すこしまえのJリーグタイムで、
鹿島アントラーズの柴崎選手がインタビューにこたえていた。
これで首位にたちましたが、というといかけに、
「首位といっても(いくつものチームが)せまい点差にならんでますので、
1試合1試合をつみあさねていくしかないとおもっています」
柴崎選手というと、22歳とはおもえない
おちついたプレーがたかい評価をうけている。
とはいえ、べつに柴崎選手をもちだすまでもなく、
サッカー選手ならだれもがそうこたえるだろう。
「1試合1試合をつみあさねていくしかない」
なんて、いかにも優等生的な発言だけど、
どんなに才能ゆたかな選手であっても、
サッカーの場合、そうやって1試合1試合をつみかさねるしかない。
もちろんサッカーにかぎらず
ほとんどのことは、目のまえの仕事や
その日いちにちをどうすごしたか、のつみかさねだ。
1日1日の仕事を、着実につみかさねていくこと。
毎日を丁寧に生きること。
そんななかで、わたしはとくにサッカーについて
その切実さをかんじる。
ケガをするかもしれないし、レギュラーのポジションをうばわれるかもしれない。
なにがおこるかわからないので、
選手にできるのは、つぎの試合に集中することだけだ。
目のまえにとても大切な大会があると、
選手たちはどうしてもかちたいし、出場したい気もちをかきたてられるだろう。
たとえばWカップみたいに。
しかし、そのまたさきには延々と「大切な」試合がつらなっているのもたしかだ。
Wカップ出場とか、リーグ優勝とか、
おおきな目標をかかげるのは大切だろうけど、
そのためにできるのは、目のまえの試合にベストをつくすことしかない。
ある選手が個人的なおもいから
3ヶ月さきの試合にこだわり、ピークをあわせようとすした場合、
どうしてもそれまでの試合はちからをぬいたプレーになる。
そうした態度は監督や同僚の選手、サポーターからも非難されるにちがいない。
選手たちは、どんな場合でも目のまえの試合に全力をつくすしかない。
プロ野球のように、シーズンがはじまってしまえば
あとはペナントをめざして試合をつづけるしかない競技とちがい、
サッカーは平行していくつもの大会に参加するスケジュールとなっている。
リーグ戦・ACL・ナビスコ杯・天皇杯、それに代表戦。
選手たちはどれにマトをしぼるのかむつかしいところだ。
けっきょく、つぎの試合に全力をそそぐ、ということしかできない。
もしコンディションがじゅうぶんでなければ、
ためらわずに出場をみあわせる。
つぎの試合は大切だけど、そのさきにもまた
重要な試合がきりもなくつづいているのだ。
次の試合に無理をして出場し、ケガがながびくのはつまらない。
『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本のタイトルみたいに、
すべてはサッカーのなかにある、といいたくなってくる。
オシムさんは、「サッカーは人生だ」といっていた。
サッカーにふくまれるさまざまな要素は、人生のおおくに適応できる。
ワールド杯ブラジル大会をまえにしているのは、
そうして一日いちにちをつみかさねてきた選手たちだ。
6月15日のコートジボワール戦にむけて
からだと頭をピークにもっていこうとしている。
たいへんなエネルギーをかたむけて4年間の準備をおえ、本大会をたたかい、
もしすばらしい結果をのこせたとしても、
それですべてがおわるわけではなく、
またつぎの大会にむけて目のまえの試合をつみあげていく。
引退するまでそのサイクルはとまらない。
それもまた、人生といっしょなのだとはいえ、なんだかせつない。