2014年05月14日

『テルマエ・ロマエ』2作目にむけた、阿部寛さんの舞台挨拶をみてかんがえたこと

録画しておいた『テルマエ・ロマエ』をみる。
そんなにおもしろいとはおもわない。
原作者のヤマザキマリさんに気のどくなできだ。
映画化をめぐってトラブルがあったときいているので、
とくにヤマザキさん側にたってしまうのかもしれない。
興行収入は60億円というから、映画としてはヒット作といえる数字だ。
2作目ができたのだから、1作目は みこんでいたよりもお客さんをたくさんあつめたのだろう。

テレビで1作目を放映したのは、
いま上映中である2作目の宣伝をかねてのことだ。
番組のおわりでは、主演の阿部寛さんと上戸彩さんが
2作目を上映している映画館にあらわれて、
「おもしろいのができました。ぜひみてください」と宣伝をかねて挨拶している。
ついうっかり、
「そんなにいうのなら」と、しんじて
2作目をみたくなるほど快心の笑顔だ。
お客さんへマイクをむけても いい反応がかえってくる。
もっとも、宣伝のための場なのだから、
阿部さんが「もうひとつのできだけど」、なんてことをいうわけがないし、
お客さんだって「んーと、そうですね・・・」と、にえきらない反応はしめさない。
とにかく、阿部さんがさすがにプロの俳優さんらしく、
自信満々でセールスするのに感心した。

1作目に失望したわたしとしては、その演技力を、
作品のなかでつかってほしいとおもった。
もっとも、2作目がみたいとおもわせるほどの演技力があるのだから、
それが1作目に反映されなかったのは、
阿部さんの責任ではなく、監督の演出力に問題があったのかもしれない。
ここらへんはややこしいところなので、
よく整理してかんがえる必要がある。

2作目がいいできと、笑顔ではなす阿部さんが、
ほんとうはそうおもってないのに、演技でそういっているのなら、
2作目はつまらないできということになる。
もし、演技ではなく本心からおもしろいといってるのなら、
2作目はもしかしたらおもしろいかもしれないけど、
1作目にみる程度の演技力なら、
2作目もあまり期待できないみこみのほうがつよい。
1作目は演技力がともなわなかったために
つまらない作品にとどまったとかんがえられる。
演技力ではなく、演出に問題があったとしたら、
2作目は1作目とにたようなできになる可能性がたかい。
であるからして、どのみち2作目がおもしろいという保証はない。
ここに論理のパラドックスがかくされている。
わたしは阿部さんの笑顔から、
小倉千加子さんの『結婚の条件』にかくされた不条理をおもいだした。

おおくのひとが結婚をしたいとのぞみながら、
「適当なひと」がみつからないために
あとへ、あとへと結婚が回避され、晩婚化がすすむ。
わたしは『結婚の条件』をよむうちに、
「結婚の条件」とは、結婚への条件をかぞえあげていては
結婚できないというという条件であることに気づいた。
「結婚の条件」とくちにしたとたん、
手にはいりそうになった結婚は、サッとすべりおちていくのだ。
(営業的には好調であったとしても)1作目ですべった役者さんは、
2作目の宣伝をしないほうがいいのではないか。

阿部寛さんと上戸彩さんは、どちらもわたしがすきな役者さんであり、
あんなに自信満々な笑顔をみせられると、『テルマエ・ロマエU』にむけて、
気もちがすこしうごく。
しかし、1作目のできをみるかぎり、2作目に1800円をはらうのは おおきなためらいがある。
1作目とおなじスタッフでつくる2作目が、おおばけするとはかんがえにくいから。

作品の内容についてはこまかくのべない。
ローマ時代の町や、テルマエが、いかにもそれらしく再現されており、
いい作品にしあがる可能性はあったとおもう。

わたしのしりあいに、映画館で『テルマエ・ロマエ』をみたひとがふたりいる。
感想をたずねると、ひとりはわたしとおなじで、よいできではないというみかた。
もうひとりは、気らくに たのしくみれたと肯定的な意見だった(とはいえ、2作目はまだみていない)。
おおくの作品がそうであるように、
原作をよんだものにとって、映画化された作品は
なにかしらものたりないところがある。
批判的なみかたをした しりあいとわたしは、
どちらも原作をさきによんでおり、
ふたりとも2作目にいく気はない。
主演俳優による舞台挨拶が、快心の笑顔だっただけに
印象にのこる作品となった。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする