2014年08月19日

ピピを病院へ

ピピがごはんをたべなくなったので病院へつれていく。
口内炎なのだそうだ。
口のなかがいたくて、ものをたべれないという。
もっとこわい病気ではないかと心配していたので、
口内炎ときくと、たいしたことないような気がしてホッとする。
とはいえ、ピピにとってはずいぶんひどいいたみにちがいなく、
あくびをしたときに 口をひらくだけでも
声をあげるぐらい いたがる。

それが2日まえのことだ。
処方された抗生物質をのんでも いたみがとれないようで、
まだごはんをたべるようにならない。
げんきはあり、外にでかけたりもするけど、たべない。
脱水症状がすすみ、毛皮をつまんでも、すぐにもとにもどらないので、
今朝もういちど病院へ。
こんどは「たべれなくなったら、どうしようもないですよ」と
こわいことをいわれる。
補液で一時的に水分をおぎなうことはできても、
自分でたべなければ さきはながくはない、という意味だ。
口内炎ときいて安心してたのに、きゅうにまっくろな雲がたちこめた気分になる。

これまで なんどピピを病院へつれていったことだろう。
ピピは気がつよいのか、ケンカのたえない人生なのだ。
今回の通院では「この子はしょっちゅうケガをしてるねー」と
ピピのファイルをみた先生があきれていた。
病気やケガをもらってくるので、ネコをそとにださないよう、
通院のたびにいわれるけど、ピピは家のなかだけで我慢してくれるようなネコではない。
外にでることで、寿命はみじかくなるかもしれないが、
そのほうがピピは自分らしく生きれらてしあわせなのではないか。
ここらへんは、人間のかってなとらえかたでしかないけれど、
野性をうけいれて、げんきなときのピピと 精一杯いっしょに生きようと
殊勝なことをかんがえている。
でも、いざ今回みたいにたべなくなったりすると、
ピピの死がすぐそこにやってきたような気がして あわててしまうのだ。

先生のはなしでは、病院の2階にネコ部屋があり、
十数匹のネコがドタバタかけまわっているという。
みかたによっては、かなりストレスのある環境なのだ。
しかし、なにをストレスととらえるかは、かんがえ方であって、
外にでられないことが そのままネコの不幸とはかぎらないと先生にいわれる。
外にでるネコは、自由にうごきまわるからストレスがないようにみえるけど、
ほかのネコたちとのなわばりあらそいだってストレスです、とさとされる。
こうなってくると、ほんとうにとらえ方しだいだ。

ネコはむれでもくらせるそうですね、とわたしがいうと、
「いえ、ネコは単独行動の動物です」と先生に否定された。
そして、「でも、ひとがすきです」とつけたされる。
そうなのだ。わたしがピピをだいすきなように、
ピピもわたしがだいすきなのだ。
いっしょにいたいことを、ストレートに表現してくれる。
なんてすてきなピピ。

人間なら、口内炎ができたときには、
やわらかいものをえらんだり、
プチ断食と称してしばらくものをたべなくても大丈夫だけど、
ネコの場合はどこまで体力がもつだろうか。
病院では、強制給餌といって、針のない注射器にごはんをいれて、
むりやりたべさせる方法をすすめられた。
強制給餌はこれまでにもなんどかやったことがあるけど、
いやがるネコの口に、むりやりおしこむのはいやなものだ。
本人がたべないというのだから、
その判断を尊重して みまもるしかないような気もする。
ピピはいつも自分らしく、きっぱりと生きている。
わたしにできるのは、ピピとすごす時間を大切にすることだけだ。

posted by カルピス at 20:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする