まちで目にするローマ字のおおくはヘボン式でかかれている。
とかいても、たいていのひとはヘボン式と訓令式とのちがいに関心がなく、
おなじようなものと とらえているようにおもえる。
ローマ字は、おおきくわけて訓令式とヘボン式があり、
訓令式は学校でならうもので、
ヘボン式は日本語の発音を英語風にかいたものだ。
訓令式は母音と子音のくみあわせが規則的でおぼえやすい。
たとえば訓令式は「た・ち・つ・て・と」を
「ta ti tu te to」とかき、
ヘボン式では
「ta chi tsu te to」とあわらす。
そのほうが英語をはなすひとにとったら
発音しやすいというだけで、
それ以外のことばをつかうひとにメリットはない。
日本語をかくには訓令式のほうがずっとわかりやすいとおもうのに、
「ち」を「chi」、「つ」を「 tsu」とかくひとがおおいのはなぜだろうか。
ひとつには、 ローマ字が日本語であると認識されていないからだとおもう。
アルファベットをつかって日本語をかくのがローマ字であり、
ローマ字と英語にはなんの関係もない。
それにもかかわらず、英語風につづるほうが
よりほんものらしく、かっこいいという意識をかんじる。
パソコンのキーボードに入力するときのようすをみていると、
入力は訓令式でやっているのに、
それ以外の場面ではヘボン式、というひとがおおいようだ。
なぜそうするのかをきいても、
はっきりした理由はないのでこたえられない。
なんとなく「ち」は「chi」、 「つ」は「 tsu」と
つづるものだとおもいこんでいるのであり、
ヘボン式がただしいから、という意識からではない。
ばくぜんとヘボン式が正式とおもいこんでいるのだ。
地名や道路標識、またパスポートにかく名前には
国のきまりがあって、変則的なローマ字がもちいられている。
それ以外のところでは、ヘボン式・訓令式の どちらでもいいはずなのに、
じっさいにはヘボン式がおおくつかわれており、
そしてその理由がとくにない、というのが
わたしにはすごくおかしなことにおもえる。
それだけ英語をありがたがっており、
英語にちかづけたつづりにあこがれているのだろうか。
ほとんどのひとは、ヘボン式が英語にちかいつづりなので、
なんとなく正式なローマ字とおもいこんでいるだけなのだ。
くりかえすと、ローマ字はアルファベットをつかってあらわす日本語なのであり、
英語とは関係がない。
パソコンに入力するときは訓令式でやっているのだから、
ほかの場面、たとえば名前をかくときでも、
そのまま訓令式をつかえばいいのに。
英語をはなせないひとがおおいのに、チラシやコピーには英語の表示をよくみかける。
英語のほうがかっこいいという、その意識がローマ字にもおよんでいて、
ローマ字のつづりもできるだけ英語風にしたいのだろうか。
英語をありがたがるその気もちがわたしにはわからない。
なぜスタッフを「STAFF」、やすうりを「SALE」とするのか。
「よしだ」はなぜ「Yoshida」のほうが「Yosida」よりもかっこいいとおもうのか。
べつに野球の「ストライク」を「いいたま」にいいかえろ、
といっているわけではない。
ローマ字は日本語なのだから、英語風につづる必要がないこと、
母音と子音との規則的なくみあわせである訓令式のほうが
日本人にはつかいやすいといっているだけだ。
ヘボン式をありがたがる気もちには、
英語をおもんじる心理がかくされている。
わたしには、なぜ英語を高級とおもうのかがわからない。