおもわない(ある程度は)。
それ以外については、お金の価値をじょうずにいかせない。
ネコのチャコを毎日病院へつれていったとき、
自分のサイフからそのつどしはらうのは、心理的にいくぶん抵抗があったので、
貯金をおろし、特別枠の会計として別のサイフにいれた。
そうすると、自分のお金であっても、
すこしたかいところから客観的にみることができる。
かわいいチャコのためなのだから、
3000円ぐらいスパッとはらえたらいいけど、
毎日となればこうした頭のきりかえがわたしには有効だった。
もちろんチャコへの出費がおしいわけではないけど、
それはそれ、これはこれ、だ。
こういう、特別枠としてあつかうと、お金と適切な距離をたもちやすい。
お金の価値を、客観的にみれるようになるのではないか。
自分にたいして必要な投資をするときに、
ためらわずにお金を手ばなすには、
自分のものとおもわないであつかえたほうがいい。
とはいえ、会社のように年度ごとの特別枠予算をたてて、
自分への必要な投資を確保するのはいかにもめんどくさい。
ふだんからものの価値を正統にみとめ、
必要なことにはためらわずにつかえたほうがいい。
そういうひとを粋というのだろう。
そのためには、わたしはお金を自分のものとおもわないほうがいいみたいだ。