『昔は、よかった?』(酒井順子・講談社文庫)
「週刊現代」に連載された記事が本にまとめられ、それを文庫化したもの。
シモネタがおおいような気がするのは、
「週刊現代」という発表媒体のせいだろうか。
率直にいって、斬新な記事はあまりなく、
ただ、それぞれのはなしのおわりにかかれた「追記」が
ときのうつりかわりをおしえてくれて、
文庫化ならではのおもしろさが生まれている。
雑誌にかかれたのは3〜4年まえのことだから、
文庫化されるにあたり、4年後だからかける「その後」が
追加の情報として かんたんにふれてあるのだ。
4年間は、ひとことにまとめられるほど アッという間でもあるし、
そのあいだにおきた変化を感慨ぶかくおもうだけの
まとまりをもった期間でもある。
3〜4年たつと、いろんなことがすっかりかわってしまい、
「あれだけさわがれていたひとがいまは・・・」とか、
「そういえば、そんなこともあった」みたいに、
ほんの4年とはおもえないほど むかしのできごととなっている。
ついでにいえば、サッカーでも4年たつと、
しっかり過去のこととなっていて おどろかされることがおおい。
4年まえのWカップ南アフリカ大会にえらばれたのに、
今回のブラジル大会の選考には、まったく名前があがらなかった選手がたくさんいる。
4年間のあいだに、なにかが決定的にかわったのだ。
4年間、ずっと代表にえらばれつづけた選手は10名にすぎず、
4年という年月が、いろんなことがおこりえる、意外とながい期間なのがわかる。
「10年ひとむかし」はあたりまえで、世の中のうごきがはげしい現代では、
「4年ひとむかし」くらいが感覚的にピッタリくるのではないだろうか
(Wカップにピンとこないひとは、おなじく4年まえの
バンクーバーオリンピックをおもいだしてみられたい)。
とはいうものの、タイトルにある『昔は、よかった?』は、
なにも4年前とくらべてのはなしではない。
かかれている内容が、なんとなくむかしとの比較によって
なりたっているものがおおいので、つけられたタイトルではないか。
あんまりかたぐるしくかんがえずに かるくながしてね、が
本書の基本的なたち位置である。
いちばんおもしろかったのは、箱根駅伝のコマーシャルでながれた
「大人のエレベーター」についてのはなしだ。
妻夫木さんが、「大人のエレベーター」にのって
おとなの男たちをたずねる。
わたしはみていないけれど、リリー・フランキーさんがそこで
「大人は子供の想像の産物だ。
子供の頃は、大人ってもっとちゃんとしていると思っていた」
といったそうだ。
わたしは、自分が成熟しきれていない「あまちゃん」なのを
コンプレックスにおもっており、
いっぽうで、ほかのひとたちは わたしとちがい ちゃんとしたおとなにみえていた。
それなのに、リリー・フランキーさんみたいなひとが、
「大人ってもっとちゃんとしていると思っていた」なんていってくれるとは。
うれしいというか、やっぱりそうなの?というか、微妙なところだ。
子どもという概念は、産業革命がおわったころのイギリスで発見された(いいかげん)。
それまでは、赤ちゃんとおとなしか世間にみとめられておらず、
その中間というものがなかった。
子どもは、いわばおとなのちいさい版として、
それなりの労働力としてあつかわれていたのだ。
おなじように、というか、ぜんぜんちがうはなしだけど、
21世紀の日本において、突然おとなは消滅した、
というのも おもしろい(おもしろくない?)発見かもしれない。
いまの日本には 成熟したおとななんて、存在しないのだ。
酒井さんは、
「我が国では今、老若男女を問わず、皆が
『誰かについていきたい』と思っているのだけれど
その『誰か』がみつからず、右往左往している状態なのではないか」
とかんじている。
なぜそうなのかについての分析はない。
この本は、いわば世相の書だ。
いまの世の中では、こんなことがおきていると
酒井さんはおしえてくれる。
酒井さんのやく目はそこまでで、
なぜそうなったのかは、自分でかんがえなさいね、という
ある意味でひじょうに教育的な本かもしれない。
4年たつといろいろかわるけど、
けっきょくたいした変化じゃないから大丈夫、みたいな気になれるのも
酒井さんの本ならではの効用だ。