2014年05月31日

アナログ時代の成果をこえられないクラウド時代の知的生産

「シゴタノ!」の佐々木正悟さんが
エバーノートによる日記にふれるなかで、
梅棹忠夫さんの「京大式カード」がでてくる。
http://cyblog.jp/modules/weblogs/15169

「梅棹さんがEvernoteのことを知ったら
『なんてぜいたくな!』と思うことでしょう。
しかし『京大式カード』でたいへんな苦労をしつつ
『記憶検索システム』によって作り上げられたほどの成果を、
私がEvernoteから得られているとはとうてい思えません。
個人的にはいやな話なのですが、
苦労を経ないで得たシステムにふれていると、
ありがたみを十分実感する以前の段階までしか、
なかなか行き着けないようなのです」

これは、まさしくわたしが仕事術関係の記事をよむときに
かんじていることだ。
タスク管理など、さまざまな工夫をこらしながら、
いったいそのひとは全体としてどんな成果をあげているのか。
梅棹さんや川喜田さんみたいに、
壮大な仕事をまとめるのが仕事術の役割であり、
どんな仕事をしたのかこそが大切なはずだ。

自分のいたらなさのはなしでもある。
ネットとつねにつながり、クラウドツールをつかえる環境にあるわたしが、
ではその機能をどれだけ知的生産にいかせているか。
便利さにひたるだけで、
アナログ時代とたいしてちがわないことをしているにすぎない。

梅棹さんは、個人の知的生産をたかめる技術を、
川喜田さんはグループの衆知をあつめる方法をおしえてくれた。
それらはだれでもつかえる技術ではあるけれど、
それらをつかってどんな成果をあげるのかは
それぞれの利用者にかかっている。
ある段階までは、それでいける。
そして、天才たちはそのさきへ
技術とはちがうはしごをつかってのぼっていくのだ。
仕事の成果をきめるさいごの一歩は、
けっきょくのところひじょうに感覚的なもので、
アナログやデジタルということは本質と関係がない。

せっかく梅棹さんが大衆レベルまでおりてきて、
わたしたちにしめしてくれた知的生産の技術を、
ネット時代になったからといって画期的にたかめられないのは、
さいごの一線をこえるのが、技術ではなく感覚の問題だからだ。
ただ、これでは凡人は天才になれないという、
身もフタもないはなしになってしまう。
一般大衆による知的生産の技術に梅棹さんは期待したのであり、
だれもがさいごの一線をこえる必要はない。
個人としては画期的な変化がなくても、
全体としての知的生産の蓄積は、
いぜんとはくらべものにならないレベルにたっしているはずだ。
一人ひとの知的生産についても、
どんな成果をあげたいのかについて目的をはっきりさせれば、
クラウド時代の恩恵をいかせるのではないか。

佐々木さんのいわれる
「苦労を経ないで得たシステムにふれていると、
ありがたみを十分実感する以前の段階までしか、
なかなか行き着けない」
は、ほんとうにそのとおりだとおもう。
便利さをもとめるだけでは成果がでない。
なにができるか、ではなく、なにをしたいか、
そして、なにをしたかがとわれる。

posted by カルピス at 10:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月30日

『ばかごはん』(べつやくれい)好奇心と鉄の胃袋との しあわせなであい

『ばかごはん』(べつやくれい・アスペクト)

デイリーポータルZに掲載された記事を編集した本だ。

・具でパンをはさめば逆サンド
・どこまでお子様ランチか
・キャトルミューティレーションしてみたい
・どうにかしてプリンをウニにしたい
・カルボナーラめしとちらしスパ

など19編がおさめられている。

「ばかが作ったごはんを見て
『ばかだなー』と思うための本です」

というのが本書のコンセプトで、
でも「ばかだなー」とはならずに、
すごいなー、と感心することがおおい。
べつやくさんは、なにか料理をみると、
「こうしたらよさそう」と工夫したくなるひとみたいで、
その好奇心は、かなりめんどくさい実験にもおよんでいく。

たとえば「どこまでお子様ランチか」では、
お子様ランチをお子様ランチたらしめているのは
あの旗にちがいない、という仮説をもとに、
いろいろな料理に旗をたてて
それがお子様ランチにみえるかどうかをためしている。
たしかに、旗がたててあるとたのしそうで「お子様ランチ」的になる。
その効果がおよばないのが「青菜いため」で、
白いごはんだけのおちゃわんに旗をたててもかなりさびしい。

結論として、「お子様ランチになれないもの」は
・色が地味なもの
・華やかさがないもの
・手抜き感あふれるもの
・草っぽいもの
・子どもがこのまなそうなもの
という結果がでた。
だからなんなのだ、なんていってはいけない。
これらはすべて、ためさなければわからなかったことだ。
それをすべて実行したべつやくさんの探究心は
りっぱな研究者といってよい。

「カルボナーラめしとちらしスパ」は、
タイトルどおり
ごはんにカルボナーラソースをかけ、
スパゲティにちらしずしの具をのせている。
そんなこと、べつやくさん以外に、だれがおもいつくだろう。
それがまたおいしかった、というからべつやくさんの胃袋は健康だ。
カルボナーラめしについては
「知らないだけでこういう料理があるんじゃないか」
ちらしスパは
「寿司というより新しい食べ物という感じだ」
というたのもしいコメントがかきこまれている。

たとえもうまい。
湯のかわりに鶏ガラスープでカップヌードルをつくったときは
・カップヌードルのスープっぽくない味がする
・あのジャンクさはどこへ
・逆に、麺のジャンクさが際立つ結果に
として、
「例えるなら一人だけ劇画のまんが」とあり、
ドラえもんのキャラクターのなかで、
のび太くんだけがゴルゴ13の劇画タッチでえがかれている、
そんなかんじらしい。

よみおえてかんじるのは、この本は料理の本ではないかもしれない、
ということだ。ほんのちょっとしたひと手間で、
みちがえるようにおいしくなる工夫、などではなく、
まさしく帯にあるとおりの
「へんてこな食べ物をめぐる
壮大な時間の無駄!」であり、
食に関するまったくあたらしいジャンルをひらいたともいえる。
いろいろためしてみてのコメントで、
よくあるのが「普通においしい」だ。
ほんとに「普通においし」かったのだろうけど、
なんだか残念そうなひびきもふくんでいる。

わたしがはじめてべつやくさんの作品にであったのは、
「スパゲッティにソース味がないのは何でだ」という記事だった。
あまりそういうことは疑問におもわないけど、
べつやくさんの脳はそうした問題にすぐスイッチがはいる。
そして、はじめにおもいついた疑問がかたづいても、
そのさきへさらに工夫をひろげていく。
「スパゲッティのソース味問題」については、
スパゲティのメンでヤキソバをつくり、
ヤキソバのメンでナポリタンをつくり、
もしかしたらいけるかも、と
野菜ジュースでつくったインスタントラーメンをためしている。
あらゆるバリエーションをためそうとする熱意は
探検家としての資質をかんじる。

なによりもすごいのは、料理の本をみると、
たいていはいく品かつくってみたくなるのに、
この本はまっったくそういう気がおこらなかったことだ。
ここまで実用をはなれられたのは、
完全に研究の対象として食にむかったからで、
べつやくさんには「おいしく」しようという意図が
すこしもなかった。
「おいしく」はならないけれど、
よむひとをしあわせにする、
『ばかごはん』はそんなすてきな本だ。
料理のレパートリーをふやそうとなどかんがえず、
純粋に学問としての購入をすすめたい。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

西郷へのプチ旅行(雑感)

きのうの葬儀は神式でおこなわれた。
お坊さんではなく神主さんが式をすすめていく。
お経とちがい、日本語をはなしてくれるので、
はなされる内容をききとることができる。
意味のわからない外国語を
ありがたがってきかなければならないお経よりも
ずっと身ぢかに葬儀をかんじられた。
葬儀の時間も30分とみじかく、
権威的な雰囲気でもっともらしさを演出しようとする仏式よりも
手づくり感があり、好感をもった。

かえりのフェリーのりばには
おみやげ屋さんがあって、
鷹の爪の商品をいくつかうっていた。
本土からたった2時間半とはいえ、
はるばる島にやってきた気がしていたわたしには、
おもいがけない吉田くんとの再会であり、
こんなところでも「世界征服」していることをうれしくおもった。
おみやげをかわない主義のわたしだけれど、
「鷹の爪のおやつ」という名のスナックがほしくなってレジにもっていく。
「世界征服の味」がすると袋にかいてある。
販売者は島根県雲南市にある「株式会社キンヤMA」となっており、
袋の充実したレイアウトから
蛙男商会による全面的なバックアップがみてとれる。
表側では、鷹の爪のメンバーたちがそれぞれひとことずつつぶやいている。
デラックスファイターは「買え!」だし、総統は「お土産に最適!」といっている。
吉田くんによると「島根県産とうがらし使用!」なのだそうだ。
もしおいしかったらうれしいし、期待はずれの味でも
たしかにおみやげばなしにはなる。
DSCN1580.JPG
きのうはいいお天気だったので、そと海にでてもまったく波がなかった。
だったらフェリーでの船よいはないかというと、
やっぱりそれなりに気もちのわるいゆれがあり、
よいどめの薬をのんでいたのにもかかわらず
わたしは横になって目をとじている時間がながかった。
もしこれで海があれていたら、どうなっていただろう。
このごろ豪華客船によるクルーズがよく新聞の広告にのっているけれど、
わたしには船の旅はとてもたのしめそうにない。

フェリーといえば、韓国での事故をおもいうかべる。
じっさいに自分が乗客になっても、
救命胴衣や救命ボートの確認まで気がまわらない。
ホテルにとまっても、わざわざ避難経路をたしかめたりしないのといっしょだ。
救命胴衣は休憩室の棚にはいっているようで、
いくつはいっているか、という数と、
いつそれをチェックしたのかという紙がはってあった。
あの事故をうけて、臨時の点検がおこなわれたのか、
わりと最近の日づけになっていた。

連休にどこへもでかけなかったし、
計画していたおでかけを延期したので、
日がえりでの隠岐の島ゆきは、葬儀のためとはいえ
旅行気分を味あわせてくれた。
平凡な日常のつらなりがわたしはすきだけど、
たまにはこうしてうごきをつくるのもわるくない。
ふだんはできない体験をもち、ゆっくりはなしをできないひとと
いつもはしないとおしゃべりをたのしめた。
『異邦人』の冒頭がチラッと頭をかすめる。
母親の死をつたえる電報をうけ、ムルソーはバスにのって
養老院のある町へでかけた。
きゅうなしらせと それにつづく移動。そして通夜と葬儀。
町にもどると、まるで死がなかったかのように
またいつもの日常がはじまる。
「まったくの日曜日だった」と
退屈ないちにちを淡々とやりすごす場面がわたしはすきだ。

posted by カルピス at 12:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

障害者介護とともに生きる恩人の、ひとつのくぎり

お世話になっている方のお母さんがなくなられ、
隠岐の島であった葬儀にでかける。

わたしが介護の仕事をはじめたのは、
そのひととであえたことがきっかけになっている。
自分がこれからどう生きていけばいいのかわからなかったとき、
たまたまそのひとがおられる共同作業所で仕事をえることができた。
33歳と、年齢だけはいっちょまえでも
まともに仕事をつづけたことがないわたしに、
そのひとは仕事のやり方とたのしさをおしえてくれ、
自分への自信をとりもどすことができた。

1990年代には、共同作業所という名前の介護事業所が
日本中につくられていた。
社会福祉法人が経営する施設だけではぜんぜん数がたりず、
かといって厚生省(当時)はそれ以上の施設をふやすことに消極的だった。
そんな状況のなか、活動の場からはじきだされた障害者のいきさきとして、
無認可の作業所をつくるのがおもな方法となっていた。
無認可とは、文字どおり公的にはみとめられていない事業所のことで、
行政としては自分たちが依頼していないのに、
かってにつくって活動している、という位置づけをしていた。
あなたたちがすきでやっているのだから、
わたしたちにはお金をだす義務はありませんよ、ということだ。

わたしがすむ町は、20人規模の作業所に、
年間の運営費として570万円の補助をだしていた。
20人も利用者がいれば、職員は5人は必要であり、
そんな施設を570万円でやれ、というのがはじめから無理なはなしだ。
いいとこ2ヶ月分だろうか。でも、その条件をのむしかない。
不足する運営費を確保するために、バザーを企画したり、
後援会を組織することがどうしても必要となり、
日中は、障害者といっしょに廃油せっけんなどをつくり、
夕方からは運営費かせぎの活動を、というのがあたりまえになっていた。
障害特性についての専門的な知識をえるよりも、
バザーや映画会の企画・実行がおもな仕事になっている。
いいことではないが、当時としては
そうやって仕事をつづけるしか方法がないとおもっていた。

しかし、いつまでもそうやって運営費づくりにエネルギーをむけていては、
組織として、また職員たちの体力もつづかなくなっていく。
わたしがつとめてから3年目に、その作業所は法人化をめざすことになり、
それはそれでたいへんな事務仕事をこなしながら、
立派な法人施設をつくりあげた。

これらをすべて、そのひとが中心なってやってきた。
そのひとひとりではできなかったかもしれないが、
そのひとがいなければぜったいにできなかった仕事だ。
職員や運営委員たちをまとめ、理事会を組織し、
資金の調達や設計・施行にも目をくばる。

そうやって、やっとのことでたちあげた法人施設なのに、
そのひとは3年目にやめてしまった。
わたしもべつの理由から、ほぼおなじときに退職したこともあり、
そのあといっしょにあたらしい事業所をはじめることになる。

そうやって、ずっといっしょに仕事をつづけてきた恩人が、
きょうは喪主となってあいさつをした。
自分や家族のことよりも、ずっと仕事を中心に
エネルギーをそそいできたひとなので、
お母さんよりなが生きできたのが、
いちばんの親孝行におもえた。
りっぱな仕事をいまもつづけているむすこが、
お母さんはきっとほこらしかったことだろう。
そういう生きかたをえらんできたひとが
家族や親族にかこまれて
またべつの顔をみせている。
お母さんがなくなったことで、どんな気もちの整理をされたのだろう。

わたしは介護に情熱をかたむけるよりも、
自分の生活を大切にするダメな支援者となってしまったが、
そのひとはいまも仕事にからめとられた生活をつづけ、
どんな支援がもとめられているかをいつもかんがえつづけている。
いまさらぬけるわけにはいかず、
ここまできたら、このままつきぬけていくしかないようにみえる。
そのひとと、事業所の将来について、
わたしにできるのは、もうみまもりだけだ。

posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

わりとあっさりあきらめるサッカー的な価値観

女子サッカーアジア杯の決勝で日本がオーストラリアを1-0でやぶり、
初優勝をきめた。4大会連続ベスト4どまりだったこともあり、
「どうしてもほしいタイトル」と選手たちはくちにしていた。
アジア杯は、国際サッカー連盟(FIFA)が国際試合日と位置づけておらず、
ヨーロッパのチームに所属する6人の選手が限定的な参加にとどまっている
(大儀見選手は予選リーグのみ参加)。
主力選手がいなくても、優勝をきめたのだからたいしたものだ。

今回は、FIFAの規定によりヨーロッパの選手をよべなかったけど、
なかなかベストメンバーがそろわない、
そろわないものは、それはそれでしかたがない、といううけとめ方が
サッカーのひとつの特徴とはいえないだろうか。

サッカーでは、ケガや体調不良により、
だいじな試合であったもつねにベストメンバーがそろうとはかぎらない。
天皇杯の予選など、外国人選手や監督は帰省していることさえある。
競技としのサッカーをしたことのないわたしには、
ここらへんの感覚がいまひとつ理解できない。

もちろん、サッカーが非常にはげしいスポーツであり、
中途半端な体調では試合にのぞめないことはわかっている。
しかし、それを考慮したうえでも、なお
サッカーの選手・監督たちは、わりとあっさり「しかたがない」
とあきらめられるようにおもう。
それは、サッカー的といえる価値観ではないだろうか。

ひとつの仮説として、
サッカーは都合のつくものがあつまって
試合を成立させていたおおむかしの記憶を
いまものこしているのではないか。
村対抗の群衆フットボールでは、
ベストメンバーがどうのこうのうのよりも、
都合のつくものがあつまって、
それでなんとかやりくりして実現させる「あそび」だった。
用事があったり、ケガをしていたらしかたがない、
あつまったものでなんとかやりくりする。
1年にいちどのおまつりなのだから、
かちまけ だけにこだわるのではなく、
おまつりとしてのフットボールをもりあげようとする社交の精神だ。
「なにがなんでも」ではなく、都合のつくものでやりくりしようとする価値観を
サッカーはいまもうけついでいるのではないか。

アジア杯での優勝がきまると、解説者や新聞・ネットの論調は
ベテラン選手と若手との融合がうまくすすんだと評価するものだった。
わたしにはあいかわらずW杯経験者だよりのチームにおもえたけれど、
とにかく海外のチームに所属する6人をかきながら、
優勝という結果をだせたのはすばらしい。
大会で試合をかさねるうちに、なんとかかたちをととのえた代表チームは
サッカーらしい精神をみごとに体現したといえる。
いまいる選手たちでアジア杯にのぞむ、
あつまれない選手のことをどうこういってもしかたがない、
これが自分たちの実力なのだ、というサッカーらしいわりきりだ。
こういうのも、歴史と経験をかさねなければ身につかない
サッカーのつよさなのかもしれない。

posted by カルピス at 22:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

べつやくれいさんがだいすき。おそるべし「べつやくメソッド」

「デイリーポータル」にのっている
「べつやくれい」さんの記事にひかれている。
であいは「スパゲッティにソース味がないのは何でだ」という記事だった。
http://portal.nifty.com/kiji/140403163728_1.htm
これは、タイトルどおり、スパゲティにはいろんな味つけがあるのに、
なぜソース味だけはないのか、という疑問を追求したものだ。
まずスパゲティのメンでヤキソバをつくり、
つぎにヤキソバのメンでナポリタンをつくり、
さらにインスタントラーメンを野菜ジュースでつくりと、
おもいつくままに料理の可能性をためしている。
なんといっても絵がいいことと、
女性とはおもえない発想がおかしい。

で、いくつかべつやくさんの記事をよんでいるうちに、
「べつやくメソッド」という
とんでもない技術をおもいつかれたことをしった。
http://portal.nifty.com/2007/03/17/a/
「メソッド」というぐらいだから、
パソコンのソフトにもなり(残念ながらウィンドウズだけ)
おおくのひとが恩恵にあずかっている。

これは、どんなメソッドなのかというと、
おもったことを円グラフにかきこめば、
いろんな情報が視覚的にわかりやすく表現できる、というものだ。
頭にうかんだ感情のおおきさ・つよさが、グラフにそのままあらわされる。

「日本生まれの可視化手法『べつやくメソッド』とその支援ツール」が、
 http://blogs.itmedia.co.jp/knowledge/2007/04/post_3bc2.html
「べつやくメソッド」の概要をつたえている。

「“べつやくメソッド”とは、感想やインスピレーションなどを
1つの円グラフで表現する一種のプレゼンテーション技法。
複数の要素を印象の強い順に大きく表示することで、
文章で説明するよりも端的に内容を伝えられるのが特徴だ」
graph02_09.jpg
「『べつやくメソッド』では手書き風のフォントの素朴さが、
円グラフの理解度の促進に一役買っている。
アルファベット文字圏にこのような素朴な手書き風のフォントがあるのか、私は知らない。
『べつやくメソッド』が国際的になるためには、
このフォント問題がハードルになる可能性はある」

この、もっともな指摘については、「へた字フォント」が用意されている。
じょうずな字では感情がつたわらないので、
なんとしてもべつやくさん風のフォントがもとめられた
(わざとへたにかくのは、パソコンにとって
むつかしいことらしい)。
「へた字フォント」の開発により、
利用者が、べつやくさんの雰囲気を
かんたんに再現できる環境となった。

すばらしい。絵がかけるって、いいなー。
おそるべし、べつやくれい。
べつやくれいの、これはひとつの到達点だ!

などとズラズラかくよりも、
円グラフにしてしまうとたしかによくわかる。
このメソッドが開発されたのは2007年で、
あまりこの円グラフをみかけないのは
国際化にあたってなにかほかの欠陥があったのかもしれない。

べつやくれいさんの絵と発想にふれていると、
かたくとじたこころがほぐされていく。
わたしは、こういう世界で生きたいのではないか。
これこそが、わたしの生きるみちではないか。
わたしはいったいなにをまよっているのだろう。
しあわせになりたかったら、べつやくれいだ。

posted by カルピス at 11:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月25日

『訓読みのはなし』(笹原宏之)訓よみの問題点を整理し、日本語の将来に期待する

『訓読みのはなし』(笹原宏之・角川ソフィア文庫)

小学校の国語のテストでは、ひとつの漢字について
「音よみと訓よみをかきなさい」
という問題がよくだされた。
わたしはこれがなんのことかまったくわからず、
けっきょくおとなになるまで、
音よみと訓よみがごちゃごちゃになっていた。
あるときから、音よみは中国語で 訓よみは日本語、と
自分なりにとらえることで、なんとなくこの問題をやりすごした。

ひとつの漢字について、音よみと訓よみをどうわけるかしらなくても、
日常生活でこまることはない。
こまらないけれど、日本語を正確にかくことをかんがえると、
漢字の訓よみはおおきな問題をかかえている。

漢字には、ふたつの問題がある。
ひとつは、たくさんの漢字をおぼえなければならないという労力の問題で、
もうひとつが、日本ではひとつの漢字をなんとおりにもよめてしまい、
正書法が確立できない、ということだ。
漢字の訓よみは、日本だけでおこなわれているそうで、
自由といえばきこえがいいけれど、
それぞれのかき手が適当に漢字をつかい、おくりがなをふっている。

さまざまな面で影響をうけていた梅棹忠夫さんが、
訓よみの漢字はつかわないという原則をしめしておられたので、
20代のころからわたしもまねをするようになった。
訓よみのなにが問題かというと、
訓よみの漢字はおくりがながあいまいになり、
正書法として不正確になるからだ。
たとえば「おこなう」を漢字でかくときは
「行う」と「行なう」のどちらなのか。
いちおうきまりがあることになっているけれど
(内閣告示・訓令「送り仮名の付け方」)、
じっさいはどちらの「おこなう」もつかわれている。
また、本書でもとりあげてあるように、「行った」
とかかれていると、「いった」のか「おこなった」のかが
ふりがながなければわからない。

漢字をなんとおりにでもよめることが、なぜ問題なのか。
本書では、社会保険庁の年金記録不備問題を例にあげて、

「名字や名前には二つ以上の読みが存在する、
という日本語そのものの特徴を軽視したことにも一因があった」

と指摘している。
「上村」は「うえむら」なのか「かみむら」なのか。
名字や名前は とくにさまざまなよみかたがみとめられており、
訓よみのおおきな弊害となっている。

「たとえば『和』の字には、『かず』をはじめとして
『あきら』『かなう』『しずか』『すなお』『たかし』『ただし』『ちか』『とし』『なごみ』(中略)など、
人の名として確認されているものだけで数十にものぼる読みが挙げられる」

というから、もうメチャクチャな状態なのだ。

笹原さんは、「だから訓よみはよくないのだ」とはかいていないけれど、
本書の「おわりに」では、

「『ことばは人が生かしている』のであって主体は我々自身である。
必要なことばを表記する文字を適切に選び変えていくことの責任は重い」

という指摘があり、訓よみの制限を支持されているようにおもえる。
日本人は、日本語について、これからどんな変化をえらんでいくのだろうか。

笹原さんのたち位置は非常に公平で、
「◯◯でなければならない」といったきめつけがいっさいない。
漢字のよさを強調するでもなく、
問題点に絶望するのでもなく、
状況を整理したうえで、これからの変化に期待されている。

「ローマ字だけで日本語を記す人たちや、
カタカナだけで記している人たちも確かに存在しており、
より良い日本語表記を目指した様々な努力も続けられている」

というとらえ方は、できれば漢字をつかわずに、という立場のわたしにとって、
とても気もちがいいものだった。
わたしは、訓よみには漢字をつかわないかきかたが、
訓よみの問題をさける現実的な方法におもえる。
しかし、なにかほかにもわかりやすく日本語がかける
原則があるかもしれない。
漢字のつかい方は、ネットの存在もおおきな影響をあたえるだろう。
日本語が、わかりやすく まなびやすいことばに変化するよう ねがっている。

posted by カルピス at 12:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

『そらをみてますないてます』(椎名誠)クライマックスへ、人生はどうつながっていたか

『そらをみてますないてます』(椎名誠・文春文庫)

すこしまえのブログでふれたように、
これは、青年期と40代の、2つのものがたりが交互にかたられる私小説だ。
だんだんとそのふたつが交差しはじめる。
椎名さんが「あとがき」で種あかしをしている。

「二重構成になっているこのなかの『ひとつの話』は
まあぼくの体験してきた19歳ぐらいから22歳ぐらいまでの
どうにもあぶなっかしい物語を時間の経過どおりに書きました。
それとは別にぼくが実際に行ってきた、
結果的には探検や冒険のようになってしまった世界各地への旅話を、
今度は時間軸を反対にして、その双方を分解し、
パッチワークのようにからみあわせて話をすすめるようにしました」

椎名さんがかかわった楼蘭探検やパタゴニアへの取材は
べつの本ですでになんどもよんできている。
しかし、私小説であるこの本のほうが、
ルポの単行本よりも、その旅のたいへんさがつたわってきた。
ルポものでは、気象条件などの現地の特殊な状況が説明してあっても、
人間関係などのドロドロした部分にはふれられていない。
小説のほうが、ルポよりもリアルなのはめずらしい体験だ。

これまでによんだ椎名さんの本のなかで、
ジャンルをこえていちばんよみごたえがあった。
椎名さんのファンとしては、いくつものルポや取材が、
そしてわかいころのアルバイトが、そういうふうにつながっていたのかと、
解説つきでよんでいるように腑におちる。
これは、「つながり」についての小説でもあった。

キーワードのひとつとして、「つながり」とはべつに
「人生のクライマックス」がでてくる。

「もし、自分のこれまでの人生でクライマックスと呼べるような『一瞬』
あるいは『時』があるとしたらそれは何時のことでした?
というような質問を本気でされて、
それに本気でこたえなければならない場合があるとしたら
おれはなんとこたえるだろう。
そういうことを真剣に考えたことがある。
わりあい早く『その時』が見つかった。
そうだ。たぶんあのときが人生のクライマックスだったのだろう」

こうかかれているのが13ページ目で、
そのクライマックスをずっと頭におきながらよんでいくことになる。
しかし、クライマックスばかりに意識をおいていると、 
そこにむけたいろいろなつながりがみえなくなってしまう。

ものがたりのいちばんさいごは、
空港で むかえにきた奥さんに気づく場面だ。

「表情は影になっていてよくわからなかったが、
とにかく妻は一人でちゃんとそこに立っていた」

パタゴニアでの取材中、「おれ」はずっと奥さんの精神状態を心配していた。
無事に奥さんがあらわれて、読者としてはやれやれと安心するのだけど、
このむかえもまた ひとつのつながりをうんでいる。

「(妻の)むこう側に雪を頂いたチベットの山々や、
広漠としたタクラマカンの茶色い砂漠が見えるような気がした」

ちなみに、わたしのクライマックスはいつだっただろう。
『キッズ・リターン』みたいに「まだはじまってもいねーよ」
とはさすがにもういえない。
クライマックスというより、なだらかな丘、
くらいのときはたしかにあった。
丘ではだめ、ということになると、
わたしの人生にはクライマックスがなかったことになる。
それはべつに わるいことではないとおもう。

posted by カルピス at 16:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月23日

放課後等デイサービスとしてのピピの3年め

ピピの総会がひらかれる。
放課後等デイサービスという事業をはじめてから3年めをむかえ、
今年度は2700万円の予算をくんでいる。
利用者が10人定員の事業所として最大の、いちにち12人にたっし、
いまの規模としてはもうこれ以上うけいれられないほど
ピピの利用を希望するひとがふえている。

最初から順調だったわけではない。
1年めは利用者がすくなくて、
まともな給料をはらえなかった。
半年たって、やっと月給が15万円だ。もちろんボーナスはない。
2年めをむかえるときから、状況がおおきくかわった。
年間の利用者が、平均で9.8人となり、
サービスうりあげがはじめの年の倍にふえたのだ。
利用がふえると職員配置を手あつくすることになり、
それによって加配加算がみとめられるので、さらにうりあげがのびた。

うけいれ状況をととのえると、
いちにちのサービスうりあげが、ひとりあたり約1万円なので、
10人が利用すれば、一ヶ月に200万円の収入となる。
夏やすみなどの長期休暇はべつとして、
平日は放課後だけの営業なので、
事業としてかんがえるとわりのいい仕事だ。
おなじ町に、いくつもの放課後等デイサービスができたのも、
ほとんど設備投資をしなくてもはじめられる事業、
というソロバンをはじいたところがおおかったからではないか。
いまでは市内に10ほどの放課後等デイサービスがととのえられた。
なかには2つめ、3つめの事業所をひらいているところもある。

放課後等デイサービスのおもしろさは、
「放課後」という位置づけの自由さにある。
学校の延長でもなく、塾でもない。
学童保育にちかいけど、もっと手あつい職員配置がとれる。
職員がすくなければ「みまもり」的なうけいれとなり、
テレビやDVDをみてすごす、なんていうことになりがちだけど、
10人の子どもたちに5〜6人の職員がいれば、
こまかなところにも目をくばれるようになる。
これは、なんでも職員が手つだうということではなく、
反対に、できるだけ職員はなにもしない。
なにもしないためには、職員の手あつい配置が必要なのだ。
子どもたちがひとりで、あるいは友だちといっしょにあそべるように
環境をととのえるのが、この仕事のおもしろさだ。

わたしの役割は、「ゆるさ」をどうたもつかだとおもっている。
まじめさも適度におさえながら、自由さをうしなわないこと。
保護者や同業者、そして行政との連携が必要なので、
まるっきりゆるゆるではやっていけないけれど、
できるだけ「なんでもあり」のゆるい場所でありたい。
子どもたちがおおきくなって学校を卒業し、
あとでピピをおもいだしたときに、
あそこがあってよかった、とおもってもらえたらうれしい。

posted by カルピス at 11:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月22日

自転車と自由

事業所から子どもたちをそれぞれの家におくるとき、
ながくきつい坂を、自転車がのぼっていくのがみえた。
スタンドもついているので、
本格的な自転車のりではないようだ。
そもそもそもながぐつをはいている。
でも、回転をおとさずに、いいリズムで一直線にすすんでいるようすから、
すばらしい体力のもちぬしにおもえる。
すれちがうとき横をみると、笑顔をうかべて自転車をこいでいた。
おじさん、というほど歳はとってないみたいだ。30歳ぐらいか。
自転車はクロスバイクだった。
すごくたのしそうだ。

ひとりの子をおくり、県道にぬける山道をとおると
またその自転車といっしょになった。
そんなにとばしてはいないけど、
一定のスピードをたもっている。
県道にでると、自転車はさらにきつい坂のまつ 峠にむけてすすんでいった。
坂なんて、なんともおもっていないのがよくわかった。

これがロードレーサーで、
ヘルメットとはでなウェアできめた自転車のりだったら
なんともおもわない。
かるい自転車でいいですね、くらいか。
とくにスピードがでるわけでもないクロスバイクにのって、
普段着にながぐつという格好で
軽々と坂道をのぼっていくから 自由さがきわだった。

自転車が自由なのりものとよくいうけれど、
坂をなんともおもわない精神と筋肉があれば、
という条件がつく。
どんな坂でもそれなりにきついし、
電動アシストではサイクリングらしくない。

自転車とつきあうには、坂とどうむきあうかを はっきりさせないといけない。
わたしだったら おりてしまわないまでも、
極端にギアをさげてヘロヘロの蛇行走行になったり、
そもそもそんな坂をとおろうともおもわないような道を
体力にすぐれた自転車のりは、なんのためらいもなくのぼっていく。

自転車って、どこまでもいけるな、といまさらながらおもった。
こんなに自由なのりものだったことを、
そのひとのはしりをみるまで わたしはわすれていた。
とびきりの自転車でなくても、ウェアをきめなくても、
あるていどの筋肉と、坂なんてなんともおもわない
自由な気もちがあればあんなふうにはしれるのだ。

まえにみたテレビ番組で、ひとりの旅行者が
自転車でモスクワをめざしていた。
最終日、きょうでやっとモスクワにはいれる、という日は
雪まじりのつめたい雨がふっている。
自転車の横を 大型トラックがどんどんすぎていき、
さぞかしいやな心境だろうとおもってみていたら、
そのひとは「わくわくしてきました」とはなしていた。
おいこすトラックから風圧をうけ、騒音もひどいのに、
その音が自分をもりあげているように かんじられたという。

別の番組では、自転車で旅行中、
パンクの修理をするのがたのしい、というひとがでてきた。
やればどんどんうまくなるので「パンクはだいすき」という。

「いやだなー」とおもえばなんでもたのしくなくなる。
たのしいとおもえば雨でも騒音でも、パンクでもたのしい。
かんがえ方ひとつ、というのはおもしろくないけど、
どうせやることはおなじなのだから、
たのしくなるかんがえ方のほうがいい。
筋肉はきゅうにはつかないけど、
かんがえ方はどうにでもかえらえる。
坂なんてなんでもない、というふうに、
らくらくと自転車をこぐ ながぐつお兄さんの自由さがすてきだった。

posted by カルピス at 21:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月21日

アルマイト製の四角いお弁当箱へのあこがれ あるいはお弁当小説としての『そらをみてますないてます』(椎名誠)

椎名誠の『そらをみてますないてます』(文春文庫)をよみかけている。
まだわかいころの青年期と、40代になり、
楼蘭探検や厳冬期のシベリアをおとずれるはなしが
交互でかたられる私小説だ。
わかいころの舞台は、オリンピック景気にわく東京で
飯場仕事で汗をながす場面がおおい。

そこに、アルマイト製の弁当箱がなんどもでてきて、いい味をだしている。
ぎっしりご飯がつめられたいわゆる「どか弁」で、
肉体労働でへとへとになったからだに
このアルマイト製の四角いお弁当箱が
どれだけありがたい存在だったかがつたわってくる。

まえにホームセンターへお弁当箱をかいにいったとき、
たくさん商品はありながら、なかなか気にいるものにであえなかった。
おおきさと機能の両方に 納得できるものがないのだ。
むかしながらの箱型のアルマイト弁当箱でいいや、とおもうのに、
それもまたない。
「どか弁」はもうすたれてしまったのかとネットをみると、
キャラクター商品みたいなチャラチャラした子ども用として
アルマイト製お弁当箱は生きのこっていた。
そして、「どか弁」型アルマイト製お弁当箱もまた、
レトロな味わいがみなおされつつあるようだ。

わたしがこのまえまでつかっていたお弁当箱は、
上下2段にわかれたプラスチック製のものだ。
配偶者が「もしよければ」とかってくれたので
とくによくはないけど、
「あまりよくない」とはいいにくい微妙な存在だった。
そのまえはプラスチック製の箱型で、
密閉できるようにゴムがはいっていたり、
パチッとフタがしまるような工夫がかえってアダとなり、
あらいにくかったりこわれやすかったりした。
お弁当箱は、アルマイト製にとどめをさす、とおもうようになった。

本屋さんをぶらついていたら
いろんなひとがたべているお弁当を紹介した写真集があり、
その表紙にうつっている四角いアルマイト製のお弁当箱がうつくしかった。
無骨なお弁当箱に、ぎっしりと定番のおかずがつめられている。
塩シャケ・タマゴヤキ・野菜の煮しめ・たくあん、それにもちろん梅ぼし。
人生のよろこびは、はらぺこでかかえるアルマイト製弁当箱なのではないか、
とおもわせるいい写真だ。

このごろは午後からでかける仕事となり、
お弁当をつくらない生活になった。
のこりものをガサゴソやるのもわるくないけど、
写真集にうつっていたような
定番おかずをつめこんだアルマイト製のお弁当箱にあこがれる。
トレーニングやジョギングではなく、
肉体労働によってつくりだされたはらぺこ状態で
アルマイト製のお弁当箱をかかえたい。

『そらをみてますないてます』は、本筋もおもしろいけど、
その脇にはいつもアルマイト製のお弁当箱があって、
お弁当箱へのおもいがかきたてられる「お弁当小説」でもある。

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2014年05月20日

外国人が食を旅行の目的にしないのはなぜか

「クールジャパン」でご当地グルメについてやっていた。

この番組は、抵抗をかんじながらついみてしまう。
なにがわたしの神経をさかなでするのだろう。
外国人ゲストのだれもがじょうずに英語をはなすのが
おもしろくないのかもしれない。
共通語は日本語のほうがいいし、
そうでないなら母語をはなせばいいのに、
イタリア人もブラジル人も中国人も南アフリカ人も、
みんな英語をはなすのはクールなのか。

ということはともかくとして、
ゲストたちによると、イタリア以外の国は、食の地域性があまりないそうだ。
どこもおなじようなものをたべているという
(ゲストの発言がその国を代表してしまうので、
その意見が事実なのかどうかはわからない)。
なによりも、たべることを目的とした旅行は
かんがえられないという発言におどろいた。
イギリスでもし「ヨークシャーパイをたべにヨークシャーへいこう!」と
ともだちにいったら「ほんとに?」と怪訝な顔をされるのだそうだ。
日本人にとって、食と旅行はきりはなせないものなのに、
外国人とはそんなに感覚がちがうものなのか。
旅行とは彼らにとって観光や名所旧跡めぐりをすることなのだそうだ。

みかけはおなじように旅行へでかけ、
おなじようにその町のたたずまいをたのしんでいるようでも、
日本人と外国人はぜんぜん別のことをやっているというのがすごい。
こういうのは、いわれないとわからない。
日本の旅行会社がつくるチラシは、
とくに国内むけではあきらかにたべもののことばかり強調してある。
ご当地グルメをめがけての旅行は、日本独特のスタイルだったのだ。

旅は宿である、というひとがいるけれど、
わたしは きっぱり旅は食である、といいきれる。
旅行記をよんでいても、たべもののことがかいてないとものたりないし、
かいてあればたいていそこへでかけたくなる。
いちどだけ自転車をもっていって
タイとマレーシアをはしったことがある。
それも、自転車をこげばおなかがすいて、
めずらしいものをたくさんたべられるから、
というのがおおきな理由になっていた。

『愛と哀しみの果て』で印象にのこるのは、
サファリにでかけたレッドフォードとメリル=ストリープが
夜のキャンプ場でヨーロッパスタイルの夕食をとるシーンだ。
ワインがひやされ、食後のデザートとしてオレンジの皮をむいていた。
ああやって、列強の国々は、
植民地に自分たちの文化をもちこみ、ひろげていったのだ。
現地の食にはまったく関心をむけず、
ただ自分たちが自分たちの国でやっていることを
アフリカでもつづけようとした。

日本人の食にむけた好奇心は、健全な精神のあらわれではないか。
自分たちの文化だけでなく、ほかの地域の食にも敬意をはらっている。
文化に優劣はないことを、すくなくとも食においては実践してきたのだ。
ほかの町でなにをたべているのか関心がないなんて、
なんというまずしい精神だろう。

これまで旅行したなかで、いちばん気にいった料理は
ネパールの定番定食であるダルバートだ。
ダル(豆でつくったカレー)をごはんにかけてたべる。
タルカリ(つけあわせのおかず)とダルの相性が絶妙で、
毎日たべてもまったくあきない。
国の料理としてはタイ料理がいちばんだとおもう。
たかいレストランにはいったことがない。
屋台や食堂でじゅうぶんおいしい料理をたべさせてくれる。
ベトナムへいったのもフォーがたべたかったからだし、
中国も目的は水餃子だった。
観光をめざしてでかけた旅行は
アンコール・ワットだけかもしれない。

どこの国の料理もそれぞれおいしくたべてきた。
わたしは日本料理がいちばんとはおもわない。
その土地のひとにとって、その土地の料理がいちばんにきまっている。
わたしが100年まえのアフリカでメリル=ストリープと夕食をとれたら、
きっとコックに土地の料理を準備してもらい、
ハチミツでつくった酒で乾杯しているだろう。
異文化の食に関心をむけない白人たちより
ずっとクールな生活をおくったにちがいない。

posted by カルピス at 21:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月19日

ちょんまげ隊長 ツンさんのとりくみにおどろく

サッカーライター宇都宮徹壱さんの記事で
「被災地の子どもたちをブラジルに!」
というプロジェクトをしった。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2014/columndtl/201404210005-spnavi?page
サッカー日本代表の応援でしられる ちょんまげ隊長ツンさんのとりくみだ。
ちょんまげのカツラと、お手製のヨロイできめたツンさんを
日本代表の試合でみかけたひとはおおいだろう。
よくそんなに外国での試合にかけつけるなーというおどろきと、
奇をてらったその姿にうさんくささもかんじ、
なんなんだこのひとは、と
わたしはあまりいい印象をもっていなかった。

そのツンさんが、Wカップブラジル大会に、
牡鹿半島の子どもたちを招待しようとしている。
宇都宮さんの記事から、ツンさんは代表の応援だけでなく、
被災地支援もずっとつづけてきたことをしる。
ツンさんは、ものすごくかっこいいひとだったのだ。

「この間、数えてみたら東北には(この3年間で)56回行きました。
そのうち牡鹿半島には約半分の25回。
それと報告会は、今年だけで30回は開催しましたね。
(AFC U−22選手権が行われた)オマーンに行った時には、
その周辺国のカタールとUAEにも足を伸ばして2週間に11回。
あとは、シンガポール、プノンペン(カンボジア)、上海(中国)、台湾でも開催しました」

というから、これはたいへんなひとだ。

男鹿半島にこだわるのは、そこが陸の孤島ともいうべき
とざされた地域だからという。
そういう地域にすむ子どもたちだからこそ、
ブラジル大会に招待したいとツンさんはおもいたった。

ツンさんは、とくにサッカーがすきだったわけではなく、
ドーハの悲劇のときに、たまたま関心をもった
「にわかサポーター」なのだそうだ。
99年から海外での観戦をはじめ、
カツラ&ヨロイのスタイルにたどりついた。
応援するのはA代表だけでなく、
2012年に女子のU-20Wカップが日本でおこなわれたときには
もりあがりにかける大会を心配し、
「U-20女子Wカップ盛り上げ隊」をたちあげ
「集客・応援・感謝」をめざした活動を展開している。
「感謝」とは、東日本大震災たいして
世界中からあつまった支援にたいするものだ。

「いろいろ支援をありがとう。
日本は未来に向かって歩き始めてます」

と、16の言語でかいた横断幕をツンさんたちは用意して
感謝の気もちを世界にしめした。

ツンさんは、基本的にひとりで活動をおこなっている。
NPOをたちあげるというやり方をついおもいうかべるが、
ツンさんはひとりでやるときのスピードを大切にしている。

「大きな組織を作ったり、頼ったりするのではなく、
この指止まれ方式でやっています。
チームを組んで夏で暑いから被災地にアイスクリームを持っていきたいと思っても、
いやいやアイスよりビタミンがいるから野菜だよって言われたら
その船=チームは動かない。
でも僕がこうしますと言ったところに乗っかってくるシステムだと、
その船はすごいスピードで動くわけです。
賛同するやつだけその船に乗ってくれればいい。
ジョインするのも自由だし、離れるのも自由だし」

自由にうごきまわるツンさんがすてきだ。
ツンさんの活動は、それまで自分がやってきたことの延長線にある。
震災がおきたとき、自分になにができるかをといかけると、
仕事であつかうクツをおくることをおもいついた。
被災地にかよいつづけるうちに、必要とされることをみきわめ、
おもいついたことを実行する。
男鹿半島の子どもたちをブラジルに招待するのは、
ツンさんにとったら、自然な発想なのだろう。
ツンさんは、応援が必要なひとをみかけると、
声をかけずにはおれない ほんもののサポーターだ。

きょねん、わたしは地元でおこなわれるハーフマラソンのレースに
被災地のランナーを招待しようとおもいつき、
職場のサイトにその記事をのせた。
アイデアはよかったとおもうが、
サイトにのせただけではなんのといあわせもなく、
企画だおれにおわってしまった。
ツンさんの行動力をしると、たかだかそれぐらいの案をおもいついただけで
あとはなにもせずにほったらかしていた自分がはずかしい。

「被災地の子どもたちをブラジルに!」のプロジェクトは
目標にしていた金額があつまり、4人の子どもたちを
招待できることになったそうだ。
ツンさん(とツンさんを支援するひとたち)のとりくみが
成功することをねがいつつ、
自分たちの招待企画も実行させようとおもった。
いつか、どこかの国のどこかの会場で、
ツンさんといっしょに日本代表を応援したい。

posted by カルピス at 14:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

祝 エントリー1000回。(ほんとはまだだけど)

1000回というエントリー数は、わたしがひとつの目標としていたものだ。
それにあと14回とせまった。
900回以上、これまでかいてきたのだから、
あと14回ぐらいなんとかなるだろう。

1000回のまえにこうして記事にするのは
フライングもいいところで、かなりかっこわるいけど、
「鷹の爪の吉田くん」の名をかりる以上、こうした調子のよさは
かかせないのではないか。
あんまり冷静にかまえて「1000回?フッ・・・」とうそぶくのは
吉田くんらしくない。
ここは、中途半端な数のうちに
さきばしりして おいわいするのが「鷹の爪」の道ではないか、
とおもうようになった。

Gunosyで「わたしが3ヶ月ブログをつづけられた理由」なんて記事をみかけると、
3ヶ月くらいでえばるんじゃないよ、みたいな反発をかんじていた。
世の中には、10年つづけているひとがいるというのに、
たかだか3ヶ月がどうしたというのだ。
それでは1000回はそんなにえらいのかというと、
これはもう完全に自己満足でしかない。
10年をまえにしたらぜんぜんかすんでしまうし、
そもそも つづけばいいというものではないのだ。
継続は惰性なだけかもしれない。

高野秀行さんの『放っておいても明日は来る』がわたしはすきで、
『間違う力』とともに座右の銘にしている。
なにをどう心配したところで、明日はちゃんときてくれるのだ。
しかし、ほおっておいても明日はくるけど、
ほおっておいたらブログの1000回目はこないのがこまったところだ。
ほおっておいてもブログがかけるしくみをつくれたらいいけど、
わたしはそんなに勤勉ではない。
それが、こうして(ほぼ)1000回をむかえるのは
わたしとしてはよくつづけられたと、素直によろこんでおきたい。
かきたいときにかく、ではまずかかないだろうし、
週に◯回、と回数をきめると かえってそれにしばられそうなので、
とにかく毎日更新することにした。
それぐらいでしか 営業努力をしめせない、ということもある。

1000回をむかえたときに、どういう反応をしめすのか、
しばらくまえからかんがえていた。
たかだか1000回なのに えらそうなことをかくのはかっこわるいので、
1000回をしばらくこえた時点で、
そういえば1000回がすぎました、ととぼけるか。
あるいはまったく1000回についてふれないか(きっと無理だ。自慢したくなる)。
1000回をきりに、もうやめてしまう手もある(やめられないだろうけど)。
で、今回のようにフライングでおいわいすることにしたのだ。

最近かいた記事のタイトルをざっとふりかえると、
たのしくかけたのが3割というところだ。
野球の3割バッターといえばたいしたものだし、
サッカーで勝率3割は監督の首があぶない。
わたしのブログは、こんなものかな、という気がしている。
いいたいことがうまくいえたら、たしかにたのしい。
それで気がすむようなブログなので、
これからもきっとこのままズルズルいくだろう。

posted by カルピス at 12:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月17日

「やる気」のなさがメリットになる場合もある

「やる気さえあればなんとかなる」、とよくいわれる。
ちがういいかたをすると、やる気がなければどうしようもない、ということだ。
なにかをはじめるときに、
それにたいしてあまり知識をもっていなくても、
「やる気」があればなんとかのりきれる。
まわりの協力や運も大切とはいえ、
なによりもまずそのひとに「やる気」があるかどうか。
かなり特殊な場合でないかぎり、
事業経営については「やる気」がなければ、はなしにならない。

でも、そこに「いる」というだけで意味のあるひともたしかにいて、
そういうひとはあまり「やる気」をもってないほうがうまくいくような気がする。
糸井重里さんがすこしまえの「今日のダーリン」にかかれていたおじさんは
そんなひとだ。

「娘が、学校に通っているころに思ったことがあります。
 校庭に、小さい家を建ててね、
 そこに普通のおじさんが住んでたらいいのに、と。
 学校でおもしろくないことがあったときとか、
 なんか家のことで心配ごとがあるときとか、
 誰それとけんかしたとか、腹が減ったとか、
 映画や小説の話がしたいときとか、
 『校庭のおじさん』のところに行くんですよ。
 おじさんは、教育者じゃないわけだから、
 必ずしも『正しい』とされることを言うわけじゃない。
 いや、『正しい』よりも大事なことを教えるんです」

このおじさんは、とくに教育熱心で、
子どものことをずっとかんがえているわけではないだろう。
ただそこにいてくれて、子どもたちがふっとたちよれるような存在なのに意味がある。
学校の保健室を必要とする子がいるのは、
そこにいる先生が 教室でのできごとや、勉強とは
はなれた存在なのではなしやすいのだろう。
「ののちゃん」にでてくる藤原先生が、
もしほんとうに担任だったらいろいろ問題がありそうだけど、
保健室の先生ならいい味をだせそうだ。

こうした場合、やる気のなさがメリットになっている。
相手がもとめ、せっしやすいのは、
肩からちからがぬけ、仕事熱心でないひとだ。
なにもいわないで、そこにいることだけが
もとめられる場合もある。
トトロだって、そいいう存在ではないか。
トトロはさつきやメイによくしてあげよう、なんておもっていない。
なんだかわからない、おおきなものが、そこにいてくれるだけでいいのだ。

わたしは、「校庭のおじさん」みたいな存在でいたいとおもう。
「ありたい」といっても、なれるものではないかもしれない。
気がついたら、そういう存在だった、というかんじか。
「いる」だけでありがたい存在であるには、
じつはすごいちからを必要とする、なんて教訓めいたはなしではなく、
ほんとうに、ただそこに「いる」だけのおじさんだ。
職場でそんなことを正面からいうと、さしさわりがあるかもしれないけど、
年齢がある程度にたっすると、だんだん「おじさん性」を発揮しても
ゆるされるようにならないだろうか。
なにかを「なす」のではなく「いる」だけでいいとなれば、
やる気のなさがメリットになる場合もある。
それはべつにわるいことではないと、ときどきかんがえる。

posted by カルピス at 16:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月16日

島根県の道路標識がさらに英語をとりいれることについての抵抗感

きのうの朝日新聞島根版に、道路標識の変更についての記事がのった。
「外国人に分かりやすく」するためらしい。
こういう記事がのるといつもひっかかるのは、
「外国人」とはだれのことなのか、ということと、
英語にしたら、ほんとうにわかりやすくなるのか、ということだ。

2013年12月末における島根県在住の外国人は5,301人で、
そのうちアメリカ人が120人、イギリス人15人など、
英語を母語とする外国人は156人しかいない。割合でいうと2.9%だ。
観光客も、おそらくほとんどは非英語圏からのひとたちで、
そのひとたちにむけて英語の表示を用意する意味はなんなのだろう。
英語が世界の共通語であるかのような、
こういう施策はおかしくないか。

ローマ字についてのサイト「ローマ字あいうえお」によると、
http://green.adam.ne.jp/roomazi/hebonsikimodoki.html
「道路標識(案内標識)の地名を表記するローマ字は
国土交通省がさだめている独自方式で、ヘボン式の一種」とある。
川は「Riv」で、橋は「Bridge」など、名詞は英語でかく。
ローマ字というより、英語そのものをつかうと、
国土交通省がきめているだ。

今回の変更を具体的にみると、「Shinjiko」が「Lake Shinji」に、
「Yuhi」が「Sunset」へとかわる。

「『温泉』は『Onsen』が浸透しているので、
従来の表記『Spa』を『Onsen』に統一する」

というから、わるい変更ばかりではないようだ。

記事では「訳し過ぎ表記も」として
「はつらつ体育館」を「Lively Gymnasium」とした例をあげている。
カナダ出身のひとの意見、「(Lively)は体育館には少し奇妙に響く」を参考に、
ローマ字表記にあらためるそうだ(残念ながらヘボン式で)。
「定着した表記があればそれにしたがう」が原則なので、
「Lively」はたしかにやくしすぎかもしれないけれど、
そもそも日本語を英語にやくして表示するという基本方針そのものが
むちゃなはなしなのだ。

以前のブログにおなじような趣旨のことをかいた。
「オリンピックの準備を7年前からはじめる日本の独自性」
http://parupisupipi.seesaa.net/article/374870502.html?1400236590
どうもことばについてのこうした記事は、
わたしのナショナリズムをかきたてるようだ。

posted by カルピス at 20:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 表記法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

「代表メンバー発表」その後の雑感。えらばれた選手たちは、おおきな責任をせおっている

スポーツに関するブログでしられるフモフモさんが、
「フモフモコラム」で代表メンバーの発表についてかいている。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/53044857.html

「ベンチの空気が結果を変える、なんて言います。
誰も腐らず、いい空気のベンチから熱い檄が飛べばピッチの選手も燃えるでしょう。
ならば、ベンチの背後…そこに届かなかった選手からのいい空気だって、
同じようにベンチの選手とピッチの選手を順番に燃やす効果があるはず。
「お前の結果は、お前だけのものじゃないぞ」
「みんなを代表してそこにいるんだぞ」
「不甲斐ない戦いなら俺が代わってやる」という熱気を、
実際に試合に出る選手のもとへ送ってほしいもの。
メールで、電話で、SNSで、自分自身の試合で見せるパフォーマンスで。
残念ながら登録メンバー30人に名前が上がらなかった選手たちの、
そういうカッコイイ姿があれば、
選ばれた30人も恥ずかしい戦いはできないはずですからね」

ほんとにそうだ。
今回のメンバーにえらばれた選手たちは、
それだけのおおきな責任をおっている。
「不甲斐ない戦いなら俺が代わってやる」という熱気で
背中をおされていることを わすれないでもらいたい。

今回の代表メンバー発表は、これまでにもまして むつかしい選考だったのではないか。
毎回ジョークとしてかたられる
「おれにサプライズ招集はかからなかった」みたいな発言は、
候補として名前があがり、残念ながらえらばれなかった選手たちの ヒリヒリした心情をかんがえると、
とても口にすることはできなかった。
中村憲剛選手は、「感謝」とタイトルで 選考からもれたショックをかたっている。
http://nakamurakengo.cocolog-nifty.com/message/2014/05/post-6735.html
一生わすれないだろうという喪失感に、4時までねむれなかったという。
なぐさめのことばなんて、とてもかけられない。
でも、憲剛ならきっと、時間をかけて喪失感を消化し、
気もちをきりかえてくれるだろう。

なにかの選考は、いつも残酷な結果をうむ。
でも、これで人生がおわるわけではない。
きっとなにかべつのめぐりあわせにより、
サッカーをやっていてよかったとおもえるときがくる。
えらばれなかった選手たちが、おおきなショックにめげず、
つぎのステップにすすむことをねがっている。

posted by カルピス at 12:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月14日

『テルマエ・ロマエ』2作目にむけた、阿部寛さんの舞台挨拶をみてかんがえたこと

録画しておいた『テルマエ・ロマエ』をみる。
そんなにおもしろいとはおもわない。
原作者のヤマザキマリさんに気のどくなできだ。
映画化をめぐってトラブルがあったときいているので、
とくにヤマザキさん側にたってしまうのかもしれない。
興行収入は60億円というから、映画としてはヒット作といえる数字だ。
2作目ができたのだから、1作目は みこんでいたよりもお客さんをたくさんあつめたのだろう。

テレビで1作目を放映したのは、
いま上映中である2作目の宣伝をかねてのことだ。
番組のおわりでは、主演の阿部寛さんと上戸彩さんが
2作目を上映している映画館にあらわれて、
「おもしろいのができました。ぜひみてください」と宣伝をかねて挨拶している。
ついうっかり、
「そんなにいうのなら」と、しんじて
2作目をみたくなるほど快心の笑顔だ。
お客さんへマイクをむけても いい反応がかえってくる。
もっとも、宣伝のための場なのだから、
阿部さんが「もうひとつのできだけど」、なんてことをいうわけがないし、
お客さんだって「んーと、そうですね・・・」と、にえきらない反応はしめさない。
とにかく、阿部さんがさすがにプロの俳優さんらしく、
自信満々でセールスするのに感心した。

1作目に失望したわたしとしては、その演技力を、
作品のなかでつかってほしいとおもった。
もっとも、2作目がみたいとおもわせるほどの演技力があるのだから、
それが1作目に反映されなかったのは、
阿部さんの責任ではなく、監督の演出力に問題があったのかもしれない。
ここらへんはややこしいところなので、
よく整理してかんがえる必要がある。

2作目がいいできと、笑顔ではなす阿部さんが、
ほんとうはそうおもってないのに、演技でそういっているのなら、
2作目はつまらないできということになる。
もし、演技ではなく本心からおもしろいといってるのなら、
2作目はもしかしたらおもしろいかもしれないけど、
1作目にみる程度の演技力なら、
2作目もあまり期待できないみこみのほうがつよい。
1作目は演技力がともなわなかったために
つまらない作品にとどまったとかんがえられる。
演技力ではなく、演出に問題があったとしたら、
2作目は1作目とにたようなできになる可能性がたかい。
であるからして、どのみち2作目がおもしろいという保証はない。
ここに論理のパラドックスがかくされている。
わたしは阿部さんの笑顔から、
小倉千加子さんの『結婚の条件』にかくされた不条理をおもいだした。

おおくのひとが結婚をしたいとのぞみながら、
「適当なひと」がみつからないために
あとへ、あとへと結婚が回避され、晩婚化がすすむ。
わたしは『結婚の条件』をよむうちに、
「結婚の条件」とは、結婚への条件をかぞえあげていては
結婚できないというという条件であることに気づいた。
「結婚の条件」とくちにしたとたん、
手にはいりそうになった結婚は、サッとすべりおちていくのだ。
(営業的には好調であったとしても)1作目ですべった役者さんは、
2作目の宣伝をしないほうがいいのではないか。

阿部寛さんと上戸彩さんは、どちらもわたしがすきな役者さんであり、
あんなに自信満々な笑顔をみせられると、『テルマエ・ロマエU』にむけて、
気もちがすこしうごく。
しかし、1作目のできをみるかぎり、2作目に1800円をはらうのは おおきなためらいがある。
1作目とおなじスタッフでつくる2作目が、おおばけするとはかんがえにくいから。

作品の内容についてはこまかくのべない。
ローマ時代の町や、テルマエが、いかにもそれらしく再現されており、
いい作品にしあがる可能性はあったとおもう。

わたしのしりあいに、映画館で『テルマエ・ロマエ』をみたひとがふたりいる。
感想をたずねると、ひとりはわたしとおなじで、よいできではないというみかた。
もうひとりは、気らくに たのしくみれたと肯定的な意見だった(とはいえ、2作目はまだみていない)。
おおくの作品がそうであるように、
原作をよんだものにとって、映画化された作品は
なにかしらものたりないところがある。
批判的なみかたをした しりあいとわたしは、
どちらも原作をさきによんでおり、
ふたりとも2作目にいく気はない。
主演俳優による舞台挨拶が、快心の笑顔だっただけに
印象にのこる作品となった。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月13日

かくれがの完成

ニトリからベッドがとどく。
すこしまえから ねるまえの読書がうまくいかなくなり、
どうしたものかとまよっていた。
ピピは夜になると わたしのひざのうえにのるのを たのしみにしていて、
でもピピをかかえた姿勢では 本をよむのにくるしい。
あれこれかんがえるうちに、ベッドをいれることをおもいついた。

ベッドにともなうもようがえで 連休に部屋をあれこれいじり、
やっとそれぞれのものが、それなりにおちついた。
ずっとまえにかったものの、あまりつかわないまま
ほったらかしになっていた レコードプレーヤーのスイッチをいれてみる。
ほこりをかぶり、みかけはひどい状態なのに、それでもうごいてくれた。
オーティス=レディングのレコードをのせ、
ウィスキーをのみながら「ドッグ・オブ・ザ・ベイ」をきく。
夜 → ウィスキー → レコード → オーティスと、
われながらベタなイメージだ。

棚にはディープ=パープルのレコードもあった。
これらは20年まえにバザーでみつけたもので、
レコードなんてそうきくことはないとおもいつつ、
まとめてかっておいたのが役にたった。
プレーヤーにレコードをおき、針をのせる。
レコードがCDにかわったのは、もうあともどりしない
おおきな変化だとおもっていたけど、
こうやってまたレコードをきいてみると、
2つのあいだにたいしてちがいはないような気がしてきた。
CDはデジタルデーターである、ただそれだけのことだ。

ディープ=パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。
夜きくには、まわりに音がもれないか心配になる曲だけど、
戸をしめてきいている分にはまったく問題がなかった。
理想的な「かくれが」におもえてうれしくなる。
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」は、
王様の「湖上の煙」をなんどもきいているので、その内容をしっている。
かっこよくきめてるけど、そんなに気のきいたことをうたっているわけではない。
坊やたちが がんばってうたっている、
そうおもいながらきけるのも、いいかんじだ。

1年ちょっとまえに、朝のジョギングがきっかけとなって
配偶者とべつの部屋でねるようになった。
はやおきするために わたしがはやくふとんにはいると、
配偶者は 自分のやりたいことができなくなる。
それでは、ということで、円満に別寝室となったのだ。
夫婦の寝室をどうするかは、かなり微妙な問題だろう。
とくにことがもめたわけではなく、どちらかというと
むこうの苦情をうけいれたかたちなのは
わたしにとって都合がよかった。

こんど、こうしてひとりだけベッドをいれたので、
ますます別寝室性はたかまり、
わたしの寝室はかくれが的にととのってきた。
せまい部屋なので、すこし手をのばせば なんにでも用がたりる。
居心地がよすぎて ひきこもりになりそうだ。
きゅうな変化にとまどうのではないかと心配していたピピは、
まえからベッドをしってたみたいに、
わたしよりさきにベッドにあがってまるくなった。

posted by カルピス at 11:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月12日

Wカップブラジル大会の代表メンバーが発表される。中村憲剛がはずれてしまった。

Wカップブラジル大会の代表23名が発表される。
わたしの関心は、中村憲剛選手がえらばれるかどうか、だけだった。

ザッケローニ監督のこれまでの起用法をみていると、
絶対的なメンバーはかなり固定されており、
いわゆる「サプライズ」はないだろう、というのが
おおかたの予想であり、わたしもそうおもっていた。
ケンゴはきょねんの6月におこなわれた
コンフェデレーションズカップを最後に、
代表によばれていない。
「(ケンゴのような)ベテランのよさはもうじゅうぶんわかっているので、
まだみていない選手をためしたい」、
ザッケローニに監督はよくそういう説明をしてきたが、
そればかりではなかったようだ。

心配が現実となり、ケンゴはメンバーからはずれてしまった。
わたしがケンゴをひいきにするのは、
彼の絶妙なスルーパスにしびれるからであり、
そしてまた、サッカーがすきでたまらないケンゴのような存在は、
チームにかならずいい影響をおよぼすとおもうからだ。
前回の南アフリカ大会のときにも
ほとんどの時間をベンチですごしながら、
ケンゴはチームをひとつにまとめる精神的な支柱となっていた。

ケンゴがメンバーからもれたことについて、
川本治氏がまさに「わが意を得たり」という記事をのせている。
「【川本治氏が語る代表選出2】ラストピースは青山か、憲剛外れ残念」
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2014/05/12/kiji/K20140512008147060.html
そうなのだ。大久保へのラストパスは、
おおくの場合ケンゴがだしているのであり、
大久保だけでなく、ケンゴのパスによってい生きる選手はほかにもおおい。
Wカップがすべてではないにしても、
ケンゴが代表メンバーにえらばれなかったのは、
かえすがえすも残念だ。

ケンゴのほかにも、名前があげられながら
メンバーからはずれた選手はたくさんいるし、
かつては常連だったのに、いつしかよばれなくなった選手もいる。
豊田・川俣・細貝・高橋・塩谷・南野・柴崎。
闘莉王・駒野・槙野・前田。
今回のメンバーからはずれたからといって、
サッカー選手としての人生がおわったわけではない。
サッカーのカレンダーは、いつだってうごきつづけている。
Wカップが最高の舞台というのは
ひとつのかんがえ方にすぎないし、
監督のサッカー観にあわなかっただけともいえる。
いまはマンチェスター・ユナイテッドで活躍する香川だって、
4年前は代表メンバーですらなかったのだ。

今回えらばれた選手たちが、
本番でよいプレーをしてくれることを期待するとともに、
残念ながらメンバーからはずれた選手たちは、
つぎの舞台では活躍できるよう、
魅力のあるサッカーをつづけてくれるようねがっている。

(追記)
湯浅健二さんも、ケンゴがえらばれなかったことに記事をよせておられた。
http://www.yuasakenji-soccer.com/yuasa/html/topics_5.folder/14_final_member.html

posted by カルピス at 21:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする