2014年05月11日

朝日新聞島根版「バラと言えば、花よりパン」の記事にうれしくなる

鷹の爪の卓上カレンダー3月は「バラと言えば、花よりパン」。
きょうの朝日新聞島根版のトップ記事として、
このバラパンがとりあげられている。

バラパンとはなんのことかというと、
ほそながい長方形のパンにクリームをぬり、
クルクルとまるめて花のかたちに似せたパンなのだそうだ。
バラの花に似ているから「バラパン」。

「バラと言えば、花よりパン」といえるほど、
島根でポピュラーかというと、ぜんぜんそうではない。
わたしは、出雲のとなり町にすむのに、
バラパンのことをしらなかった。
「鷹の爪」の作者であるフロッグマン氏は、
かつて平田市(いまは出雲市)の田舎にある奥さんの実家で
コツコツとこのフラッシュアニメをかいていたという。
カエルのなき声にじゃまされてアテレコができなかった、
という島根ならではの苦労ばなしが有名だ。
まだ無名だったこの浪人時代に、
バラパンをめぐるなんらかの接点があったのではないかと想像する。

島根はいくつもの文化圏が複雑にいりくんでおり、
すこし距離をおくだけでまったくちがう生活様式となって、
おとずれるものをとまどわせることがある。
バラパンは、出雲だけでひきつがれてきた特殊なたべものみたいだ。
出雲では定番のおやつなのだそうで、
わたしにとっても謎だった3月のカレンダーが
これでやっと理解できた。
島根でさえほとんどしられていない
ディープな文化に気づいたフロッグマン氏の嗅覚と、
それを島根に着任して早々の記事でとりあげた
一色涼記者の「鷹の爪」愛に敬意を評したい。

ぜんぜんはなしはちがうけど、
わたしがはたらく事業所では、
しりあいのハーブショップから依頼をうけて、
10センチ四方のダンボールに
輪ゴムを4つかける仕事をうけおっている。
ハーブの苗を配送するときに、
苗が箱のなかでうごかないよう それで固定するのだという。
ダンボールに輪ゴムをかけたものを「ゴムパッチン」とよんでおり、
その名前が先日の「鷹の爪」で登場した戦闘ロボ
「ゴギファップンゴロッパンベレラ」とよくにていることにうれしくなった。
これはなにかの偶然だろうか。
20140324153951.jpg
ちなみにこの「ゴギファップンゴロッパンベレラ」は
究極の戦闘ロボとして開発されており、
音声認識で命令をききわける、はずだったけど、
あまりにもややこしい名前なので
だれも正確によびかけることができず、
したがって起動しなかったという残念なロボットだ。
バラパンといい、このロボット名といい、
「鷹の爪」には意外なであいにおどろかされることがおおい。
島根では、よくあることだけど。

posted by カルピス at 10:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 鷹の爪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

結婚とはなにか。小倉千加子さんの本で結婚の本質をしる

2040年までにおおくの市町村で
20〜39歳の女性が半減する、という予想が
このごろたてつづけに新聞でとりあげられた。
奈良県の川上村は、試算によると約90%へって
たった8人になってしまうという。
これも少子化の影響なのだろうか。

少子化は結婚適齢期のひとが結婚しなかったり、
結婚をおくらせることがおおきな原因になっている。
いま日本でなにがおこりつつあるのか。
とくに、わかい女性の意識はどうかわってきたのか。
わたしの場合、こうした現象に関心をもつようになったのは、
小倉千加子さんの本にであってからだ。

『女の人生すごろく』をきっかけによみはじめ、
『結婚の条件』でわたしの小倉千加子さんへのおもいいれは
決定的となる。
なにしろこの本では、結婚と洗濯機のかいものはいっしょ、なんて
ズバッと本質にせまるたとえがしてあるのだ。
洗濯機がこわれたら、部屋のひろさや収入におうじて
かわりの洗濯機をかうことになる。
適当な洗濯機にであえないからといって、
洗濯をやめるわけにはいかないから とうぜんのかいものといえる。
それではなぜ適当な結婚相手はさがせないのか。
「結婚は、恋愛よりもはるかに洗濯機に近い」
と喝破する小倉さんにわたしはしびれてしまった。
それだけ結婚と恋愛は いまやほとんど関係がない。

小倉さんは、そうした具体的な例をあげるのがとてもうまい。
とはいえ、ではなぜ適齢期の男女が結婚しないのか、ということになると、
あいかわらずわたしの頭のなかは
おおすぎる情報を整理しきれないままだ。
小倉さんの本をよむたびにふかく感心しながらも、
結婚をめぐる ひとびとの複雑な心理は、
わたしの理解をうわまわる。

『結婚の才能』(朝日新聞出版)には、
小倉さんが40歳になったばかりの女性に
結婚相手の紹介をたのまれたときのことがかいてある。

「結婚したい。贅沢な条件は言わないから。
生物学的に男性なら、誰でもいいから」といわれたそうだ。
小倉さんは条件をたしかめていく。

・身長 170センチ以上
・体重 90キロならいい。120キロはこまる
・住居 関東地方在住
・学歴 常識のある大卒
・職業 サラリーマン。農家ではこまる
・頭髪 ハゲはちょっと。薄毛ならいい
・相手の実家 さびれていない駅前の商店街ならOK
・親の同居 親には別の家に住んでいてほしい
・収入 そこそこあればいい。わたしの収入を当てにされるのは困る
・家事 最低限は自分でできる人がいい
・趣味 ギャンブルは困る
・煙草 吸わない人がいい。外で隠れて吸うのはかまわない
・お酒 アル中でなければいい
・話  まったく喋らない人は困る。コミュニケーション能力は普通にある人がいい
・新聞 無購読層でなければいい

「彼女の言う条件の一つひとつについては、
私も納得できなわけではない。
しかし、条件を一つ出すたびに、色紙を半分に切っていくことになる。(中略)
彼女の条件が贅沢であると批判することが、私にはできない。
一つ一つは普通でも、全部合わせると普通ではないという不思議なことが
世の中にはあるのである。
彼女の部屋は『美しい部屋』のグラビアのように美しいし、
料理の腕はプロ級である。
結婚生活を送る能力や技能はすべて揃っているのに、
たったひとつ、本気で結婚したいという気持ちだけが起こらない」

「世の中には、結婚制度を自明視して何の疑いもなく結婚していく人がいる。
そういう人は、条件のうちの何かを最初から諦めている。
諦めているから、現実の結婚ができるのである。
本気で結婚したければ、妥協すればいいのである。
条件を云々している間は、結婚はできない。(中略)
結婚は運命ではなく、決断である」

けっきょく、本気で結婚しようとはおもっていないのだ。
いろいろな条件をかんがえると、
結婚してもいいことなどあまりないことになる。
苦労をせおうことがわかっていながら
わざわざ結婚する気になどなれない。

わたしが結婚したのは33歳のときで、
あんまりこまかいことはかんがえなかったように記憶している。
会社にはいっても、なかなか仕事がつづかないわたしのような男と
いっしょになってくれたのだから、
客観的にみれば、配偶者が妥協してくれたからこそできた結婚だ。
いまのわかいひとたちは、もっとたくさんの条件を意識するから、
ああでもない、こうでもないと、
なかなか結婚にふみきれないのだろう。

小倉さんのおかしさは、
ものごとをとことん理づめでかんがえる姿勢から生まれている。
とらえ方によってはすごくまじめ。
『醤油と薔薇の日々』(いそっぷ社)には
小倉さんが手相うらない師を うらなうはなしがでてくる。

「今、何をしてらっしゃるの?」
「手相を観てもらっています」
「お仕事はしてらっしゃるの?」
「今日は仕事をしていないから、こうやって街にでてきているんです」
「なんのお仕事?」
「手相に出てないんですか?」(中略)
「今、何か心配ごとがありませんか?」
「こうやってあなたが占いをしている。そういう世の中が心配です」
「は?」
「わたしは占いができましてね。
 あなたの運勢が気になって仕方ないんですよ。
 あなたには、今、すごく大きな心配ごとがありますね」
「分かりますか?」
「精神的な悩みを抱えておられます。経済的にも不安ですね。
 でも、こういうことを続けていると、もっと悪いことが起こりますよ」
「え、何が起こるんですか?」
「離婚するとか」
「ええ!どうしたら離婚しないですみますか?」

完全に、立場が逆になっているのがおかしい。
手相うらない師をこまらせてやろうと
小倉はいじわるをしているわけではない。
ほんとうに、こまっているひとの相談にのっているのだ。
冗談をいっているのではないのに、まっすぐなみかたが
おかしさにつながっている。
これだけの芸達者は、なかなかいない。

posted by カルピス at 22:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月09日

シーズン開幕をつげるプールでの練習

きのうはひさしぶりにプールでおよぐ。
8月におこなわれるレースにむけて、これからからだをととのえていく。
2.4キロおよぎ、そのあと21キロをはしるレースで、今年が8回目の参加となる。
とにかく無事に完走できれば、というショボいランナーでしかないけど、
わたしの1年は、このレースを中心にまわっている。

ふだんからトレーニングにかよっているとはいえ、
週に2回の練習では、現状維持くらいしかのぞめない。
真夏におこなわれるレースをつつがなくおえるためには、
それなりの準備が必要となる。
とくに水泳は、もう半年もプールからとおざかっている。

といわけで、ゆうべはわたしにとってシーズン開幕を意味する水泳だった。
1シーズンが3ヶ月と限定された期間なので、
たのしみな気もちでレースへの準備をすすめられる。
ながい距離になれるため、いったんはしりだしたら、
10キロや20キロは つづけてはしらなければならないことを、
頭と足にいいきかす期間だ。
わざわざブログにかくことではないけれど、
かけばそれだけ「やらなければ」という気もちになりやすい。
本番まで、とにかく1回いっかいの練習を
着実につみあげていくしかないのだ。
一発逆転はなく、毎日をどう生きてきたかがとわれるのは
人生におけるおおくのイベントとおなじで、
3ヶ月という比較的みじかい期間でこたえがでるのが
こうしたレースのいいところだ。

50歳をすぎて、いまさらおおきなレベルアップはのぞまないし、
そのために自分をおいこむのもしんどい。
したがって、練習はゆっくりながい距離をはしったりおよいだりするだけで、
みじかい距離をがんばってとばしたりはしない(できない)。
この3ヶ月間は、週に2回のジョギングと水泳、
それに週に1回は2時間のジョギングをこなしていく(いくつもり)。
おそらくこれは最低限の練習量で、
ニッコリできる結果が約束されるわけではない。
これからのみじかいシーズンを、
どうまえむきな気もちをたもちつつ練習にとりくめるか。
完走したときのごほうびはもちろんとして、
シーズンにはいったおいわい(前夜祭)もたのしそうだ。
毎回の練習は地味だけど、ささやかなイベントをいくつも用意して
にぎやかなシーズンとしたい。

posted by カルピス at 14:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

『エリーゼのために』(忌野清志郎)「言葉の人」としての清志郎にしたしめなかったさみしさ

『エリーゼのために』(忌野清志郎・角川文庫)

歌詞集ではなく、「忌野清志郎詩集」となっている。
そうか、清志郎のうたは、「詩」だったのか。

解説は角田光代さんで、

「大学生のとき、私はくり返しくり返し、この本を開いて、読んだ。
最初は音がついてくる。メロディと、忌野清志郎のあの独特の声を、
言葉が連れてくる。(中略)
それが、あるときふと消える。くり返し読んでいると、消える瞬間がある」

「忌野清志郎は音楽の人でもあったが、言葉の人でもあった」

というのが角田さんの発見だ。
わたしには、「言葉の人」としての清志郎を理解できるだろうか。
この詩集におさめられている64作品には、未発表の曲もふくまれている。
ためしにそれらの詩をよんでみる。
音をともなわない、独立した詩としてよさがわかるかというと、
正直なところわたしにはピンとこなかった。
わたしにとって清志郎の曲は、あくまでもメロディがかさなったものだ。

オリジナルは、1983年に出版された詩集なので、
「RCサクセション」の初期の曲ばかりあつめられている。
わたしはこの詩集におさめられている曲ばかりをきいてきた。
いまも車にのせているのは『OK』『Beat Pops』『PLEASE』で、
それなのに、本のページをめくっても、ぜんぜん胸にせまってこない。
わたしには、言葉のひととしては清志郎にしたしめないみたいだ。

このまえみた番組「ラストデイズ『忌野清志郎×太田光』」では、
太田さんが清志郎のかよっていた日野高校をおとずれている。
「トランジスタ・ラジオ」でうたわれた学校の屋上にあがる。
ここで清志郎はたばこをすい、ラジオに耳をかたむけていた、
かどうかはわからないけど、
仲間とつるんで授業をさぼっていたのではないそうだ。
いつもひとりだった、というのが
わたしのイメージしていた清志郎とだいぶちがう。
シャイな清志郎の胸のうちがこの詩集にはつまっているはずなのに、
ファンを自称しているわたしにその魅力がわからなかったのは
すこしさみしかった。

(本書は、1983年に彌生書房からされたものが、
209年に角川学芸出版から復刊され、
今年それが文庫となった)

posted by カルピス at 12:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

介護事業所における「武士の家計簿」

『武士の家計簿』(磯田道史・新潮新書)をよみだす。
江戸から明治にかけて、世襲制の時代でありながら、
計算ができるひとは、家がらがよくなくても
お城での仕事につくことができたそうだ。

「親は算術が得意でも、その子が得意とは限らない。
したがって、藩の行政機関は、どこもかしこも厳しい身分制と世襲制であったが、
ソロバンがかわわる職種だけは例外になっており、
御算用者は比較的身分にとらわれない人材登用がなされていた」

「実は『算術から身分制度がくずれる』という現象は、
18世紀における世界史的な流れであった。(中略)
フランスでもドイツでも、軍の将校といえば貴族出身と相場がきまっていたが、
砲兵将校や工兵、地図作成の幕僚に関しては、そうでなかったという。(中略)
余談であるが、ナポレオンが砲兵将校であったことは興味深い」

事業所におけるわたしの存在も、これとすこしにたところがある。
わたしは計算が特別にできるわけではないけれど、
まわりのひとがやりたがらないおかげで、
事務を中心とした仕事にありついている。
この場合、計算というよりも、もうすこしひろくとらえての実務力だ。

いまの時代、介護事業所といえどもある程度の実務力が必要、
と研修などでよくいわれる。
じっさいに、ある程度の実務力とは、どれだけのことをいうのだろう。

介護事業所でもとめられるのは、
適切な支援計画をたて、それを利用者・家族、そして職員全体で共有し、
実行していくちからだ。
よい支援計画をたてるためにはデーターをとり、
それをわかりやすいかたちでパソコンや紙におこしていく。

ということからかんがえると、
パソコンはつかえなければならない。
ポツリポツリうっていたのでは仕事にならないので、
当然タッチタイプ、といいたいところだけど、
そこまではもとめられないだろう。

行政や保護者にむけた文章をかくことがあるので、
文章力もあったほうがいい。
しかしこれは、形式だけをもとめられ、内容はどうでもいい部分なので、
ひな形をつかえばすむことがおおい。
それでもじゅうぶんやっていけるので、あまり気にすることはない。

パソコンについていえば、ワープロソフトやプレゼンテーションソフトは
そんなに重要ではない。
文章はエディターでじゅうぶんだし、プレゼンテーションもすぐにできる。
つかえたほうがいいのは表計算ソフトとデータベースソフトだ。
わたしの場合はエクセルとファイルメーカーになる。
わたしはたまたまファイルメーカーをいくらかあつかえたので、
どれだけ便利をしたことか。
データーをとるだけでなく、日誌や利用予定などの書類、
それに会計の帳簿など、
ファイルメーカーがなければわたしの事務仕事は
まえにすすまなかっただろう。
わたしにおける『武士の家計簿』は、
ファイルメーカーだったといえる。
データベースソフトは、その便利さにもかかわらず
敷居がたかいのか、つかえるひとがあまりいない。
わたしが事業所でもっともらしい顔をしていられるのは、
ソロバンのかわりとなる、ファイルメーカーのおかげだ。
といって、ものすごくじょうずにあやつれるわけではない。
その中途半端な能力が、介護事業所のもとめる実務力にピッタリなのかもしれない。

介護事業において、いちばん大切なのは、
あつい情熱と、適切な支援力である。
しかし、これだけではやっていけなくなっているのもたしかだ。
ある程度の実務力が必要なおかげで、
家柄がいいわけでもなく、学歴もひくい(大学中退)わたしが、
仕事につくことができた。
わたしはナポレオンのように壮大な夢をえがいているわけではない。
実務力のおかげで、なんとか糊口をしのげることに感謝している。

posted by カルピス at 13:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

梅棹忠夫さんと小倉千加子さんの対談「若い女性のあかるい絶望」をよみかえす

梅棹忠夫さんと小倉千加子さんの対談をよむ。
『月刊みんぱく』という雑誌に「館長対談」という連載があった。
梅棹さんがホストとしてゲストをまねき、
いろんな業界のはなしをきいていく。
それをまとめたものとして、何冊もの対談集が出版されている。
梅棹さんと小倉さんの対談は、
『世相観察・女と男の最前線』(講談社)という
対談集におさめられたもののひとつで、
「若い女性のあかるい絶望」というタイトルがつけられている。
対談は1989年におこなわれた。

なんでいまさらこの本をとりあげたかというと、
25年もまえの対談なのに、えんぴつで線をひきっぱなしになったからだ
(なんどもよんでいるはずなのに)。
そんなむかしからすでに、短大生たちは人生に絶望していた。
世のなかは、それからどのようにかわっただろう。
本書では、男社会の末期にちかづいてきた、とはなされているけど、
わたしには、おなじような形がいまもつづいているような気がする。
もう男社会はおわったのだろうか。みかけはいまでも男社会をよそおいながら、
なにかが決定的にかわったのだろうか。

ほかのおおくの対談は、梅棹さんがホストではありながら、
はなしがすすむうちにだんだん梅棹さんが主導権をにぎっていく印象がある。
しかし、この小倉千加子さんとの対談は、はじめからおわりまで、
小倉さんのするどいきりくちに梅棹さんが圧倒される
めずらしいかたちとなった。
梅棹さんは、小倉さんというすぐれた解説者をえて、
なじみのない世界でおきている
おおきな変化をたのしんでいるようにみえる。
このとき小倉さんは37歳。
大阪の短大で女子大生におしえている時期だ。
1989年は『松田聖子論』が出版された年で、
松田聖子と山口百恵との比較が新鮮だった。
『結婚の条件』はまだ出版されていない。

小倉さんは、短大生にたいしてすごくやさしい。
もっとがんばれと しりをたたくことはなく、
この男社会で生きていかなければならない彼女たちに
ふかい共感をよせている。

小倉 短大生で、いま彼氏とつきあっている子が半分以上いるんですけど、
   もっといい男性があらわれたら、
   いつでもいまの彼とわかれたいとおもっている。
   いまの彼と結婚する気はないんです。
   あくまでもおつきあい。(中略)
   ところが、彼のほうは、もう一途に恋愛だとおもっているんです(笑)。
梅棹 男というものはあわれなものやなあ。あほうなものやなあ(笑)。  
   現代は男社会ですけど、男の世相史的たちおくれというのはひどいですね。
小倉 15年ぐらいおくれているんじゃないですか、女の子より。(中略)
   男女の精神年齢に系統発生的に15歳のひらきがあるわけでしょう。
   そのギャップをのりこえておつきあいしているんですから、
   女の子はたいへんなんです。(笑)

梅棹さんは「おもろいことやなあ」とあいづちをうつことがおおく、
対談の主導権は小倉さんがにぎっている。梅棹さんは、完全にききやくだ。

それでも、美少年趣味にはしる女性、という話題では、
小倉さんが少年隊や田原俊彦を例にあげると、
梅棹さんも「なるほど。光GENJIなんかもそうですね」
とちゃんとついていっているところはさすがだ。
いまでいうと、AKB48のメンバーをしっているかんじだろうか。
社会学をやるからには、最先端の風俗にも
好奇心をもちつづけることが不可欠なのだ。

小倉 関西の町人社会をささえていたのは、遊びごころでしょう。
   じつは、フェミニズムもいま、西高東低といわれているんです。
   関西は遊びごころのフェミニズム、関東はあいかわらず運動です。
梅棹 なにをやるにも遊びごころがいちばんだいじです。
小倉 遊びごころの前提は、やっぱりペシミズムだとおもうんです。
梅棹 それはそうです。すべてに絶望しているからこそ、
   遊びごころがでてくるんです。

「世のなかの上澄みのきれいなところしか見たくない。
下のドロドロしたところへは、どっていみち
中年になったらはいっていかなきゃいけない。
だったら、いまはせめてたのしくすごしたい。
まるで、焼けたトタン屋根のうえでカンカン踊りをやっているような(笑)、
そういう死にものぐるいの享楽です。
それは、みんなわかってやっていますよ」(小倉)

彼女たちは、わかいころから世のなかに絶望し、
自分たちにあかるい未来はないとしっている。

梅棹さんは
「わたしは若いころから、わたしの生きかたを
『あかるいペシミズム』といっているんです。
きわめてペシミスティックな見かたをしていますけれども、
いつでもたいへんあかるい」
と共感をよせている。

「若い女性のあかるい絶望」という対談のタイトルは、
この「あかるいペシミズム」のことをいっているのだろう。

梅棹さんの著書『わたしの生きがい論』は、
生きがいなんかもたないほうがいいんだ、
という内容がかたられている。
あかるい未来はないけれど、それまではたのしく生きていこうと、
当時の短大生は『わたしの生きがい論』を実践していたのだ。

この対談がおこなわれてから25年がすぎ、世相はどううつったか。
わたしは変化に気づくのがおそく、
もうことが決定的になってから「そういえば」というところがある。
この「あかるい絶望」についても変化に鈍感で、
問題がさらにふかまったようにしかみえない。

「あかるいペシミズムでいくしかありませんね」

という小倉さんのことばで対談はむすばれている。
25年たっても、それはかわらなかったのではないか。

posted by カルピス at 20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

もし世界にチェーンソーがなければ

チェーンソーがいかにあぶない道具か、ということをきのうのブログにかいた。
じっさいにキズぐちをみたわけではないけれど、
電動ノコギリのようにスパットきれるわけではないので、
チェーンソーの歯がちょっとあたっただけで、肉がぐちゃぐちゃになるという。

みかたをかえれば、木のほうからしたら、
それだけとんでもない武器をからだにむけられていることに気づく。
つかいかたをあやまり、人間がケガをしたときだけをおおげさにいうのは
木からすればとんでもないはなしだろう。
ふとい木をわずかな時間できりきざむ高性能の歯が
人間のからだにあたったときに
大ケガをするのはあたりまえなのだ。
それだけチェーンソーは、木にとってむごい道具である。
チェーンソーをつかうなら、木にむける暴力を意識し、
それが自分にもおよぶかもしれないリスクを うけいれなければならない。

歴史に「もし」はないというけれど、
「もし」チェーンソーがなければ世界のジャングルは
いまの10分の1も開発されてないのではないか。
チェーンソーのかわりにのこぎりをつかっていては、
とても熱帯雨林のジャングルにはたちむかえないだろう。
チェーンソーの圧倒的な能力によってのみ、
ものすごいスピードでの伐採が可能となった。
ニュースがつたえる森林破壊の映像は
いつもチェーンソーのかんだかいエンジン音がセットだ。

とはいえ、チェーンソーがなければ、それにかわるなにかが発明されだろうから、
もうすこしさかのぼって、産業革命によって内燃機関がつかわれるようになったのが
人類の破滅への第一歩かもしれない。
ピストン運動による圧倒的な破壊力は、それまでのしくみとはけたちがいだった。
そのまたむかしに破滅の起源をもとめると、そもそも人類は火なんかつかわなければよかったのだ、
なんて極論にまではなしがおよぶ。
そこまですべてをいっしょくたにしてしまうと、
わけがわからなくなってしまうので、
シンプルに、チェーンソーだけがない世界をかんがえる。
武器や核兵器の使用とおなじように、
チェーンソーもまた国連がしばりをつくったらいいのに。

チェーンソーがもしなければ、宇宙からみた地球のようすは
いまとちがうものだったはずだ。
アマゾンでも東南アジアでも、森の生物は生きのびて
人間の手がはいるのをこばんでいたにちがいない。
チェーンソーをあつかうときに、いつもわたしはそんなことをおもう。
それだけチェーンソーはおそろしい威力で木をきりたおしていく。

国連なんかをもちだしながら、自分は便利につかっている。
さすがにこれでは説得力がないとおもいながら、
ついまえからの妄想をかいてしまった。

posted by カルピス at 10:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

山から木をきりだしてマキづくり 農的生活へのその1

むすこをさそって配偶者の実家のある掛谷へ。
義父に、マキのつくり方をならおうとしての訪問だ。
余談ながら、掛谷は「鷹の爪」の吉田くんのふるさとである
吉田町のとなりにある町だ。

配偶者の実家は山をかなりもっているそうで、
そこからお風呂のたきつけのマキをまかなうことができる。
むかしは暖房や調理など、すべてにマキが必要だったのだから、
そうやって山から木をきりだしてマキにする仕事は、
生活のなかにくみこまれていたそうだ。
しかし、義父もだんだん歳をとり、まえほど山にはいらなくなっている。
いまのうちにそういう知恵・技術を
ひきついでいこうとおもった。

義父・むすこ・わたしと、3人で家のちかくの山にはいる。
山といっても、道路からほんのちょっとはいっただけだ。
そうでないと、きりだした丸太を家にもってかえれないから。

たおれている杉の木を60センチのながさにチェーンソーできる。
とかくとかんたんそうだけど、チェーンソーはあぶない道具だし、
山は足場がわるく、たしかな場所ばかりではないので、
チェーンソーをもってころんだりしたらたいへんだ。
義父はチェーンソーのエンジンをかけ、ちゃんとうごくことをたしかめると、
「ほいっ!」とわたしにチェーンソーをわたしてきた。
てっきり義父がきってくれるとおもっていたので
「えーっ!」とたじろいだけど、むすこのてまえ、やってみることにした。
わたしはまえにチェーンソーをつかった経験が多少あり、
どれだけあぶなくて むつかしいかをしっている。
ふとい木にチェーンソーできりこむと、とちゅうでぬけなくなるし、
もしからだにチェーンソーの歯があたったりしたらおおケガをする。
きりおとした丸太が足のうえにおちてもあぶない。
ビビりながらアクセルをふかして杉の木にむかった。

ひさしぶりでも からだはなんとかおぼえているもので、
4本の丸太をきりだした。
きょうはそれだけでおいとこう、と義父はいう。
たった4本か、とものたりない気がしたけど、
それを家までもってかえり、マキにすることをかんがえると、
たしかに4本でもじゅうぶんな数だ。
140503山仕事.jpg
ネコ車にのせて家まで丸太をはこぶ。
なにごとも経験なのでむすこにやらせた。
はかってみると、直径40、ながさ60センチの丸太だ。
ひとつだけをはこぶのはかんたんだったけど、
2回目はのこりの3つをぜんぶネコ車にのせたので、
ふたりがかりで ふらつきながらやっと家へもってかえる。

丸太をマキにするには、
まずクサビをうちこんで半分にわり、
それからオノでこまかくしていくというながれだ。
オノを木にうちおろしても、ドラマみたいに
パコーンとわれたりはしない。
うまくあたらないし、あたってもわれない。
わたしとむすこで、交代しながら3つの丸太をマキにする。

ひとつの丸太から、25本のマキがとれた。
風呂だけでなく、暖房や料理用のストーブまでを全部マキでまかなおうとしたら、
いちにちに30〜50本くらい必要だろう。
冬ごもりの準備にマキをたくわえるのは たいへんな作業だ。
きょうつくったマキは、2時間半かけて75本だった。
冬だったら、1日か2日でなくなる量かもしれない。

倉庫のマキが着実にふえていくのは手ごたえがある。
農的生活をおくるという夢にむけての、ちいさな一歩でもあった。
米や野菜をつくったり、貯蔵の方法を身につけることも必要だけど、
きょうみたいに山にはいってじかにおしえてもらえるのは
なかなかできない体験だ。
あたまとからだを適度につかい、充実感にひたる。

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2014年05月03日

いまこそ清志郎が夢みた世界を

きのうは清志郎の5回目の命日。
「ラストデイズ『忌野清志郎×太田光』」をテレビでみる。
『COVERS』から社会問題についてうたうようになった
清志郎の内面にせまろうとする番組だ。
番組では、ロンドンでのレコーディングがきっかけとなり、
清志郎は自分のおもったことをうたっていいと気づいたのだという。
なにをいってもいいんだ、ガツンとやらないとダメなんだ、
いわなければならないことは、まわりに遠慮しない。
すきなものを、すきだということ。

『COVERS』は発売直前になって東芝EMIがとりやめをきめ、
別のレコード会社から発売されている。
清志郎は、自分がおもったことを、おもったようにうたうことにこだわりつづけた。
番組では泉谷しげる氏へのインタビューもおこなっている。
泉谷氏は、社会問題をうたってもいいけど、おちょくってほしい、
ストレートにうたうのには抵抗があった、という。
わたしもおなじ感想をもっていた。
『君が僕を知ってる』や『スローバラード』のような
ラブソングがわたしはすきで、
『COVERS』以降の清志郎のうたをあまり評価していなかった。
わたしは清志郎がすきといいながら、
清志郎のある一面ばかりをみていたのではないか。

『COVERS』は当時からおもしろいとおもっていた。
ただ、それはリズムがいいとか、
かえうたが「おもしろい」といった程度のはなしで、
うたわれている内容についてはほとんど関心がなかった
(「サマータイムブルース」により、原発の数が37個ということをしったくらい)。

これまで清志郎の命日には、日比谷野音でおこなわれた
清志郎とチャボのコンサートDVDをみていた。
それがわたしなりの供養だったけど、
清志郎が表現したかったテーマをうけとめるには、
むかしの曲ばかりきいていたのでは片手おちだろう。
きょうはレコード店で『COVERS』と『復活!!タイマーズ』をかってきた。

「21世紀になったら世界はかわるかとおもったてたのに、
あいかわらず戦争ばかりやってるじゃないか」

清志郎は「イマジン」をただうっとりうたっていたのではない。
清志郎は、本気で世界に平和がおとずれる夢をみていた。
清志郎がなくなってから、ますますいやな方向にむかっている日本。
清志郎のうたに、いまこそ、もういちど耳をかたむけるときではないか。
あおくさくてもいい。自分がおもっていることをいいつづけよう。
自分が大切にしているものをゆずらないでいよう。

(補足)
清志郎はいろんな面をもっている。
ダイドーブレンドコーヒーのCMにおける清志郎もわたしはすきだ。

海辺で清志郎がギターをかかえてうたっている。
そこへわかくて聡明そうな女性が海のほうからかけよってきて、
清志郎のそばにすわる
「おじょうずですね」
「CDも、だしてるんですよ」

はずかしそうにこたえる清志郎。
このシャイさもまた清志郎のおおきな魅力だ。

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2014年05月02日

『プラダを着た悪魔』アン=ハサウェイの魅力につきる

『プラダを着た悪魔』(デビッド=フランケル監督・アメリカ)

ファッション業界という、わたしにはぜんぜん関心のない世界のできごと。
でも、とてもおもしろくみれた。
ファッション界の最先端は、ああいうことになってるのか
(一部のカリスマがとりしきる世界。
ファッションというものへの信念。など)。

主人公のアンドレア(アン=ハサウェイ)は、
編集長のアシスタントとして雑誌『ランウェイ』に採用される。
『ランウェイ』はおおくの女性があこがれる最先端のファッション雑誌であり、
編集長のミランダ(メリル=ストリープ)は
ファッション業界にはかりしれない影響力をもつ。
「プラダを着た悪魔」とは、『ランウェイ』に君臨し、
スタッフに無理難題をおしつけてプレッシャーをかけるミランダのことだ。

冒頭で、アンドレアがベーグルオニオンをたべながら
あるいて会社へむかうシーンがある。
ファッションの映画だけあって、
さすがにかっこいい服装だ、と感心していたら、
そこはまだアンドレアがファッション業界にはいるまえで、
ぜんぜんいけてないさえない女の子、という設定の場面だった。
あんなにかわいくて、きている服もいかしてみえるのに、
ふとっているとか おばあさんからのおさがりの服、
なんて同僚にあいてにされない。

それにしても、ファッションに目覚めた女性は大変だ。
わたしには、彼女たちのきている服がどれだけ価値のあるものなのかわからない。
アンドレアが、おもいたってブランドもので身をかためたときは、
たしかにすごく魅力的になっていた。
でも、だれもがそうみごとに変身できるわけではない。

すべての女性がファッションに目をこらしているかというと、そうでもなく、
わたしのまわりには雑誌『STORY』の存在すらしらないひともいる。
ファッションについてはとくに両極化がはげしいのだろう。
関心のあるひとはとことんつっこんでいくし、
ないひとはユニクロで満足する。
バブル世代とちがい、このごろのわかものは、
ファッションにあまり価値をおかないそうなので、
とくにそうした傾向がつよいかもしれない。
わたしもまた典型的なファッション音痴で、
プラダもルイヴィトンもシャネルも、なにがなんやらわからない。
それでもこの作品はおもしろくみれたから、
よほどうまくつくってあるのだろう。

ひとりのわかい女性が夢をおいかけて・・・というストーリーで、
とびこんだのは自分のおもっていたのとはちがう世界だったけど、
ただまけたくないというおもいで仕事をつづけようとする。
もともとあたまのいいひとでもあるし、ファッションのセンスにもめざめてきて
だんだんと仕事のおもしろさにひかれていく。
そこにいたるがんばりと、生まれかわっていく彼女のうつくしさに
みるものはつい応援したくなってくる。
なんといっても、アン=ハサウェイの笑顔はとびきり魅力的なのだ。

メリル=ストリープがえんじるミランダみたいなタイプは、
みんなで気もちよく仕事をする、ということをかんがえないのだろうか。
たのしく仕事、という意識では、いい雑誌ができないのか。
質問しては駄目とか、いつもあついコーヒーを、とか
どうでもいいようなことをもとめてスタッフをこまらせる。
ピリッと緊張感をもつのはわかるけど、
あんな態度を上司や同僚にとられたら、わたしだったらぜったいにやっていけない。
ミランダは会社につくと、机のうえにコートやカバンやらをほうりなげる。
そうやって、ひとを不愉快にしてなんの意味があるのだ。

「あなたはファッションセンスもないし」とアンドレアにいい、
「それはひとによって見解が」と彼女が説明しようとすると、
「いまのは質問じゃないの」と両手をふっておいはらう。
「That's all」とひくい声でささやくミランダのこわさ。
これが『アウト・オブ・アフリカ』でアフリカ人の生活をまもろうと、
提督のまえにひざまづいたあの女性とおなじひとなのか。

アンドレアはせっかく手にしたアシスタントの地位をなげだして、
恋人のもとにかえる。
会社をやめたあと、町で偶然ミランダをみかけたときのアンドレアがすてきだった。
道をはさんでミランダのほうににっこりほほえむ。手までふってみる。
でも、ミランダは表情をかえず、メガネに手をあてただけで車にのりこむ。
あいかわらずだわ、あのひと、というように、
アンドレアはもういちどにっこりほほえみ、目をとじて、
カバンをもっている指をかるくうごかす。
そしてクスっとわらってからあるきだす。
じつは、ミランダは車にのりこんでからほんのすこしほほえんでいた。
メリル=ストリープならではの演技に、
それまでの傲慢さを ゆるしてしまいそうになる。

ファッションについてなにもしらなくても
さいごまでたのしめたのは、アン=ハサウェイの魅力につきる。
ファッションにくわしいひとの解説をえて、
もういちどみたい作品だ。

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2014年05月01日

『紫式部の欲望』(酒井順子)「えー!、『源氏物語』って、こんなはなしだったの!」

『紫式部の欲望』(酒井順子・集英社文庫)

『源氏物語』にしても『枕草子』にしても、
わたしはこれまで、おおむかしにかかれた日本の古典への苦手意識がきえず、
教科書からさきの世界をのぞこうとしなかった。
宮廷の、かたぐるしいことがかいてあるのだろうときめつけ、
具体的にはどんなはなしなのかまったくしらなかった。

「えー!、『源氏物語』って、こんなはなしだったの!」

というのが本書をよんでみての感想だ。
これまでとおざけてきた古典が、欲望についての本だったとは。

酒井さんは『源氏物語』をよむうちに
「この作品の中には、紫式部の『こんなことをされてみたい』
『あんなことをしてみたい』という生々しい欲望が、
あちこちにちりばめられているような気がしてくるのでした。
そしてその欲望は、今を生きる私達の中にも、確実に存在するもの」
ということに気づく。

『源氏物語』というものがたりは、
おそらくいろんな視点からよむことができるのだろう。
宮廷を中心とした当時のくらしぶりであったり、
その時代を、ひとびとがどう生きていたか、だったり。
この本は、その意味で、紫式部が「たぎらせていた欲望」に視点をあてたものだ。
光源氏というキャラクターをうごかしながら、
この時代における欲望をつまびらかにする。
恋愛にまつわる欲望は、『源氏物語』がもつたくさんの魅力のひとつ、
などというかるい存在ではなく、
それこそが『源氏物語』のメインストリートであることに酒井さんはおしえてくれる。

章だてをみると、これがまさか『源氏物語』についてかかれた本だとはおもえない、
きわめて現代的な内容となっている。
こういうきりくちだったら、とっつきにくい古典にもしたしみがわいてくる。

・連れ去られたい
・ブスを笑いたい
・見られたい
・モテ男を不幸にしたい
・乱暴にせまられたい
・いじめたい
・正妻に復讐したい

わたしはぜんぜんしらなかったけど、
『源氏物語』をレイプ小説とみることもできるくらい、
光源氏はちょっといいかんじの女性をみると、
いや、いいかんじでもない女性にたいしてでさえ、
手をださずにはおれないプレイボーイだったようだ。
やりまくる光源氏のうごきによって、
紫式部の欲望があぶりだされていく。

おもしろかったのが「見られたい」の章の「チラ見え」の威力について。
当時の女性はさまざまなガードをもちいて
簡単には男性にみられないようこころがけていた。
しかし、だからこそ、そこでチラッとみえた場合の威力もまた、
そうとうなものであったことを酒井さんは指摘する。

「下がり端だの扇だの御簾だの几帳だのといったガードの数々は、
ガードがありながらも、『ちょっと動かせば、すぐに見えますよ』
と男性を誘うものでもあったのではないかと、私は思うのです」

「下がり端も扇も御簾も几帳も、
スカートのような働きをしていたのだといえましょう。
スカートは、その下にはいているパンツを隠す役割を担うと同時に、
パンツの存在を強調しているわけで、
同じように下がり端だの御簾だのも、女性の姿を隠しつつ、
『ここに女がいます』ということを強調している」

いっぽう、男性にとれば、ふだんは目にすることのない女性の、
そのほんの一部でもみることが、どれだけ刺激的な行為だったか。

「彼等は、異性を見ることに対する免疫を、全く持っていません。(中略)
ほんの一瞬、厚く着物に覆われた女性の姿が見えただけでも、
恋心を炎上させることができる」

女性たちは、とうぜん「みせる」ことの絶大な効果をしっているので、
どうかくし、どうチラみせするかの戦略をもっていたにちがいない。

井上章一さんの『パンツが見える。』には、
中国におけるパンツのやくわりが紹介されている。
それによると、日本ではスカートからパンツがみえないように
女性たちが気をくばるのにたいし、
中国の女性はちは「パンツをはいているから大丈夫」という意識なのだという。
パンツまではみられてもだいじょうぶ、という部分なわけで、
パンツをみられても平然としていられる中国では、
『源氏物語』におけるチラみせは効果を発揮しない。
チラみせの威力は、日本ならではのものかもしれない。

わたしはこの本をよむにつれ、当時の執筆環境が気になってきた。
1000年もまえに、紙がじゅうぶんにあるわけでもなかっただろうに、
この膨大なものがたりは、どうやって構成がねられ、
執筆され、手なおし、プロデュース、出版されていったのか。
そして、当時のだれがどのようによんでいったのかと、
どんどん不思議な点がでてくる。
いまでなら、フセンをつかってアイデアをかきだし、整理し、グループにわけ、
かくのはもちろんパソンにむかって修正しながら、なんてことができるけど、
当時の執筆環境はそれらのいっさいをゆるさない。
ぶっつけ本番で、いきなりサラサラっとかいていったのだろうか。
まだ印刷技術がないので、複写するには原作をかきうつしていたのだろうか。

これらのことが頭にうかぶのは、
それだけ平安の生活様式が、わたしのなかでリアリティをもったからだ。
むかしもいまも、というよりも、いまよりもずっと
やりまくっていた平安の貴族たち。
『源氏物語』とは、そんな欲望についてかかれたものであることを、
酒井さんはおしえてくれた。
この道案内は、酒井さんにしかできなかっただろう。
酒井さんはべつの著作で『枕草子』についてもかかれている。
これらの本に、わたしはぜったいに手をだすことはない、とおもっていたけれど、
こんな生々しい内容だったらよんでみたくなる。
あたらしいジャンルに関心をむけてくれた、酒井さんならではの仕事に感謝したい。

posted by カルピス at 11:51 | Comment(0) | TrackBack(1) | 酒井順子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする