2014年04月19日

お金はだれのものか

このまえよんだ鈴木孝夫さんの『人にはどれだけの物が必要か』には、
地球がぜんぶ自分のものだとおもえば、
その地球に負担をかけないようするし、
ゴミひろいも苦ではない、ということがかいてあった。

わたしは、自分のものとおもうと、かえってケチになってしまうところがある。
たとえば、スーパーでかいものをするときに、
自分だけのためにはお金をつかいたくないのに、
家族みんなでたべる食材については、
あまりケチなことをかんがえない。
季節はずれのたかいものなどはかわないが、
必要なものにはあまりためらわずにカゴにいれていく。
必要なんだから、と。

職場についてもそうで、会社のお金だと、
必要であればたかくてもかうのにためらいはない。
自分用にはMac版のエクセルなんてかわないけど、
会社でつかうとなれば、すぐに電気屋さんへいく。
ネオオフィスですますより、エクセルのほうがつかいやすいのだから、
けっきょくはそうしたほうが効率的で会社のためだろう。
お金は、自分のものだとおもうからケチケチしてしまう。
お金はみんなのもの、とおもったほうが、
わたしにはお金の価値を正統に評価できるようだ。

そのへんの感覚がさえているひとは、
自分のお金でも必要なことにはどんどん投資できるのだろう。
旅行をしたり美術館をたずねたりたかいレストランへいったり。
インプットがなければアウトプットもできない。
アウトプットもちろん大切だけど、
そもそものインプットはどうしても必要な自分への投資だ。

わたしは、本についてはかなり寛大な気もちでつきあうことができる。
自分でよむものでも、気にいった本をひとにプレゼントするにも
あまりもったいないとはおもわない(ある程度は)。
それ以外については、お金の価値をじょうずにいかせない。

ネコのチャコを毎日病院へつれていったとき、
自分のサイフからそのつどしはらうのは、心理的にいくぶん抵抗があったので、
貯金をおろし、特別枠の会計として別のサイフにいれた。
そうすると、自分のお金であっても、
すこしたかいところから客観的にみることができる。
かわいいチャコのためなのだから、
3000円ぐらいスパッとはらえたらいいけど、
毎日となればこうした頭のきりかえがわたしには有効だった。
もちろんチャコへの出費がおしいわけではないけど、
それはそれ、これはこれ、だ。

こういう、特別枠としてあつかうと、お金と適切な距離をたもちやすい。
お金の価値を、客観的にみれるようになるのではないか。
自分にたいして必要な投資をするときに、
ためらわずにお金を手ばなすには、
自分のものとおもわないであつかえたほうがいい。

とはいえ、会社のように年度ごとの特別枠予算をたてて、
自分への必要な投資を確保するのはいかにもめんどくさい。
ふだんからものの価値を正統にみとめ、
必要なことにはためらわずにつかえたほうがいい。
そういうひとを粋というのだろう。
そのためには、わたしはお金を自分のものとおもわないほうがいいみたいだ。

posted by カルピス at 11:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする