『しあわせ節電』(鈴木孝夫・文藝春秋)
『人にはどれだけの物が必要か』につづく本。
前書が出版されてから17年たち(いまでは20年)、
3年まえには福島第一原発事故もおきた。
「電力危機が現実のものとなり、
節電が急にやかましく言われていますが、
遅きに失しているとはいえ、大変にいいことだと思います。
ただ日本人は忘れやすいですから、喉元過ぎればで、
それが一過性に終わってしまうことのないよう、
われわれ日本人の暮らしと生き方をこの際、
根本から再考する絶好のチャンスが訪れたと受け止めるべきです。
このようなわけで今回、この本は、私の『遺書』と思って
出すことにしました」
かかれている内容は、基本的にまえの本とおなじだ。
ただ、福島第一原発事故のあとでは、
状況の深刻さがまるでちがう。
「(安全に問題のある)原子力は、私個人としては
使うべきではないと思っています。
使わないとなると石炭・石油はないし、買えば高いし、
それから環境の大気汚染に悪影響だというなら、
電力の消費自体を大幅に下げるしかないのは
子どもでもわかることでしょう」
鈴木氏は、経済成長をやめろとか、電気をつかうなといっているわけではない。
物質的な欲望をおさえ、進歩をすこしだけうたがってみませんか、という提案だ。
電力、なかでも原発はお金がからんでおり、
安全や人類の将来のことをいくらかかげてもきく耳をもってもらえない。
しかし、節電なら個人のかんがえ方しだいで いくらでもとりくむことができる。
前書をよんでから、わたしがわたし自身の生活をどれだけかえたかというと、
節約とはちがう動機で酒をやめたぐらいか。
あつい夜はエアコンをつかうようになったから、
これまでよりかえって電気をつかうようになったかもしれない。
ただ、自動車にほとんどのらないし、
コンビニやファーストフード店はいちどもはいらなかった。
個人的なエネルギー消費量は、平均的な日本人として
すくないのではないかとおもっている(ほとんどいいわけ)。
と、かいていて、コンビニやファーストフードを
ここにあげていいのかどうか かんがえてしまった。
つい悪者としてあつかってしまいやすいけど、
かんたんにはきめつけられない気もする。
電力についてかんがえると、なかなかスッキリした表現ができないのは、
こういうふうに、いろんなことがややこしくからまって
どんどん「はてな」がつくからである(とにげる)。
ものをもたない生活は、あいかわらずできない。
このまえ『わたしのウチには、なんにもない。』(ゆるりまい)を
ペラペラっとめくってみて、
著者の家に、あまりにも ものがないのにおどろいてしまった。
ここまでくると、著者がいうように「ものをすてたい病」というのだろう。
わたしもいつの日か、大英断をくだして 本棚を整理しようとおもっているけど、
もちろん まっていても そんな日はいつになってもこない。
わたしの部屋には配偶者のおおきなタンスがおいてあり、
気にしはじめると、これがじゃまでしょうがなく、
このタンスのために わたしのすべての知的生産が
ストップしているようにおもえてくる。
目黒考二さんが「酒と家族は読書の邪魔」といっており、
わたしもこの格言にひそかに一票をいれている。
家族とのよりよいくらしがしあわせであるはずなのに、
もののかたづけについては、家族さえいなければ、
という本末転倒なかんがえが あたまをかすめる。
ものをめぐる家族間のかけひきは、とてもデリケートだ。
福島第一原発事故がおきてから3年たち、
原発の再稼働や、外国への輸出までが話題にのぼるようになった。
「忘れやすい」「喉元過ぎれば」とはいえ、
あまりにもすばやく既成事実をつみあげようとするのに おどろかざるをえない。
「いつ重大な事故を起こすかもしれない原子力発電を全廃し、
更に出来れば現に環境に大きな影響を与え続けている火力発電をも
縮小に向かわせることを本気で望むなら、
その解決策は一つしかない。
それは無駄な電力の浪費を止めさせるあらゆる手だてを考え、
国民すべてがそれを実行することである」
節電は、電気製品をできるだけつかわないことだけでなく、
ものを大切にするくらしが、そのまま節電につながっている。
よけいなものをつくらなければ、電力もつかわない。
自動販売機にたよらないとか、ものをかわない・すてない生活が、
おおきすぎる問題をかかえこまなくても、個人にできる節電であり、
それはとくにたいへんでもないし、無味乾燥な生活でもない、
というのが鈴木さんの実践であり提案だ。
節電に、たのしみながらとりくむこと。
わたしが具体的にとりくめるのは、
ものを大切にすることをふくめた節電しかない。
節電が大切なことは だれにでもわかるのにふかまらない。
福島第一原発事故さえ、過去のできごとにされようとしている。
節電を自分の問題としてかんがえるために、
鈴木さんが提案する ものを大切にしたくらしは
わたしたちにできる具体的なとりくみと、
基本的な姿勢をおしえてくれる。