『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』
(村上春樹・柴田元幸/文春新書)
『翻訳夜話』がとてもおもしろかったので、
つづけて『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』を手にとる。
でも、村上さんの「まえがきにかえて」をよんでみると、
どうも『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を
さきによんでからにしたほうがよさそうだ
(当然なはなしではある)。
『キャッチャー』は、出版された2003年の4月にかったまま、
本棚にならべただけになっていた(むすこにはすすめた)。
野崎孝氏訳の『ライ麦畑でつかまえて』は たしか20代のころよみ、
それなりの感想はもったものの、10代で であうホールデンくんとは
決定的にちがうわけで、それほどはげしくこころをゆさぶられたわけではないし、
内容もほとんどおぼえていない。
というわけで、『夜話』をたのしむために、
まず『キャッチャー』をよんでからという
正式な手つづきを経ることにした。
なにしろ村上さんが
「ところで、『キャッチャー』を楽しく読んでいただけましたでしょうか?」
なんてかいてるのだ。
できれば『ライ麦』のほうも、もういちど目をとおしたほうが
よりいいのだろうけど、そこまでは完璧をもとめないことにする。
『翻訳夜話』は、翻訳のたのしさや
翻訳にまつわるこぼればなしみたいなのがおもしろかった。
『夜話2』は「2」がついていて続編みたいだけど、
しかし、内容はほとんど『キャッチャー』の解説と分析であり、
正直なところわたしにはかなりむつかしかった。
ホールデンくんがどんどんまるはだかにされてゆき、
わたしがおもいもしなかったさまざまな「意味」が説明されている。
1冊の本を翻訳するにあたり、これだけふかく・こまかくふみこんで解説した本を、
わたしははじめてよんだ。
『キャッチャー』によいタイミングでであえた幸運な読者には、
ぜひ本書もあわせてよまれることをおすすめする。
そして、16歳というタイムリーな時期をはずしたひとにとっても、
この本は最良なガイドとなるだろう。
『夜話2』に説明してもらえなければ、
わたしの『キャッチャー』体験は
すいぶんまずしい段階にとどまっていたにちがいない。
ホールデンくんは、若気のいたりでおもいついたことを
テキトーにしゃべっているようにみえる。
村上さんはどうとらえているだろうか。
「とにかく僕が言いたいのは、『キャッチャー』という本は、
だれがなんと言おうと本当に神業なんだということです。(中略)
僕がもっとも深く感心するのは、表現された内容と表現の方法とが、
ほとんど等価に、それでいてそれぞれに個別な働き方をしているということです。
とにかくこの小説では、表現内容に劣らず、
文体というものが大事です」
村上さんは、だからこそ
サリンジャーのリズムをいかすことを大切にしたという。
「この人の文章のリズムというのはまさに魔術なんですよ、
このしゃべりは。
その魔術性というのは何があろうと、
翻訳で殺しちゃいけないんですよ。
それがいちばん大事なところだと僕は思うんです。
生きている金魚を手ですくって、さっとそのまま間髪を入れずに
別の水槽に移しかえる、みたいなことです」(村上)
本を1冊よみおえたときに、
わたしはほかのひとがその本にどんな感想をもったのか しりたいとおもう。
『翻訳夜話2』は、その感想が、こまかな解説つきで、
1冊まるごとつまっているわけだから、
これくらいありがたい本はない。
「刊行以来50年以上を経ても、
その売れ行きには翳りは見られない。
総売上数はアメリカだけで訳1500万部、
世界的に見れば6000万部に達していると言われている。
そして、今でも世界で毎年25万部ほどが売れているということだから、
その数はこれからも着実に増え続けることだろう」(村上)
毎年25万部も着実につみあげられていくのが
どれだけものすごいことなのか、ちょっと想像しただけでわかる。
それだけたくさんのひとが、『キャッチャー』とのであいをもとめている。
「この本についていちばん素晴らしいと思うのは、
そういうまだ足場のない、相対的な世界の中で生き惑わっている人に、
その多くは若い人たちなんだけど、
自分は孤独ではないんだという、
ものすごい共感を与えることができるということなんですね。
それは偉大なことだと思うな」(村上)
が『キャッチャー』の適切なまとめではないだろうか。