『楽園のカンヴァス』(原田マハ・新潮文庫)
評判はきいていた。
ブックガイド『読むのが怖いZ』では、
「こんなに急に化けるとは」と、
突然レベルアップした著者のうまさに 北上さんがおどろいている。
ほかの書評でも肯定的な感想がおおく、おもしろいのはまちがいないみたいだ。
これまでに原田マハ氏の本は2冊よんだけど、
わるくはないけど、絶讃するほどでもない、というレベルだった。
北上さんがそんなにいうなら、と
文庫本になるのをまっていた。
ものがたりのはじまりは、すごく地味だ。
美術館のしずかな展示室で、監視員をつとめる女性が
シャバンヌの作品をじっとみつめている。
仕事とはいえ、すきな絵をいくらでもみることのできるしあわせを
彼女はかみしめる。
その作品がなにをかたっているかについて、
作者との無言のやりとりをたのしむ至福の時間だ。
ある日この女性(早川織絵)が館長によばれ、
新聞社の文化事業部につとめる男性を紹介される。
その新聞社がルソーの展覧会を企画するにあたり、
目玉となる作品のかしだしをめぐって
相手のニューヨーク近代美術館が条件をつけてきたという。
ルソーの名画『夢』を日本の美術館にかしだすかどうかの交渉相手として、
チーフ=キュレーター(学芸部長)であるティム=ブラウンが、
早川を指名してきたのだ。
というのがまえふりで、ここからいっきょにものがたりがうごきだす。
ティムと早川には、まぼろしの名画をめぐり、
いっしょにすごした過去があった。
17年まえのこと、スイスにすむなぞの美術コレクターが、
ルソーの名画『夢』とよくにた作品について
ほんものかどうかをしらべてほしいと ふたりに依頼してきたのだ。
当時から、ふたりは世界でもトップレベルのルソー研究者であり、
1週間かけて絵をしらべたあとに、それぞれが結果を発表することになる。
ただ、調査の方法がかわっていて、1冊の本を1日に1章ずつよんでいき、
7日めに判断してほしいという。
絵がほんものか にせものかを きめることよりも、
どちらがすぐれた講評をおこなったかが重要であり、
依頼人であるコレクターがその優劣をきめる。
そして勝者には、その作品のとりあつかい権利がゆずられる。
じょうずに読者の関心をひき、はやくさきの展開がしりたくなる。
しかし、それとともに、わたしのレベルからいっても、
つっこみどころがおおい文章なのだ。
本をよみながら、何ヶ所にも線をひいて、かんじたことをメモする。
たとえば
「両開きの扉を、かっきり二回、シュナーゼンがノックした」
なんてかいてあると、「かっきり二回」にひっかかる。
「かっきり四回」ならわかる。
しかし、「かっきり二回」はおかしくないか。
ほかにも「あの女性の姿は、跡形もなく消えていた」などと
紋切型の表現もおおく、なにをそんなにりきんでるのかと
チャチャをいれたくなる。
文章のまずさでこんなにメモをとりながら、
それでもおもしろくよませるのだから たいしたものだ、ともいえる。
すぐれたミステリーとくらべたら
表現のつたなさとラストのツメのあまさが気になってしまい、
一流の作品とは評価できない。
おもわせぶりに顔をだしたトム=ブラウンは、
もっと意外なからみ方をしてくれると期待していたのに、
あまりにもあっけなくとおりすぎてしまった。
調査を発表するときには、一流の研究者のはずなのに
ふたりとも感情にながされて、まるであまいことをいう。
そうした残念さとリアリティのなさが目だつにもかかわらず、
構成のうまさなのか、読者のこころをつかまえてはなさない。
文句をいいながらもどんどんページをめくり、
よみおえたときは、意外なすがすがしさをおぼえるかわった本だ。
最後でかたられる「絵が、生きている」のひとことこそ、
本書のいいたかったことかもしれない。
そのために著者は構成をねり、ややこしい伏線をはった。
原田マハ氏がほんとうに化けたかどうかは、
もう1冊よんでからの判断としたい。