2014年04月20日

手づくり料理をむすこにのこされたわたしは

椎名誠さんの本にのっていたスパゲッティをときどきつくる。
「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」みたいななまえだったとおもう。
ゆでたてのスパゲッティに、かつおぶしとショーユ、それにマヨネーズをかけて
すばやくまぜる、という、ただそれだけの「料理」で、
ただそれだけなのに ひじょうにおいしい。

きのうのおひるごはんとして、高校生のむすこに
この「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をつくると、
あろうことか半分以上ものこされてしまった。
いつもながら「ほんとにおいしいなー」と感心しながらわたしはたべたのに、
むすこはいっしょにつくったチャーハンばかりに手をだし、
けっきょく「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をのこしたまま
「ごちそうさま」とつぶやいた。
たべもににたいするこのみがゆるやかで、
わたしがつくるへんな料理でも
(味つけもだけど、メンとごはんというくみあわせにおいても)、
文句をいわずたべてくれることが
かずすくないむすこのいいところだったのに。
そういえば、このまえは博多の「棒ラーメン」ものこしている。
むすこは棒ラーメンのよさがわからないようで、
袋いりのインスタントラーメンのほうがいいといっていた。
いよいよむすこも、思春期特有の、むつかしい時期をむかえたのだろうか。

わたしはこれまで「ほんもの」をたべさせようと、
カレー・ピザ・タジン・クスクス・フォーなど、
外国の料理をわれながら精密に再現して
料理当番としてのつとめをはたしてきた。
たとえばカレーは、よく男がひとりよがりでつくる
ややこしいカリーなどではなく、
ほんとにインドでたべられているのとおなじ(とおもう)カレーだ。
もちろんカレー粉などはつかわずに、スパイスだけでつくる。
べつにむすこのためをおもってのことではなく、
自分がたべたいからつくっただけにしろ、
むすこの舌はかなりの程度 国際化がすすんでいるとおもっていた。
「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」にしても、
そこらへんのレストランでだすいかがわしい料理よりも、
ずっとスパゲッティの本質をとらえた逸品として評価できるもの(のはず)だ。

わたしは「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をすこしアレンジして、
かつおぶしではなくバターをいれている。
バターとかつおぶしとにまったく関連はなく、
ただわたしがバターがすきだからだけど、ショーユともよくあう。
きょう「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をのこしたむすこのひとことは
「あぶらがきつくて」だった。
もしかしたら、これはむすこの舌がただしいのであり、
バターとマヨネーズをたっぷりいれてかきまぜる、
わたしのアレンジに無理があるのだろうか。
なんにでもすききらいをいわないことがとりえだったむすこに、
たてつづけで得意料理をのこされてしまったわたしはすこしキズつき、
料理当番としての自信をうしなってしまった。

posted by カルピス at 08:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする