2014年09月30日

『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(ジェーン=スー)最強・最上の女子指南書

『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(ジェーン=スー・幻冬舎)

装丁・装画を担当された芥陽子氏の絵にたじろぐ。
この本には毒がありますよ、
うっかりちかづかないほうがいいかもしれませんよ、と
表紙の絵がおしえてくれる。
覚悟のうえでわたしは、ジェーン=スー氏の本をはじめて手にした。

「女子指南書」なのだそうだ。
『負け犬の遠吠え』から10年。
女性はまたあたらしいバイブルを手にいれたのか。
よんでるうちに、自分がまったくさえない男におもえてきた。
これはもう、いさぎよく白旗をあげて、
本文から引用しまくるしかない。
各章のタイトルからして絶妙だ。
そこでもう勝負がついてるかんじ。

「女子会には二種類あってだな」
「ババアの前に、おばさんをハッキリさせようではないか」
「そんなにびっくりしなさんな」

どのタイトルも、そのさきをよみたくなってくる。

かとおもうと、
「粉チーズは高額嗜好品であります」という庶民の視線からの指摘もある。
ほんとうだ。なんであんなにたかいものを平気でかってるのだろう。

「粉チーズは罪な食べ物で、それ単体では食べられない。
 粉チーズは罪な食べ物で、それ単体ではたべられないのですよ」

粉チーズはたかいので、ジェーン=スー氏は
巨大なパルメザンチーズを冷凍庫に保存しているそうだ。
家でパスタをつくったとき、
そのパルメザンチーズをたまたまきらしていて、
粉チーズをかけれなかった。2日つづけて。
3日目にはファミレスにいってドリアを注文したのに、
あろうことか粉チーズをかけるのをわすれてしまった。
それに気づいたとき「確かに時が止まったのです」
というジェーン=スー氏の無念さをおもうと胸がいたむ。
「粉チーズは罪な食べ物で、それ単体では食べられない」
というながいフレーズを大胆に2回くりかえすことで、
粉チーズにたいするジェーン=スー氏のゆがんだおもいがつたわってくる。
この章は、粉チーズへのうらみつらみだ。
「パスタにもドリアにも、いつか思う存分かけてやる。
クラフトよ、その細い首を洗って待っておけ」
(「ファミレスと粉チーズと私」)

おもしろかった表現を引用してみる。

(「三十代の自由と結婚」)
「結婚しなきゃわからない喜びがあるならば、
結婚したらわからない楽しさもあるはずです」

「三十代で手に入れた自由は武器から城に姿を変え、
それを手放すのはどんどん難しくなってしまいました」

「二十代では夢と希望に満ち溢れていた『結婚』の二文字は、
いつのまにか納めなければならない『年貢』に見えてきて、
享楽的なキリギリスはいつか罰を受けるのではないかと
恐怖で目覚める朝もある。
『じゃあアンタはいままでなにやってたの?』と問われれば
『毎日を!一生懸命!楽しく過ごしてまいりました!』
としか言えないのが苦しいのですが」

(「女友達がピットインしてきました」)
「大切な女友達が男と別れました。
ちゃんと付き合って、ちゃんと別れた。大人だからね。
これからは、ピットにインしてきたオーバーヒートのF1カーを、
女友達というメカニックが至り尽くせりでケアするのであります。
大丈夫、すぐに車道に戻したりはしないから。
ただ、素早く黙々とやるよ、私たちは。手慣れたもんだぜ」

(「笑顔の行方」)
「そうやって自分のツラにも慣れた頃、
久しぶりに単体で写真を撮って頂く機会がありました。
かなり頑張って笑ったのに、
上がってきた写真の私はやっぱり笑顔がまだまだ硬かった。
少し快活な地蔵といったレベルです」

(「ピンクと和解せよ」)
「こうして、私はピンクと和解しました。
ピンクはいまでも受動的な愛され願望を連想させるけれど、
自分にそんな願望があることを、
ニヤニヤとみとめられるようにもなりました。
ピンクは私にとって特別な色ではなくなり、
いまでは『ピンク?ああ、あいつイイ奴だよね〜』
程度までのスタンスが取れる」

はじめて目にする文体だ。リズムときりくちのするどさがここちいい。
酒井順子さんを小倉千加子さんで武装し、
毒をたくさんふりかけたら こんな破壊力を生み出すのだろうか。
自分のおもっていることを、これだけぴったりのこどばで表現できればたのしいだろう。
ハチのひとさしでおわるのではなく、
それが何ページもガンガンつづくのだから、
よむ側に体力ががなければ、おわりまでよみとおせないかもしれない。

ある合コンで、ジェーン=スー氏のいたテーブルが「北朝鮮」とよばれ、
そこからのがれることを「脱北」と男たちがいっていたそうだ。
なんて失礼な男たち。でも、こわいものみたさで
うっかりジェーン=スー氏にちかづかなかった彼らを ほめるべきだろうか。
そんなことをしたら、表紙にかいてある毒々しい花に
ムシャムシャたべられてしまいそうだ。

これまでジェーン=スー氏の本をしらなかったことを後悔し、
さっそく『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』を注文する。
わたしによみとおすだけの体力があるだろうか。

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2014年09月29日

『知的生産の技術とセンス』(堀正岳・まつもとあつし) アップデートにとどまらない 希望とアジテーションの本

『知的生産の技術とセンス』(堀正岳・まつもとあつし/マイナビ新書)

本書は 梅棹忠夫氏が1969年にかきあげ、
いまもなお読者をふやしている『知的生産の技術』に焦点をあてたものだ。
出版されてから40年以上たったいまも、
おおくの点で参考になるすぐれた本とはいえ、
当時といまでは さまざまな条件が ずいぶんかわってきている。
ノートパソコンやエバーノート、それにクラウドといったあたらしい環境を、
『知的生産の技術』でいかすとすれば
どんなつかい方ができるのか。
そして、その「知的生産」はなにを生みだせるのか。

「はじめに」をみると、本書は『知的生産の技術』のアップデートをこころみたとある。
しかしこの本のすばらしさは、それだけにとどまらない。

本書の内容は、おおきく3つにわけられる。

1 梅棹忠夫とはどんなひとだったのか
2 『知的生産の技術』をいまの時代にいかすには
3 世界に+(プラス)の影響をあたえるために

第7章がそのまま3つめの内容であり、
この本のよさはここに集約されている。
1と2でのべてきたことが、
3で一挙にクライマックスをむかえるさまはみごとだ。
もちろん、「知的生産の技術」を現代の環境で応用するのは
大切だとおもうけれど、
ただたんに、40年まえにできなかったことを、
最新の環境をいかして可能にするだけなら、あまりおもしろみはない。
これまでにも類書があっただろう。
あえて梅棹さんの名前をもちだすのだから、
ここはなにか ものすごくおおきな夢をみさせてほしいところだ。
本書は正統的な「知的生産」にとりくみながら その期待に堂々とこたえてくれた。

本書のすばらしさは、『知的生産の技術』のアップデートにとどまらず、
知的生産をとおして いまという時代に
なにができるかをかんがえた点にある。
梅棹さんの仕事は、せんじつめていえば、
世界をよくするためのこころみであると
ひろくみとおしたうえで位置づけ、
読者もまたその事業に参加できるという、
みごとなアジテーションの書となっている。
技術だけでなく、梅棹さんの思想をうけついでいるのだ。

「知的生産とは、世界に対して小さな+(プラス)を
積み重ねていくことだと述べてきました。(中略)
大切なのは、インプットとアウトプットの循環を続けることです」p228

「自分たちの知的な好奇心や驚きや感動を人に伝えることで、
世界がほんの少しでも良い方向に変わるのだと信じようではありませんか」p243

「どうすれば、こうしたかけがえのない人材になれるのでしょうか?(中略)
これは、知的生産のセンスを身につけた人にほかならないのです」p253

ちょくせつ梅棹さんにおそわったわけでもない
堀氏やまつもと氏のようなわかい方がたが、
梅棹さんの仕事を こうしてひきつぎ 発展させてくれることに感謝したい。
わたしもまた、ちいさなプラスをつみかさねていこうと
「知的生産」の実践をたきつけられたおもいだ。
そのことで
「世界がほんの少しでも良い方向に変わるのだと信じ」たい。
よみおえたあとのすがすがしさは、
自分の人生をじゅうじつさせながら、同時に
世界をかえていく可能性や希望をだかせてくれるからだろう。
まさしく『知的生産の技術』をよんだときとおなじ興奮がよみがえる。
梅棹さんの仕事をただしくひきつぎ、つぎの世代に手わたす
壮大な本にしあがっていることをたかく評価したい。

(追記)
本書にもあげてあるように、
『知的生産の技術』だけでなく、
梅棹さんの著作はどれもすばらしい本ばかりだ。
たとえば『モゴール族探検記』は、35歳の青年が
どうしたらこのようにふかい教養がにじみだす本をかけたのか。
京都学派の伝統と蓄積のあつみをおもわずにおれない。
いまイラクやアフガニスタンでおきている民族や宗教によるあらそいは、
その下地のおおくが この本でふれてある。

『文明の生態史観序説』では、
地理的・生態的な必然から、
日本とヨーロッパは平行進化したという歴史観をとなえている。
ヨーロッパからまなんだおかげで日本は発展したのではなく、
同時平行的に両地域は発展していたのだ。
梅棹さんはこの学説を、カーブルからカルカッタまでの自動車旅行がヒントになって くみたてている。
旅行中に観察したひとびとのくらしと生態系の変化。
それを分析し、仮説をたて、検討をかさねること。
これこそがフィールドワークをいかした「知的生産」だ。

ちょうど講談社学術文庫から『日本探検』が文庫化された。
おおくのひとに 梅棹さんの本を手にとってもらえたらと ねがっている。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月28日

「アジアマスターズ陸上」での泥谷さんの活躍

先日の朝日新聞が、24日におこなわれた
「アジアマスターズ陸上選手権」をとりあげていた。
80〜84歳クラスの男子400メートルリレーでは、
中国に1分以上の差をつけて日本チームが優勝したそうだ。
アンカーをつとめた泥谷久光さん(83歳)が
バトンをうけとる場面が新聞にのっており、
血管がうきでた上半身をみると、どれだけきたえられたからだなのかが うかがえる。
年齢がのっていなければ、だれも83歳とはおもわないだろう。
「何歳にみえます?」とにっこりほほえむ中高年女性の写真とちがい、
泥谷さんのほうは 長年にわたるトレーニングの成果だ。

泥谷さんは73歳で胃がんの全摘手術をうけたのにもかかわらず、
78歳で200メートルの日本記録を更新されている。
そして81歳で200メートルと400メートルで世界記録を樹立。
つぎの目標は100メートルでの世界記録なのだという。
「一つ一つの積み重ねが大事。
仕事や生き方とどうつなげられるか、
試行錯誤の連続です」
なんだそうだ。
83歳で、こんなにたかい意識をもっておられるとは。
わかいひとには想像しにくいかもしれないが、
40歳をこえたら、100メートルを全力でなんて ふつうはしれない。
あたまではすごい回転で足をうごかしているのに、
じっさいはその半分以下しか回転があがらない。
ましてや、200メートルや400メートルを全力でなんて、
よほど全身の筋肉、それに心肺機能に自信があるのだろう。
わたしは定期的にはしったり およいだりしているけど、
ゆっくりはしればいい長距離と、全力での短距離は またべつのはなしだ。
たんねんにウォーミングアップをしないと、冗談でなく死につながる。

ジムでよくいっしょになる74歳の男性は、
いつも2時間くらい筋トレにはげんでおられる。
そしてさいごにトレッドミルでのランニング。
ときどきマシンでとなりあってはしると、
ラストスパートで時速16キロぐらいにスピードをあげられるので、
わたしはとてもついていけない。
わたしより20歳もとしうえなのに、そんなはしりができるひとをみていると、
83歳の泥谷さんが いまでもりっぱなからだを維持され、
日本新や世界新をねらっておられるのが
現実のはなしだと理解できる。
理解できるけど、ふつうではありえない すごいはなしなのだ。
ながく生きていたら そのうちころがりこんでくる記録ではない。
それだけの年齢になっても、まだ練習にむかい、
ひとつひとつ課題をクリアーしてきたつみかさねが 実をむすんでのことだ。

わたしのトレーニングは、記録をめざしてというよりも、
だんだんと体調の維持が目的となってきた。
わたしが週に2回の水泳をやめたからといって、
世界のなにがかわるわけではないけれど、
わたしの老後にかかわってくるのだ。
泥谷さんのいわれる「一つ一つの積み重ねが大事」を
わたしも自分のこととして大切にしている。
健康に一発逆転はなく、「一つ一つの積み重ね」が
老人になったときの体調に直結してくるとかんがえたほうがいい。
これはもう、中年になったものにしかわからない危機感だろう。
会社をやめたときに、まだまだからだがうごくのか、それとも
だれかのお世話にならないと くらしていけないのでは ぜんぜんちがう。
わたしは世界記録や日本記録はめざさないけれど、
自分のからだがおもいどおりにうごく気もちのよさを ずっとあじわいたい。
自分のちからであるいたり自転車にのったり、ときには はしったり、
いろんな快感があるなかで、自分のからだをおもいどおりあやつれるよろこびは、
なにごとにもかえがたい。
いざとなったら病院に、ではなく、
できるだけ自分のからだは自分でまもりたいとおもう。
そのつみかさねが泥谷さんの場合 日本記録なのであり、
わたしにとっては のんきで平和な日常生活なのだ。

posted by カルピス at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月27日

「3万円の読書カード」まっていれば 夢のような仕事がくるかもしれない

『本の雑誌』の企画に「図書カード3万円」というのがある。
3万円の図書カードのつかい方がそのまま記事となり、
そのひとがどんな本に関心があるのかや、
お金のつかい方から ひととなりがうかがえる。
マンガをかったり、児童書をえらんだりとひとそれぞれで、
なにをかったのかが公開されることから、
なぜその本をえらんだかの記事をみると
多少ちからがはいっている印象をうける。
おこづかいとはちがい、ひとからプレゼントされた3万円は
ひとを理屈っぽくさせる。

この企画をたのしみにしているかというと、
あんまりよみとおした記憶がない。
企画としてはおもしろそうなのに、
できあがった記事はたいしてよみごたえがない。
わたしはひとがなにをかうのかについて、
ほとんど関心のないことがわかった。
おもうのはいつもおなじで、
だれかわたしにこの企画をむけてくれないか、ということだ。

どのひともたいてい
「この企画がまわってこないかとねがっていた」
「こんな夢のような仕事があるのか」
といった感想を、お約束のように記事のなかでのべている。
それはそうだろう。本ずきに、自由につかっていいよと、3万円わたすのは、
ギャンブル中毒のひとにおこづかいをあたえて、カジノにときはなつようなものだ。
ひごろはサイフを気にして ためらって、というか
はじめからあきらめていた高額の本を、この機会に手にできる。
それが仕事なのだから こんなにうれしいことはない。
わたしもまねをして、3万円の図書カードを、というのはウソで、
こういうのはおもいがけないプレゼントだから意味があるのであり、
自分が自分にあたえたごほうびでは、いつものかいものとあまりちがいがない。

「こんな夢のような仕事」でおもいだしたのが、
マッサージの実験台になってもらえませんか、ときりだされたことだ。
わたしはとくに肩こりや筋肉痛がひどいほうではないけれど、
マッサージをうけるのがだいすきで、
部活動の整理体操や、レースまえのマッサージをたのしみにしていた。
おとなになっても、いそがしい時期がおわった記念や、
自分にごほうびをだしたいときなど マッサージの店へゆく。
旅行さきでも たいていの国で その地方独自のマッサージを体験する
(これまでのナンバーワンはタイ式マッサージ)。

マッサージを勉強中のひとが、
おねがいだからマッサージをさせてくださいと、
わたしにたのんでくれないだろうか、というのが、
ずっとのぞんできたシチュエーションだった。
でもまあ、そんな夢みたいなはなしはあるわけがなく、
たんなる妄想としてあきらめ、
仲間どうしの すごくものたりないマッサージで我慢してきた。

それがある日、その夢のような依頼が、わたしにもたらされたのだから、
生きているのも わるいことばかりではない。
しりあいの女の子が、所属するクラブ(陸上)の選手にマッサージしたいので、
ついては その練習台になってくれないか、というのだ。
マッサージをしたいというぐらいだから、
まったくの素人ではなく、彼女もまた
練習をするなかで 選手どおしのマッサージをやっていたくちだ。
この依頼をきりだされたとき、わたしはほんとうにうれしかった。
ずっとねがっていたことが現実になったのだ、
しかも女の子からたのまれるかたちで。
実験台になった当日、わたしはマットにうつぶせになり、
全身をていねいにマッサージしてもらった。
ひととおりおわったあとで感想をつたえ、
たりないとかんじたところを もういちどやってもらう。
しあわせとは このことかとおもった。

ねがっているだけでは夢はかなわない、とよくいわれるけど、
かならずしも絶対ではなく、ほんとにかなうこともあるというのが、
このはなしの教訓だ。
しかし、この体験がわたしの人生にどんな影響をあたえたのか、よくわからない。
おもしろい依頼だった、ですんだのか、それとも
わかいうちにおいしい体験をしてしまったことで、
まっていれば、そのうちいいことがあると、
おもいこんだ面がありはしないか。
2回目の依頼がなかったのは、なにかわたしの発言に問題があったのかもしれない。
いまとなっては そんなことどうでもいいから、
だれかわたしに 3万円の読書カードをプレゼントしてくれないだろうか。

posted by カルピス at 20:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月26日

「2つまえのチームからはじめる日本代表」という西部謙司さんの指摘

サッカーライターの西部謙司さんが、
「2つ前から継承する日本代表」という記事で
http://www.sponichi.co.jp/soccer/yomimono/column/nishibe/index.html
日本代表の興味深い傾向として、1つ前のチームは無視して、2つ前から始めるということに気がついた。

とのべている。
おもしろい指摘ではあるけれど、かんがえてみれば
たいていのあたらしい体制は、まえの方針の否定からはじめるだろう。
「前監督の方針がすばらしかったから、
わたしもそれを継承します」
とは、ふつういわない。
この記事で重要なのは、
わざわざ2歩下がってから始めるのも悪くないが、こうなっているのは技術委員会が機能していないからだろう。毎回、総括をいい加減にして次を急ぐだけの体質がこうした無駄を生んでいるのではないか。

にある。このままでは、いつまでたっても日本のサッカーといえるものが
つみあげられない。

「修羅場をくぐっている人物」
「コミュニケーションがとれる」
「外国人のプロ監督」
「世界を知っている」
など、日本サッカー協会は 代表監督を いろいな視点からえらんできた。
そのつどいうことがちがっており、
監督就任の歴史をおっかけてみると、迷走といってもおおげさでないゆれ方だ。

こうしたことは、もちろんサッカー日本代表だけではなく、
おおくの組織にあてはまるだろう。
まえを否定したくなるのはわかるけど、
どんなところにむかっているかをはっきりさせないと、
また「うしなわれた4年間」となり、小手先だけの変化におわってしまう。

Wカップでの内容がよくなかったスペインとブラジルは、
どんな総括のもとにこれからの4年間をおくるのだろう。
とはいえ、どちらも独自のサッカーがすでにできあがっており、
根本的な改革をすすめるとはおもえない。
ほかにもポルトガル・イングランド・イタリアと、
おもったような成績がのこせなかった国はおおいけれど、
これらはいずれもスタイルができあがっている国だ。
日本の「総括」は、これからの羅針盤として こうした国より さらに重要性がたかい。
なんだかいつも「総括」といいながら、
その「総括」をいつまでたってもきいたことがない。
今回もまた、なんとなくアギーレ監督の体制がはじまってしまった。

会社の代表者がかわるのはよっぽどのことだけど、
サッカーの監督は ちょっとまけがこむだけでかえられてしまう。
というか、まけてなく、首位をはしっていてもかえられるからおそろしい。
今シーズンのJ1では、サガン鳥栖、昨シーズンでは大宮アルディージャが
首位のときに監督を交代させた。
首位でもそうなのだから、成績がわるければ首はすぐにあぶなくなる。
今シーズンはセレッソ大阪が2人目の監督交代をおこなったし、
さきにあげた鳥栖と、清水・仙台・大宮も、シーズン途中でかわっている。
これぐらいかんたんに監督がかわれば、
監督のほうだって「そういうものだ」とわりきれるのではないか。
たまたまチームと自分の戦術との相性がわるかっただけとおもえるし、
主力選手にケガがつづいて運がなかったのかもしれない。
かえられる理由は成績不振やチームの将来性をかんがえてのことがおおく、
監督の人間性までが否定されたわけではない。
敗北者のレッテルをはられることのない、ある意味やりなおしのきく世界だ。
べつのチームにいけば、じゅうぶん通用すると主張できるし、
あたらしい監督をむかえるチームも、あまりおおきな期待はせずに
「うまくいけばもうけもの」と、イチかバチかで採用する。

もちろん監督だけでなく、選手だってかんたんにほかのチームへうつっていく。
プレミアムリーグやセリエAなどにいけばおおさわぎされるけど、
実力のおとろえによって J1からJ2にいくことだっていくらでもあるし、
それでもだめならFIFAランキングのひくいアジアや、
ヨーロッパでも2部リーグが市場としてある。
もし、そこで通用するとおもえば、そして相手も自分を必要としてくれたら
世界のどこへでもいける。

サッカーならではの自由さをかんじるけど、
かんがえてみれば サッカーでなくてもそうやって
世界を相手に生きていけばいいわけだ。
世界のおおくのひとは、それを当然のこととして頭においているし、
ことばの壁をかんじてしまう日本人のなかにも、
世界のいろんな場所で 自分にあった生き方をしているひとがいる。
ちからをぬいて、たのしそうにくらしている そうしたひとをみていると、
その自由さをこのましくおもい、行動力がうらやましくなる。

サッカーでは総括が大切などといいながら、
生活においては数年さきの計画さえたてず、
なりゆきにまかせてわたしは生きてきた。
もう のこり時間があまりなくなってきたので
(べつに余命を宣告されたわけではない)、
やりたいことを いいかげん はっきりさせる時期なのだろう。
日本サッカー協会に批判めいたことをかいたけど、
とてもひとのことをわるくいえるほど
自分がりっぱではないことはあきらかだ。
自由がだいじなことは はっきりしている。
でも、それだけではなにもきまらない。

posted by カルピス at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月25日

「やってみようともしないこと」は問題なのか

『思い出のマーニー』(J=ロビンソン・岩波少年文庫)の冒頭で、

「それから、”やってみようともしないこと”というのが、
アンナがノーフォークへ行くことになった、もう一つのわけでした」

というはなしがでてくる。
どこもわるいところはないし、頭もわるくないけど、

「この”やってみようともしないこと”ってことが、
あなたの将来をだめにしてしまうんじゃないかしら・・・」

とミセス=プレストンは心配する。

似たような体験をわたしはおもいだす。
小学校3、4年生のころ、
たとえばプリントをもらいに先生のところへいくときなど、
それまではさきをあらそって列にならぶ子だったのが、
あるときからギリギリの時間まで席でまつようになった。
どうせ最終的にはプリントをうけとるわけで、
列がみじかくなってから 先生のところへいけばいい。
はやくから列にならんだからといって、いいことなどなにもないのだ。
そしてそのとおり、あとから列にならんでも なにも問題はなかった。
列にならばなくてもいいことに味をしめ、
それ以来、やらなくてもいいことはしない、
子どもらしくない もののみかたに ひきつけられていった。

先生はそうした「子どもらしくない」態度に敏感だった。
「やる気がない・げんきがない・しらけた(死語!)子」としてマユをひそめ、
このごろへんなうごきをするようになったと、口にだして残念がった。

当時のわたしが、なにか問題をかかえていたかというと、
とくにこころあたりはない。
「世の中のひみつ」をいちはやくかぎつけたような気がして
むしろ得意がっていたかもしれない。
わたしは、自分がマーニーだった、といっているのではないけれど、
おとなが期待する子どもらしい態度をやめたことで、
なにかがはっきりかわったことをかんじていた。
だれもわたしにノーフォークゆきをすすめなかったので、
わたしの性格は、修正される機会をうしなったまま いまにいたっている。
わたしがかかえる問題のいくらかは、列にならばなくなったことで
決定的にとりこんでしまったような気がする。
いまおもえば、小学校の先生は 列にならばないわたしをみて、
ちがう世界へむかうにおいをかぎつけたのかもしれない。
わたしは、ずいぶんあぶなっかしいところをあるいていたのだろうか。

すこしまえの「今日のダーリン」に
「成功する人や伸びる人は、素直」というはなしがのっていた。

「『先輩や師匠、上司だとか先生の言うことを、
 素直にきくものは、よろこばれる』ということと、
 『成功する人や伸びる人は、素直なんだよなぁ』
 ということとは、とてもよく似ているのだ」

なにをもって素直とみるかはかんたんではなく、
わたしは自分が素直かどうか、よくわからない。
(すきな)ひとの影響をすぐうけてしまうところは素直といえるし、
糸井さんの文をみて、
「成功したり、のびなくってもぜんぜんOK」
なんて反発したくなるところは あんまり素直とはいえない部分だ。
素直さがあっても、うまく表現できないときは、素直といえるのかどうか。
いいんだ、成功なんかしなくても。

「やってみようともしないこと」は
はたしてわるいことだろうか。
アンナにとって、すべてはわざわざやってみるにあたいしない、
どうでもいいことだった。
それを心配するおこなたちの気もちが、アンナにはまったくわからない。
具体的にどこが「よくない」かは指摘しにくいけれど、
こうした子どもらしくない態度はおとなたちを不安にさせる。

「アンナ自身は、学校のことなんかちっとも気にしていませんでした。
ほかのことと同じように、ぜんぜん、心配していませんでした。
でも、ほかの人たちは、みんな、心配しているようでした」

ノーフォークへいかず、あのままロンドンですごしていたら、
アンナはどんな子にそだっただろうか。
つよい子だったら、マーニーのちからをかりなくても
たちなおれたかもしれない。
本では いろんなひとのたすけがうまくアレンジされて、
アンナはぶじに自分をとりもどした。
おそらくアンナは「やってみようともしないこと」を
心配される環境からはなれる必要があった。
わたしは、アンナもまたプリントをもらいに
列にならばなかった子だとおもう。


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2014年09月24日

『島へ免許を取りに行く』(星野博美)

『島へ免許を取りに行く』(星野博美・集英社)

きのうにつづいて星野さんの『島へ免許を取りに行く』について。
ながくいっしょにくらしていたゆき(ネコ)の死と、
「ここ二、三年で築いた人間関係がズタズタに壊れた」のがかさなり、
星野さんはなにも手につかなくなっていた。
ながれをかえるために、自動車免許をとることをおもいつく。
星野さんがえらんだのは、長崎県の五島列島にある「ごとう自動車学校」だ。
合宿施設があり、最短で16日あれば免許がとれるという。

こういう本を、とくに女性がかくと、
いかに自分ができないかをおおげさにさわぎたて、
でもやってみればなんとかなった、みたいなのがおおい。
中学校の成績発表じゃないんだから、自意識過剰で悲劇のヒロインになるのは
いいかげんにしてほしいとおもう本がよくある。
この本も、おおざっぱにいえばそうしたながれに位置していながら、
いやみな内容になるのをまぬがれているのは、
星野さんの運転が、ほんとうにへたくそなことと、
そして ごとう自動車学校のおだやかな雰囲気が このましくおもえるからだ。

「S字はなんとか切り抜けたものの、
ほっとして左折時に植え込みに乗り上げ、クランクでは完全に脱輪。
踏切で一時停止を忘れ、坂道発進を忘れ、左折時の安全確認を忘れ、
慌てふためいて駐車時の停止線を大きく踏み越え、急ブレーキをかけて停車した。(中略)
二歩進んで三歩さがる。どんどん退化していく。
まぐれでできることはあっても、
まぐれでできなくなることはない。
現時点での実力は、はやりこんな程度だったのである」

仮免の試験をうける条件として まず「みきわめ」にとおらないといけないのに、
星野さんはなかなか運転がうまくならない。
運転って、そんなにむつかしいことなんだ、と
おどろいてしまうくらい、星野さんは運転に頭とからだがついていかない。
きっと、いろんなことをかんがえすぎるのだろう。
仕事でも勉強でも、ふだんは集中をもとめられるのに、
自動車の運転は、なにかに集中すると かえってうまくいかない。
まえばかりをみていてはダメで、うしろもよこも、
そしてまたまえも注意するのは
集中力のあるひとにはすごくむつかしいみたいだ。
なかなか「みきわめ」にとおらなくて、いつになったら卒業できるのかと、
運転がすこしもうまくならない自分をのろい、
吐きそうになるくらいおちこんでいく。

自動車学校で、馬の世話係をしているひとの奥さんは、

「ブレーキを踏もうとすると、手でハンドルの左を叩き、
アクセルを踏もうとすると、ハンドルの右を手で叩いてしまう」

から、運転をあきらめたのだそうだ。
星野さんのつまずきも、これとよくにている。
頭からでる指令が うまく手や足につたわらない。

できないというのは、こんなにたいへんなことなのだ。
理屈ではわかっていても、手と足がバラバラにうごいてしまう。
ひとまえではなすときに緊張して頭のなかがまっしろになることがあるけど、
そうした緊張とはまたべつの現象としてからだがコントロールできない。
それでもひとつのアドバイスをきっかけに、
星野さんは運転するときの気もちを整理できるようになり、
それ以降は順調に教習がすすんでいった。

本をよんでいると、星野さんはまるで半年くらい
この教習所ですごしたような気がしてくるけど、
じっさいは1ヶ月もかからずに卒業している。
たとえ合宿制とはいえ、1ヶ月で卒業できたらりっぱなものではないか。
その意味では、この本は女性らしい自意識過剰のおおさわぎストーリーだ。
何時間かかったとか、追加料金がいくらだったかにはふれられていないので、
どんなうちわけだったかはわからないけど、
たった1ヶ月で吐きそうになるほどなやむものなのか。
しかし、これは じっさいにすごした日数が問題なのではなく、
いっしょにはいったひとがどんどん卒業してゆき、
自分だけはおなじことにつまずきつづける状況が
あせりをまねくのだろう。
まわりからみれば、たった1ヶ月でおおさわぎするな、といいたくなるけど、
当事者としては、人間としてみとめられるかどうか
ギリギリの線でふみとどまったきびしい体験なのかもしれない。

星野さんの本を何冊かよんできたわたしとしては、
あの星野さんが、自動車学校の教官という人種に逆上せず、
さいごまで教習をつづけられるかを心配していた。
運転ができないから自動車学校にいくわけなのに、
それにもかかわらず、できないものにたいする
自動車学校の教官の評判はたいていよくない。
いかに不愉快なめにあったかと おおくのひとが体験をくちにする。
しかし、この本には教官への不満はひとこともかいてない。
それだけごとう自動車学校の関係者が、人格者ぞろいだったのかもしれないし、
星野さんはこういう環境におかれると、観察者としての意識がつよくなり
客観的に自分をとらえられるのかもしれない。

教習以外では、馬にのったり犬と散歩したり、
島のうつくしい景色にみとれたりと、
じゅうじつした滞在となっている。
この本の魅力は、星野さんの運転が上達していく過程だけでなく、
教官や生徒たちとのであいや やりとり、
自動車学校そのものがもつおだやかな雰囲気にある。
こうした環境にあって、星野さんは謙虚に自分をみつめ、
安全運転のドライバーとして、ぶじに免許を手にいれる。

免許への挑戦で、星野さんは なにかができるよろこびをおもいだし、
自分をもういちどみとめなおしている。
星野さんは、自動車にのってどこにでもいける「自由」を手にいれた。
それは、これまでしらなかったあたらしい世界だ。

いなかでは、自動車にのれないとくらせない。
車があってあたりまえ、なければ仕事も生活も、どうしようもないから、
これまで車にのる「自由」なんてあまりかんがえたことがなかった。
むしろ、どうしたら車にたよらずくらせるかが テーマかとおもっていたのに、
この本では車にのるよろこびが ストレートに表現されている。
40をすぎて車にのれるようになると、そんなに世界がちがってみえるのだ。
自分があたりまえとおもっていることを
すなおによろこべる感覚は新鮮でよろこばしい。
いまさら車にのるのが あたらしい世界への鍵だなんて
星野さんがいいだすとはおもってもみなかった。
身のまわりには、自由につながる「あたらしい世界」がゴロゴロころがっている。

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2014年09月23日

それは愛なのか、それとも湯たんぽなのか

ひさしぶりにハグキがはれてきた。
いたくてものがたべられない。
バファリンをのむけどほとんどきかず、
らくな姿勢をいろいろためしながらベッドでよこになる。
唯一のすくいはピピの存在で、
わたしのうでにぴたっとくっついたまま まるくなってねむる。
このあたたかさが どれだけありがたいことか。

なんねんかまえにも、歯がいたくなったとき
こうしてピピにたすけられた。
となりでグーグーねている家族より、
あたたかさをつたえてくれるピピのほうが
ずっとちからづけてくれるのがわかった貴重な体験だ。
病院で死ぬことや在宅医療がこのごろよく話題にのぼるのも、
みまもるだけでなく、からだにふれていてもらいたいからではないか。
家族ならいうことないし、さいごにつくしてくれたケアスタッフが手をにぎってくれたら
さみしいおもいをしなくてすむにちがいない。
「とおくの親戚よりちかくの他人」というけど、
病気になったときや、死がまぢかにせまったときは、
もっと切実にひとのぬくもりになぐさめられる。
老人ホームなどで犬やネコがもとめられるのは、
きっと彼らのあたたかさ・やわらかさにすくわれるからだ。
「ちょっとまっててねー」というだけで
いそがしくてなかなかはなしをきいてくれない職員より、
そばにいてからだをなでさせてくれる動物は、ずっと気もちをやすらげてくれる。
「ちかくの家族より となりのネコ」ということばをおもいついた。
からだをくっつけて、ふれあうのがたいせつなのだ。
欧米はともかく、日本ではたとえ家族でもスキンシップはスマートにいかない。

星野博美さんの『島へ免許を取りに行く』(集英社)をよんでいたら、
星野さんが教習所にいる馬にまたがったとき、
そのあたたかさにおどろくはなしがでてくる。
星野さんは、いっしょにくらしていた ゆき(ネコ)が、
さむいときは自分のからだにくっついてきたことをおもいだす。
星野さんはそれを「愛」だとおもっていたけど、
もしかしたら 巨大な湯たんぽであたたまっていたつもりかもしれない、
とゆきの気もちにおもいをはせる。
ネコのすることは、おおかれすくなかれ そうした自分本位な面があり、
人間はかってに相思相愛ぶりに感激してるけれど、
いいようにつかわれていることがおおいのかもしれない。
そこがまたネコのたまらないかわいさでもある。

この本は、星野さんが愛猫のしろに死なれたかなしさからたちなおるために、
長崎県の五島列島にある自動車学校へいくはなしだ。
愛するネコにさきだたたれたとき、
ネコずきは どうやってつらい時期をのりきるのかがしりたくて アマゾンに注文した。
ネコの死だけでなく、人間関係もひどい状態になっていた星野さんは、
離島というめぐまれた環境で なかなかうまくならない自動車の運転に正面からむきあう。
どうにもならなくなったときは、星野さんみたいに、
それまでとまったくちがう体験をもとめるのもひとつのやり方だ。
さきがみえていると こまかな計算をする余裕があるだけ
べつの世界にぬけだせない気がする。
あえてかかなかったのだろうが、本のなかで
星野さんはゆきのことにほとんどふれていない。
星野さんは未知の世界に自分をおいこむことで「免許に救済をもとめていた」。
そしてそれは正解だった。

posted by カルピス at 20:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月22日

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき)高速バス+野宿の かとうさんならではの旅

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき・双葉社)

最近みかけないとおもったら、
かとうちあきさんの関心は 野宿からバス旅行にうつっていた、
というわけではなくて、
バスにのってとおくにでかけながら、ちゃんと野宿もこなしている。
月刊誌『増刊大衆』に連載された記事をまとめた本なのだそうで、
編集部の依頼をうけて高速バスをつかってのミニ旅行にでかけている。
バスにのるのはだれにでもできるけど、
バス+野宿でのケチケチした旅行はかとうさんにしかできない。
なにしろ1回目の仙台ゆきが1月におこなわれているのだ。
1月に野宿なんて、だれにでもできることではないし、
何回かのおでかけでは いきさきで雨がふってるのに、
たいしたことなさそうに しのいでいる。
なにげなくよんでいると かんたんそうだけど、
これまでにやしなってきたかとうさんの経験があちこちに顔をだしている。

かとうさんの野宿ものにひたりたくて、
『野宿野郎』をひっぱりだし お遍路さんの記事をよんだりしていた。
きょねんの夏に『あたらしい野宿(上)』がだされているけど、
もうひとつ期待にそぐわない内容だった。
不完全燃焼の状態で かとうさんの本をまっていたところに
『バスに乗ってどこまでも』が出版された。
高速バスと野宿のくみあわせは、かとうさんのもち味をいかすのに 絶好の舞台だ。

予算は1万円。1万円でバス代も食費も観光にかかるお金も、
ぜんぶやりくりするのだから、宿泊は当然 野宿ということになる。
それにしても、いつも1万円にかぎりなくちかいお金でまとめている。
1回目9,630円・2回目9,960円・3回目9,795円・4回目9,907円・・・。みごとだ。
そしてついに24回目の秋田ゆきで、ぴったし1万円をつかいきるのに成功する。
かとうさんがやると、出費をおさえるのが ケチというより
上級者の旅行はそういうものなのだ、という気がしてくる。
豪華なご当地グルメにありつけなくても、
ひるごはんでそこそこ名のしれた名物料理をたのしみ、
スーパーにならんでいたみきり品を手にいれてよろこんだり。
お金がなければ旅行できないなんて、ただのおもいこみにすぎず、
この本が紹介しているように、やりようによっては
1泊2日の旅行をたのしむことができる。
お金をかけておなじルートをまわったとしても、
かとうさんみたいなおもいでにのこる旅は なかなかできないだろう。
お金のあるなしではなく、旅行をあじわうスキルがあるかないかのちがいだ。

お金をつかわずにすませようとすると、たいへんなこともおおい。
鶴岡へでかけたときに、無料のかし自転車をつかおうと、
かとうさんはまえの日からあたりをつけていた。
「当日返却」がきまりなので、1日目はかりず、
2日目に自転車で鶴岡駅周辺をまわろうという計画だ。
その2日目の朝のはなし。

「3時間弱、休憩せずに歩いたのですが、
それは自転車が借りられてしまわないよう、
念のため早目に着いておこうと思ったから。
到着は9時40分頃となかなかよい時間でしたが、
観光案内所の前には、なぜ自転車のことを知っているのか、
中国人らしき観光客の大集団がいました。
彼らはおのおのの自転車の乗り心地を試して、
そして計ったかのようにぴったり全台の自転車を借りて、走り去ってしまった」

そのあとも運のわるさがつづく。

「夕食はスーパーで買ってきたカップラーメン。
広場に移動してお湯を沸かしていると、
途中でガスがなくなってしまいました。(中略)
駅のコンビニに行って、ポットからお湯を拝借しようとしたらお湯切れだったので、
そんなのいやだ・・・」

わかい女性が こんなトホホなおもいをするのはかわいそうだけど、
かとうさんはそんなときでも「自分がいたらないのだ」と
気もちをじょうずにきりかえる。
たしかに、そんなことでいちいちやさぐれていたら、
野宿旅行なんてやってられないだろう。
そしてかとうさんは、ほんとうに野宿がすきなのだ。
旅さきで旅行者どうしはなしをしても、
「宿が付いて、往復のチケット代よりも安いんだから」と
相手がどんなにやすくまわっているかを自慢しても、
かとうさんは「野宿すれば宿は必要ないのに」
とぜんぜんうらやましがったりしない。

かとうさんが野宿をするのは、ただお金をけちりたいからではない。
野宿のほうが旅館にとまるより自由だからで、
とはいうものの、かとうさんにとってのお金とはなんだろうと、すこし気になる。
かとうさんに「ほぼ日手帳」をみせたらどういうだろう、とふとおもった。
いい品とはみとめても、手帳に5000円はらったり しないのではないか。
あるものですませるのが かとうさん流なので、
なにかほかの工夫でほぼ日手帳の機能をおぎなおうとするだろう。
たとえお金に余裕があったとしても、なくてこまらないものはかわない。
そんなお金をかせぐくらいなら、はたらかずにすませようとする。
お金をつかうのがもったいないというよりも、
できるだけはたらかずに自由でいたいのが
かとうさんが大切にしている野宿の精神ではないか。

お金がなくてもたのしそうにすごすかとうさんをみていると、
わたしもリュックをせおって旅行にでかけたくなった。
きのうは、いつも自転車でいくスーパーへあるいてでかけ、
夕ごはんの材料と、10キロいりのお米をかい リュックにいれてみた。
旅行って、どんなかんじなのかをおもいだそうとしたのだ。
ほんの20分程度あるいただけだけど、わたしはもうそれでじゅうぶん
荷物をせおった気にひたれた。
10キロはおもすぎる。
身がるにうごくには、せいぜい8キロが限度だともおもった。
あるくのはすきだけど、おもい荷物をせおうのはたのしくない。
本番の旅行で快適にすごそうとすれば、荷物はますますおもくなる。
ほんとうに必要なものをしりぬいた
かとうさんのリュックのなかをみてみたい。

今回の旅行には、編集者のY氏が毎回つきそっていたようだ。
紙面ではあまりふれられていないけど、
Y氏の存在は、いかに黒子にてっしても、かとうさんの旅に
影響をあたえたのではないか。
ひとりの野宿と、みかけだけとはいえ男女ペアの野宿では
まわりのうけとめ方がおおきくちがってくる。
かとうさんの旅行スタイルに同行記者は必要ない。
酒井順子さんが旅エッセイをかくときに編集者がつきそうのと、
かとうさんの野宿にだれかが同行するのとはいっしょではない。
余計なお世話でしかなく、それがなければもっとおもしろい本になっていたとおもう。

posted by カルピス at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月21日

祝 ブログ1111回

ブログをかいていて、おなじ数字をならべられる日は
じつはそうおおくない。
999回くらいだとたいしてインパクトがないし、
777もきれいだけどスロットマシンじゃないんだから
ブログとしておおさわぎするはいかがなものかとおもう。
そうした点からみると、
1000回以上での連続数字は、
1111
2222
3333
 ・
 ・
 ・
と、あまりないことに気づく。3333を達成するにも
10年ちかくかきつづけなければならない。
現実的なのが「1111」と「2222」であり、
1万をこえると、たとえ11111でも30年ちかくかかるわけだから
一生をかけての事業といえるだろう。

以上のことから、先日むかえた1111回は、
ブログをかくものとして、ささやかなおいわいをしても
バチはあたらない程度の、
わりと達成のむつかしい回数ということがわかる。
つい最近1000回をむかえたときにおいわいしたはずなのに、
もうつぎのおめでたい日 なんていえば、
ブログは記念日だらけにかんじられるけど、
連続しておなじ数字、というしばりでいえば、
つぎは3年さきまでまたないといけないし、
なんといってもみた目のうつくしさにおいて、「1111」にかなう数字はない。
1111をむかえたものの気もちは、1111回かいたものにしかわからないのだ。

残念ながら、おなじ数字が連続してならぶことに なにか意味があるかをとわれると、
たいして気のきいた理由はあげられない。
「ブログ3級」とかいって、なにかの委員会なりおおやけの機関が達成をおいわいしてくれるわけではなく、
きわめて個人的なくぎりであり、ただのあそびだ。
しかし、そんなことをいえばたいていの数字による記録は
視覚的に注目した ただのあそびなのだから、
あんまり卑屈になる必要もないわけで、
素直に1111回をむかえられた幸運をよろこびたい。

ブログをつづけてこられたのは、なんとなく、のつみかさねだ。
はじめは毎日かくつもりなどまったくなく、
なんにちかつづいたときは 自分で感心していたけれど、
じきにカンボジアとベトナムへ、2週間くらいの旅行にでかけるつもりだったので、
さすがにそのときは更新がとぎれるはずだった。
東南アジアの安宿に、じゅうぶんなネット環境はないだろうし、
更新のために町のネットカフェへいくのもめんどくさい。
でも、旅行にいってみると、むこうのほうが日本よりもずっとWi-Fiがいきわたっており、
どんな宿や食堂にも「フリーWi-Fi」のシールがはってあった。
旅行ちゅうには旅行のことをかけばいいから 記事はかんたんにできあがり、
おもいがけず毎日の更新がとぎれずに きょうまでつづけられた。
健康や精神面でも「たまたま」おおきな波がなかったのだろう。

こうなると、「連続」に意識がいってしまい、
むりやり記事をかいたりしてたのしくなくなるので、
ここらへんで連続からのしばりをといておいたほうがいいかもしれない。
でないと、すごくかなしいことがおきたり、ひどく体調をくずしたときに、
「連続」にこだわりすぎて へんなことになりそうだから。
ここらへんは、プロ野球選手の連続試合出場にもにていて、
じゅうぶんな結果がだせないのに 代打や代走で
むりやり記録をひきのばしてもあまりうつくしくない。

というわけで、なんとか自分でうち、はしれるうちに、
幸運にもむかえられた1111回を、わりと本気でよろこんでいる。

posted by カルピス at 16:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月20日

1汁1菜という手もある

ファイルメーカーでつけている日記に、
「夕ごはん」というあたらしいフィールドをもうけ、
これまでにどんな夕ごはんをつくってきたのかがわかるようにした。
メニューをきめる手だすけと、あまりおなじ料理がつづかないよう、
過去のデーターを参考にしようとおもったのだ。
といっても、たとえば八宝菜くらいなら毎週あってもいいし、
季節もののサンマの塩やきなら週に2回でもみとめるという、
ごくゆるいとりきめだ。

これまでに約300回の夕ごはんが記録されており、
最初のころ(13年まえ)のメニューをみると、
おこのみやきとかチャーハンの1品しかかいてないことがめずらしくない。
7時に保育園へむすこをむかえにゆき、
そのかえりにスーパーでかいものをすませて
おおいそぎでつくるのだから、どうしてもかんたんなものしかできない。
保育園へのむかえがなくなったり、仕事をおえるのがはやくなったりして、
夕ごはんの準備にあてる時間がふえてくると、
5品くらいをいつもつくるようになっている。

以前よんだ新聞記事に、1汁1菜しかつくらないお母さんが紹介されていた。
それでもむすこはりっぱにおおきくそだったのだから、
あれこれ手間をかけてたくさんのおかずを用意する必要はない、とある意味で
ひらきなおっておられる。
栄養の摂取という観点からは、1汁1菜でなんの問題もなく、
むしろたべすぎることなく健康にすごせるそうだ。
お金があまりかからないし、なによりも、
料理についやす時間が圧倒的にすくないので、
いちにちを有意義にすごせるのだという。
ゆたかすぎる食事にならないよう、ひとつの生き方として
1汁1菜というかんがえ方がたしかにあるようで、
からだのこと、地球のことをおもえば1汁1菜こそ
すべての人類がとりいれる食生活かもしれない。

ただ、子そだてのときに ここまでわりきれるひとは
あまりいないのではないか。
だからこそ新聞にのったわけで、おとなが1汁1菜を実践するのと、
そだちざかりの子どもたちにたいして 1汁1菜でとおすのは、だいぶ覚悟がちがってくる。
1汁1菜というかんがえ方の、それこそが食育なのだから、
ほんとうは子どもにだからこそ提供すべき食生活なのかもしれない。

よくいわれるように、日本人の食生活は あまりにもたくさんの料理をとりいれているので、
つくる方はメニューをきめるのがあんがいたいへんだ。
インドだったら数種類のカレーをつくればいいし、ネパールはダルバートにきまっている。モロッコだって、基本的にタジンしかたべていない。
それにくらべ、日本の夕ごはん担当者は、起伏にとんだ料理を期待されている。
人生とおなじように、可能性がたかいとかえって選択・決定はむつかしくなるのだ。
そんなことをするからたべすぎをまねくのだろうけど、
いつものメニューになれてしまうと、1汁1菜だけではかなりわびしくて、
さっさとごはんをすませ、あとの時間を有効につかいましょう、
とはなかなかならない気がする。

かいものがえりであろう、ちいさな子をつれたお母さんをみかけると、
時間がないなかでやりくりしていた すこしまえの自分をおもいだす。
女に生まれたからといって料理ができるわけではないから、
なかには夕ごはんの準備にめげているお母さんも当然いるだろう。
おこのみやきやカレーだけでも立派な夕ごはんだとわりきって、
笑顔の食卓にしてほしいとおもう。
いまはたいへんだけど、そのうち条件がととのってくるし、
料理がにがてだから1汁1菜、というのでもぜんぜんわるくない。

posted by カルピス at 15:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月19日

おしゃべりをたのしみたい

わたしはテレビをほとんどみないので、
芸能界やさいきんの風俗についてきわめてうとく、
なかなかおしゃべりの輪にはいっていけない、
とかきかけて、いったい世間のひとたちが、
なにを共通の話題にしているのか わたしはしらないことに気づいた。
職場のスタッフが、テレビ番組についてはなすのなんか きいたことがないし、
女性のほうがおおいので、プロ野球やサッカーでもない。
職場についてでさえしらないのだから、
たとえば女子会や会社がえりの居酒屋で、
いったいいまは なにについてはなされているのだろうと、そこからつまづいた。

なんでこんなことをきゅうにかきだしたのかというと、
わたしはいわゆるおしゃべりではないけれど、
関心のある話題については はなしのやりとりをたのしむほうだと
自分でおもっていた。
わかいころは、それこそ「いかに生きるべきか」みたいなことも
このんではなしていたような気がする。
それほどおおきな話題ではなくても、
たとえばなぜ日本人は外国語の学習が苦手なのか、
などということを、夜がふけるまではなしこんだものだ。

すこしまえに、かずすくない友人とメールをやりとりするなかで、
わたしが「技術は没個性で、だれにでも習得できる」ということを
だれもがしっている当然の事実としてメールにかいたら、
あろうことか その友だちは反論してきた。
おくられてきたメールをみると、彼は、
職人たちが身につけた名人芸とよべる技と、
だれもがある程度の訓練によって習得できる技術とをいっしょにしているのだ。
いやいやそうではなくて、ともういちどわたしは説明をこころみたけど、
そのあと何回メールをやりとりしても いっこうにラチがあかない。
わたしは だんだんめんどくさくなってきた。
わたしにとってはあたりまえで、
おおくのひとが共通認識しているとおもっていたことを、
「いや、そうではない」とまったく理解されないのにおどろいたし、
たとえそのあとメールをやりとりしても、
納得させるのがいかにたいへんか予想できた。
それに、もし技術の問題がかたづいたとしても、
それからさきもおなじように ひとことひとこと
つっかかってこられたら、 そんなおしゃべりはたのしくもなんともない。
相手にしてみたら、友だちだから 遠慮なく疑問をただしてきたのかもしれないが、
こうした議論を、わたしはもうたのしめないのがよくわかった。

相手に自分のかんがえをのべ、意見をたたかわせ、説得するのは、
仕事であっても、あそびであっても必要な手つづきなのに、
そういうのがわたしはつくづくめんどくさくなっている。
その友だちとは、むかしはなんだかんだと理屈をからませて、
議論のための議論をたのしんでいたのに。
意見をやりとりするのは、こんなにもたいへんなのか。
日本人の議論ベタは国際的にも有名なのだそうで、
ひごろから意見をたたかわせるしつけや訓練をうけていないわたしたちは、
論理的に相手を説得できず、感情的になったり、
だまりこんだり、相手の意見にいやいやながら賛成したりする。
わたしの反応は、まったく日本的なもので、
納得できないことをしつこくついてきたわたしの友だちのほうが
議論の本質をよくとらえている。

メールでのやりとりにうんざりしたわたしが どうしたかというと、
「しばらくおやすみしようとおもいます」と
まるで小学生がする絶交みたいに
一方的に中止を宣言し、関係をきってしまった。
「技術は没個性」という、とうのむかしに結論がでたようなことについてさえ、
納得できないひとと わたしははなさなくてもいいと みきってしまった。
たとえ友だちでも。かずすくない友だちだから、大切なのに。
なんて子どもっぽい反応だろうと われながらおもう。

ブログでも、もしかいてある内容について、
ひとことひとことにつっこんでこられたら
うるさくてかなわないだろう。
いくらていねいに説明や反論をこころみても、
ネット上ではなかなかすっきり決着がつきそうにない。
おおくの読者をかかえるブログはたいへんだろうとおもうし、
なんらかの対応策をもってないと、めちゃくちゃな場所になりそうだ。
わたしにとってのブログは、議論をするところではなく、
ひとりごとをつぶやく場所でしかない。
友だちとのささやかなやりとりでさえ、
めんどくさくてなげだしてしまうのだから、
わたしには 健全なサイトを運営する能力があきらかにかけている。

職場のスタッフと会話がはずまなかったり、
家族とでさえおしゃべりがとだえがちなのは、
わたしがわるいのではなく、なにがおとなのおしゃべりなのかをわきまえない、
まわりのひとたちに問題があるとおもっていたけど、
じっさいはわたしが犯人なのかもしれない。
いくら関心のある話題をふられても、
いまのわたしは知的なおしゃべりをたのしむ精神的なゆとりがない。

成熟したおとななら、もっと悠然とかまえて 無意味なことでも、
いや、無意味なことにこそ あつい議論をたたかわせたい。
老後をどう生きるかや、健康についてなど、
おしゃべりしたいことはたくさんあるのに、
たのしいやりとりにしないのはもったいない。
おしゃべりは お金のかからない究極の娯楽ともいえ、
はなせる友だちがたくさんいたほうが、老後をゆたかにすごせるだろう。
かんたんに「絶交」なんかしないで、
もうすこしおしゃべりの技術を身につけたほうが わたしのためみたいだ。

posted by カルピス at 22:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月18日

人類の祖先がアフリカをはなれたエネルギーを不思議におもう

人類の起源についての本をよんでいると、
なぜおおむかしにわたしたちの子孫は
アフリカをでて世界じゅうへひろがっていったのか、いつも気になる。
200万年まえにアウストラロピテクス(原人)が、
そして20万年まえにホモ・サピエンスが、
ともにアフリカで誕生し、そこからほかの大陸へとうつりすんでいる。
もちろんそのときの人類に、アフリカをでる、という自覚はなかっただろう。
しかし、すみなれた土地をはなれ、
みたことのない風景へとすすんでいったのはまちがいない。
シベリアからアリューシャン列島をわたって北アメリカ大陸、
さらには南アメリカ大陸へとすすんでいくし、
アジアにいた人類は、オセアニアへと船でこぎだしている。
おとずれたことのない土地へふみこんだり、
さきになにがまっているかわからない海へ こぎだしていくエネルギーは
いったいどこからくるものなのか。

10万年まえのアフリカには、1万人程度しかひとがすんでいなかったそうだから、
ひとがおおすぎてアフリカをはなれたわけではないだろう。
ゆたかな食料をえるために、では説明がつかない。
いまいる場所をはなれたら、どんな環境がまっているかもしれないのに、
うまれそだった土地に執着せず、みしらぬ土地へととびだしていく。
現代に生きるわたしとしては、こうした行動を
勇気や好奇心としてとらえたくなるけれど、
ほんとうのところ、なにが彼らを新世界へとかきたてたのだろう。
いまのわたしたちが旅行ずきだったり、旅にロマンティシズムをかんじるのは、
おおむかしの祖先からひきついだ血がさわぐからだろうか。

アメリカでの西部開拓の歴史も、
いまとくらべれば人口密度がさほどたかくなかったのにもかかわらず、
とにかく西へ西へとめざしているから、
にたような未知へのあこがれがあったのかもしれない。
まだひとが足をふみいれていない土地に やっとこさたどりつき、
自分たち以外にだれもいないほうが清々するという感覚は、
はるかむかしから 人類にそなわったものなのだろうか。

用心ぶかい野生動物をみていると、
人類だけがノーテンキに生きていたはずはない。
つよい猛獣におそわれる心配もあっただろう。
まるでリスクをかんじずに、前途洋々で移動したとはおもえない。
さきのことはわからないし、もちろん年金をもらえるあてもない。
おなかをすかせたり、死んだりという
将来への不安をかんじる思考がなかったのか。
死をおそれず、あるいは 死をかんがえないですごしていたのか。
はるかむかしの祖先をおもうと、
不思議なことばかりだ。
なぜ人類だけが環境の変化をためらわず、生活圏をひろげようとしたのか。
このフロンティア精神がなければ、人類はいまのように
世界中のあゆる場所でくらすようにはならなかったはずだ。

ひとがだれもすまない あらあらしい風景の写真をみると、
わたしはそこへたちむかう意欲をかきたてられるよりも、
おそろしさに足がすくんでしまう。
水も食料もなく、なにがまっているかわからない場所へふみだしていく勇気がない。勇敢だった人類の末裔とはおもえないほど 心配性で軟弱にそだった。
アフリカで生まれた人類の先祖たちは、
いったいなにをおもってすみなれた土地をはなれたのだろう。

posted by カルピス at 12:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月17日

『フットボール批評』の創刊(実質的には『サッカー批評』のリニューアル)

本屋さんをぶらついていたら、スポーツ誌の棚に
『フットボール批評』という雑誌がおいてあった。
わたしはいつも『サッカー批評』という雑誌をよんでおり、
名前がにているので気になってひらいてみると、
『サッカー批評』でおなじみのライターが記事をかいている。
ためしにかってみた。

よんでみてわかったのは、これは実質的に『サッカー批評』であり、
なにかの事情があって名前がかわったのだ。
ウィキペディアをみると、おおよそのことがわかってきた。

「『フットボール批評』(フットボールひひょう)は、株式会社カンゼンが発行するサッカー誌である。
2004年から2014年7月まで『サッカー批評』(双葉社発行)を制作していた同社編集部が制作する。『サッカー批評』は2014年7月発売号(issue69)をもってリニューアルをすることになり、双葉社はそれまでカンゼンに外注していた制作を自社で行うことになった[1]。それに伴いカンゼンは自社で発行している『フットボールサミット』とは別に『フットボール批評』を刊行することにした」(ウィキペディアより)

『フットボール批評』をよむと、まるでこれまでの『サッカー批評』だ
(いちばんうしろにあった連載「僕らはへなちょこフーリガン」がないけど)。
記事の担当者をみると、『フットボール批評』にはおなじみのライターがのこり、
連載されていた記事が全部ではないにしても つづけられている。
実質的に、『フットボール批評』は『サッカー批評』をひきついだものといえる。

いっぽう『サッカー批評』は、これまでは双葉社が「カンゼン」に委託していたのを、
これからは双葉社が自社でやる、ということらしい。
おそらく雑誌の方針をめぐって両者のおりあいがつかなかったのだろう。
「カンゼン」としてはこれまでのようなコンセプトで雑誌づくりをつづけたいので、
あたらしく『フットボール批評』という雑誌をつくったのだ。
これまでも、サッカーの人気のあがりさがりにより、
廃刊においこまれたサッカー雑誌はたくさんあるそうだけど、
今回はうりあげがおちたからリニューアルというわけではない。
これからどんなうごきが紙面にあらわれるのかを注目したい。

しばらくして、アマゾンからおくられてくるメルマガに
おすすめ商品として『サッカー批評』が紹介されてきた。
名前をひきついでるだけに、号数は70と、
これまでの継続であることをあらわしている。
内容をみると、セルジオ越後氏や杉山茂樹氏が記事をかいていて、
どうもわたしのこのみとはちがう紙面になっているようだ。
サッカーはすきだけど、サッカーの情報ならなんでもいいわけではない。
これまでも『Number』系のものはとおざけてきた。
『サッカー批評』も、本屋さんでたちよみはしても、
おそらくわたしがをかうことはないだろう。

けさの朝日新聞に、『週刊金曜日』の編集長として
平井康嗣氏がとりあげられていた。
『週刊金曜日』が1000号にたっしたということで、
これからの抱負が紹介されている。
1000号というと、20年ちかくも毎週金曜日に発行したわけだから、
それだけつづいたのは とてもおめでたいことなのだろう。
発行部数は「当初の5万部から半減」したのだそうだ。
創刊当時、わたしはこの雑誌の定期購入をもうしこみ、
何年かよんだことがある。
本多勝一さんや筑紫哲也さんなど、信頼できそうなひとがかかわっていたし、
広告にたよらないでかきたいことをかく、という方針にひかれたのだ。
しかし、いかに硬派な内容がいいからといって、
おもしろくなければよみづらく、
わりとはやい段階で定期購入をうちきった。
そのあとも、ときどき図書館でひらいてみるけど、
興味をひく記事がほとんどない。
雑誌はいくらりっぱなコンセプトをとなえても、
けっきょくおもしろくなければよまない。

創刊された『フットボール批評』にしても、
読者はスタッフや記者を信頼してかうとはいえ、
おもしろい記事がなければいつまでもついていきはしない。
たのしみにしていた雑誌なので、「創刊」後も順調に発行されるようねがっている。
いっぽうの、『サッカー批評』はどうだろうか。
おおくの読者をあつめるかどうか、
日本のサッカー文化の成熟度をしるうえでも興味がある。

posted by カルピス at 14:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月16日

『思い出のマーニー』(J=ロビンソン) 

『思い出のマーニー』(J=ロビンソン・岩波少年文庫)

映画の『思い出のマーニー』をみた感想として、
原作をうまくいかした、なんて調子のいいことをブログにかいたけど、
本をよんだのはずいぶんまえのことなので、
なんとなくそうおもいこんでいただけかもしれない。
ほんとはどんなはなしだったのか、もういちどよんでみることにした。
原作は1967年にイギリスで、
日本では1980年に岩波少年文庫から出版されている。

・ふとっちょブタ
・ワンタメニー(映画では十一「といち」)
・おばさんがアンナをやしたうためのお金をもらっていたこと
・しめっち屋敷でのパーティーで、アンナが花をうること
・風車小屋(映画ではサイロ)のあつかい
・しめっち屋敷の絵をかいていた老婦人

原作をよむと、映画はほぼ原作にそって設定されているのがわかる。
それぞれのエピソードが重要な伏線となっており、
はずしてしまえばものがたり全体がかわってしまうからだろう。
多少の変更があっても、それは原作を無視したものではなく、
『思い出のマーニー』を現代のものがたりとしてみるために必要だった
適切なアレンジだ。
それだけよくできた原作であり、
その設定を、どうやって違和感なく現代の日本にうつすかが、
米林監督の最大の仕事だったのではないか。

原作では、とくに下巻にはいって
アンナがどんどん自分をとりもどしていく姿は圧巻だ。
マーニーがアンナのまえにあらわれなくなり、
かわって しめっち屋敷にひっこしてきたリンゼー家のひとたちにうけいれられることで、
「ふつうの顔」でやりすごしたりしない、
生き生きとした女の子にかわっていく。

『思い出のマーニー』というタイトルでありながら、
マーニーがでてくるのは、下巻の33ページまででしかない。
アンナがマーニーとすごしたのは、じつはほんのわずかなあいだなのだ。
自分とはまるでちがう環境にいるマーニーとやりとりすることで、
アンナは自分が「おばちゃん」やほかの大人たちにかんじているいかりを、
もういちど自分にといかけるようになる。
原作では、ものがたりの後半をリンゼー家
(映画ではさやかの家族)といっしょにすごしており、
自分をつくろわなくても うけいれてくれる仲間をえたことで、
アンナが生きるちからをとりもどしていく。
アンナが生まれかわっていたからこそ
マーニーの、そして自分の秘密をうけいれることができた。
謎がときあかされていく過程は 上質のミステリーのようで、
バラバラだったパーツが、さいごにはおさまるところにカチッとはまっていく。

映画での杏奈は12歳という設定なのにくらべ、
原作のアンナは10歳くらいではないか。
その2歳の差はずいぶんおおきいはずなのに、
映画と原作とも、みおわったあと、よみおえたあとの感想に
おおきなちがいはない。
もし杏奈が10歳だとしたら、この作品はずいぶんちがうものがたりになっていただろう。
年齢の設定が、原作と映画とのちがいでいちばん気になる。

ジブリ作品とはいえ、ポニョみたいな作品を期待したお客さんには
期待はずれの面があるかもしれない。
しかし、『思い出のマーニー』は 宮崎さんの作品にはない魅力をもっている。
宮崎さんがつくったとしたら、こんなしずかなテンポで
ものがたりがすすむわけがない。
「さやかちゃん」が大活躍して
杏奈のマーニーさがしに協力したりするのではないか。
もちろん杏奈とマーニーは、しめっちの上空をとびまわるだろう。
米林監督ならでは、というか、
宮崎さんぬき、という状況ではじめて可能になった
ジブリのあたらしい方向性をしめす作品となっている。

しばらくまえに、鈴木敏夫さんが、
ジブリはとうぶん長編作品にたずさわらない、と発表した。
興行的にはどうだったかわからないけど、
『思い出のマーニー』は第1級の作品にしあがっている。
これからもジブリは自信をもって米林監督作品をおくりだせるとおもえるだけに、
残念な発表だった。

posted by カルピス at 22:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月15日

『東南アジア四次元日記』(宮田珠己) 日記ではないけど、四次元ではあるかもしれない実力作

『東南アジア四次元日記』(宮田珠己・幻冬舎文庫)

きのうはかきそびれたけれど、
『本の雑誌』の特集、「日記は読み物である!」のなかで、
「べつやくれい」さんは宮田珠己さんの『東南アジア四次元日記』も
すきな日記本として紹介している。
「電車の中で読もうとして、はじめのほうの写真を見ただけでもうダメだった」とある。
宮田さんの作品は、この本にかぎらず
「ひとまえでよまないこと」の注意がきがそえられていることがおおい。
もちろんそれだけおもしろいとほめているのだけど、
宮田さんの本だけでなく、こういういい方で
おもしろさを強調してある「解説」などをよむと、
つい反発をかんじてしまう。
ひとまえでよめないほど、わらいをこらえるのに苦労した経験がわたしにはなく、
こういうおおげさなほめ方があまりすきではない。
どこにわらいのツボがあるかは 個人的な事情によってそれぞれちがいがある。
余計なお世話なのだ。

でもまあ、と家にあった『東南アジア四次元日記』をひっぱりだしてみた。
宮田さんの本なので、おもしろかったにはちがいないはずだけど、
まえによんだときの記憶がほとんどない。

不覚にも、というか、解説どおりというか、
ほんとうにおかしかった。
露骨にわらいをとろうとする文章をよむと、
自分だけでなにをもりあがってるのかとしらけたり、
わざとらしさについていけなかったりするけど、
宮田さんの文章は、そのおとしどころがすごく微妙で、
「しつこい」「わざとらしい」のちょっと手前で
いつのまにかべつのむきへずらしてしまう。

香港のタイガーバームガーデンへ見学へいったとき、
宮田さんは上半身が裸で、腰布だけをまいているセメント像をみかける。
その男は、頭にカニを、しかも上下さかさまにかぶっていたそうだ。

「全身が人の形をしたカニならばカニバブラーの可能性もあるが、
頭にカニを突っ込んであるだけなので、それほどのものではない。
せめてカニが逆さでなければ、カニの精かと考えることもできるのだが、
カニの精だとしても、それじゃあ誰なんだ」

「それほどのものではない」がおかしい。
なにが「それほどのものではない」なのか。
つづく「カニの精かと考えることもできるのだが、
カニの精だとしても、それじゃあ誰なんだ」
をなんどかよみかえしていたら、
グフグフっとわらいがこみあげてきた。
「カニの精だとしても、それじゃあ誰なんだ」。
「それじゃあ誰なんだ」といわれてもこまる。こまるけど、ほんとにおかしい。
これはたしかに電車のなかではよまないほうがいいだろう。
わたしがタイガーバームガーデンへいって、
このカニ男をみかけたとしても、とてもカニの精までは頭がまわらない。
カニ男の姿がおかしいのではなく、
そこから連想してしまう宮田さんのおもいつきが 特殊すぎるのだ。

『東南アジア四次元日記』は「日記」をなのっているけれど、
内容はごくふつうの旅行記であり、
宮田さんが会社をやめてから数ヶ月にわたって
東南アジアの国々を旅行をしたときのようすがまとめられている。
そのコースをみると、香港からベトナムにはいり、
いったんカンボジアをまわってからまたベトナムにもどり、
ベトナム中部のフエからラオスにはいって・・・と、
わたしがこんどやろうとおもっている旅行とかさなる部分がおおい。
1997年に出版された本なので、こまかな状況は参考にならないとしても、
全体の雰囲気、たとえばわたしもいったことのある
ベトナムのムイビエンどおりなどは、10年たってもそうかわっておらず、
よんでいてなつかしかった。
宮田さんみたいに肩のちからをぬいた旅行がわたしの理想でもある。
この本をよむと、旅行のたのしさはお金やコースによってきまるものではなく、
本人のあそびごころしだいであることがわかる。

本書の解説は「本の雑誌社」の杉江さんだ。
杉江さんによると、この本は 数ある文学賞のなかで、
いちばん名のしれていないであろう
「酒飲み書店員大賞」の3回目の受賞作品であることがあかされている。
候補作に『ツ、イ、ラ、ク』・『後宮小説』・『明るい悩み相談室その1』
などの強敵があるなかで本書がえらばれたのは、まことにめでたいことであった。
しかし、受賞がきまり、これからうりだそうとするときに、
出版社で品ぎれになっていて、うろうにも うれなかったというから、
宮田さんらしい残念な逸話である。
杉江さんも、解説のさいごを 例によって
「ほんとうに電車のなかでは読まないほうがいい」とむすんでいる。
解説にかかれても、電車でよんでしまったひとは どうしようもないとおもうけど。

posted by カルピス at 20:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月14日

『本の雑誌』10月号の特集は「日記は読み物である!」

そうか、日記はよみものか。
たしかに、日記の形をとった本は
よくしらないひとのものでも、
なにをたべ、なにをしているのかにひかれて ついよんでしまう。
他人の生活をのぞけるのが、日記をよむたのしさなのだろう。
わたしがかいているこのブログだって ある種の日記みたいなものだ。
ときどき自分でも「なんでかいてるのだろう」とかんがえてしまうことがある。
せんじつめれば、生きているあかし、といえるだろうか。
そのとき自分がなにをし、なにをかんがえていたのかを
記録としてのこしたいから なんやかやとかく。
なにもしていないようにおもえる日でも、
とにかく生きていたのだから、なにかしらをかく。
それがわたしにとってのレーゾンデートルなのだ、きっと。

ブログのなかには 完全に業務日誌みたいなスタイルのものもある。
どんな仕事をして何時に家にかえり、どれだけの酒をのんだか。
なにをおもったか、については ほとんどふれず、
とにかく事実をありのままに記録してある。
わたしはそういうのをよむのがわりとすきで、
たとえば目黒考二さんの『笹塚日記』(全3冊)は、よんだ本の感想などかいてなくて、
ただひたすらなにをよみ、なにをたべたか しか ふれてないのに、
それでもずるずるとよみつづけてしまう。
そんなのがびっしりと余白なくかきこんであり、
3冊をよみおえるころには、仕事と私生活ともに、
ゆるやかなうつりかわりがよみとれるようになる。
日記をよむだいごみは、あるひとにおきた人生の起伏をしることではなく、
なにもおこらないきわめて平凡な日常によりそうことではないか。

特集記事としてのっている とみさわ昭仁氏と中嶋大介氏との対談では、
とみさわ氏が新潮文庫の「マイブック」をあつめているはなしがでている。
「マイブック」といえば、日付と曜日しかはいっておらず、
1日1ページがまるまる白紙というアレだ。
わたしは本屋さんにある「マイブック」をはじめてみたとき、
いったいなんのことかわからなかった。
文庫の体裁なので、自分のものがたりをかけということか、
それともよんだ本の記録をつけるのか。
なんでもいいから自由につかってね、というのが「マイブック」のコンセプトみたいで、
きっと、いろいろなつかい方がされているのだろう。
そんな「マイブック」が、ときどきブックオフにまぎれこんでいて、
そのなかの10冊に1冊くらいは、まえのもちぬしがかきこんでいるという。
わたしはまだかったことがないけど、そんな極私的な「本」が
古本市場にまででまわっており、
なおかつそれをかいもとめるひとがいるのだから、
コレクターの多様性はわたしの想像をはるかにこえている。
わたしには「マイブック」を本としてよもうという発想はない。

ひとりが3冊ずつおすすめの日記本をあげる「わたしの偏愛日記」コーナーでは
『つげ義春日記』と『言わなければよかったのに日記』(深沢七郎)
・『富士日記』(武田百合子)、それと『腹立半分日記』(筒井康隆)を複数のひとがあげていた。よくよまれる日記本は、あんがいきわめてせまいジャンルなのかもしれない。
わたしがすきな「べつやくれい」さんも「思わず吹き出した日記三冊」をあげている。
林雄司氏の『やぎの目ゴールデンベスト』にあった
「ウコンのサプリメントから大腸菌が検出されたという事件があったことを受け、
それはもう ほとんど うんこではないか」には わらってしまった。

航海記や探検記には、日記がそのまま記録になっているものがある。
時間軸にそって事実をかきつらねていく究極の記録であり、
そこに個人的な意見や感想をまじえるよりも、
ただあったこと・みたことだけをかくほうが記録として参考にできる。
ブログに日記をかくひとは、ながい目でみると
人類(あるいは日本人)がその時代にどうすごしていたのかを
文章によって子孫(あるいは異星人)にのこしているといえる。
でも、「ウコンのサプリメントから大腸菌が検出された」
という事実だけでなく、
「それはもう ほとんど うんこではないか」と
推測をかさねたほうが よみものとしてはおもしろい。
ノンフィクションか、フィクションかという このみの差は、
ウコンでとめておくのをよしとするか、
それともうんこまでいきたいかによってきまってくる。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月13日

来年の「ほぼ日手帳」は「オリジナル」と「週間手帳」のくみあわせで

ほぼ日手帳を注文する時期になった。
わたしは3年つづけて「カズン」をつかっており、
来年もまたカズンでいこうとおもっていた。
おおきさでいえば「オリジナル」で問題ないとおもうけど、
カズンには「週間ダイアリー」がついているからで、
1週間をみとおすには、この週間ダイアリーがいちばん都合がいい。
「カズン」と「オリジナル」の決定的なちがいは、
週間ダイアリーがついているかどうか、ともいえる。
だったら「WEEKS」でもよさそうなものだけど、
たての1週間よりも、よこの1週間のほうが
わたしにはみわたしやすい。
それに、「カズン」のおおきさは、なんだかんだいっても魅力がある。
もちはこび以外の場面では、「カズン」はとてもしっくりくる手帳だ。

とはいえ、3年たつというのに、いまだにわたしならではのつかい方ができず、
カズンの機能をいかしきれていない。
ファイルメーカーでつけている日記との、
すみわけができていないので、おなじようなことを両方にかくという
もったいないつかい方をする日がおおい。
トレーニングの実施状況と、よみたい本リスト、それに
夕ごはんになにをつくったか、くらいが
「わたしならでは」のつかい方だ。

手帳を注文するために「ほぼ日手帳」の「文房具と雑貨」をみていたら、
「週間手帳」というのがあるのに気づいた。
「週間ダイアリー」だけを独立させたつくりになっている。

「オリジナルの手帳をお使いの方で、

カズンに収録されている『週間ダイアリー』を使いたい方にもおすすめです」

とあり、まさしくわたしの希望をかなえるための商品だ。
「オリジナル」+「週間ダイアリー」をもとめるひとがたくさんいるのだろう。

カズンをつかっていて、はじめてオリジナルにかえるのは
ちょっとためらいがある。
カズンのおおきさは、よくある手帳とくらべると すごく贅沢にできていて、
それだけつかいがってがいい。
つかいがってがよすぎてつかいこなせないのが
これまでのわたしだったのだ。
いちど「オリジナル」+「週間手帳」をためしてみて、しっくりこなかったら
またカズンにもどせばいいとふんぎりをつけ、クリックする。
マックブックエアーの11インチにするか、13インチにするかみたいに、
どちらもほしいので いつまでもなやむことになる。
両方かえば、両方もったいないことになりそうだし。

4回目の注文で、おもいがけず「ほぼ日手帳」とのつきあい方をかえることになり、
あたらしいつかい方がうまくいくかどうか、すごくたのしみだ。
「オリジナル」のおおきさに、うまくなじめるだろうか。

posted by カルピス at 11:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | ほぼ日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月12日

角川文庫との相性のわるさがわかったこと

2013年の『おすすめ文庫王国』をよんでいたら、
出版社の順位づけをきめる座談会で
角川文庫が1位におされていた
(ちなみに、つぎの年にはガクッと評価をさげて4位におちている)。

B「うちのお店だとベスト200に入ってる点数でいうと
 今年ついに角川文庫が1位になったんですよね。
D「えーっ!」
B「2位が新潮文庫で、3位が講談社文庫なんですけど
 角川文庫は断トツ」
A「メディアワークス文庫の<ビブリア古書堂の事件手帖>も入れないで?」
B「入れない。米澤穂信の『氷菓』のシリーズや
 有川浩もあるでしょう」

本のいちばんさいごには、
ジュンク堂池袋本店と丸善お茶の水店の文庫担当者による
はなしあいがのっている。
それぞれのお店のベスト100にはいった数をみると、
ジュンク堂は角川22・新潮22・早川12にたいし、
丸善は角川11・新潮17となっていた。
本屋さんによるうれすじのちがいがあるとはいえ、
角川文庫のつよさは共通している。

そんなに角川文庫がうれてるのなら、と
そのベスト100のうち、わたしがよんだことのある角川文庫をかぞえてみると、
ジュンク堂・丸善の両方のリストとも、1冊もなかった。
たまたまこの年がそうだったわけではなく、
角川文庫でよくうれているという米澤穂信・有川浩・松岡圭祐を
わたしはこれまでいちどもよんでいないから 当然の結果ともいえる
(有川浩は『キケン』を挫折した)。

わたしの本棚をみても 角川文庫の本はあまり目につかないし、
かったけどまだよんでないとか、
よんでみたけどとちゅうでやめたとか、
よみおえたけどおもしろくなかったとか、
角川文庫の本をおっかけてみると、
わたしとの相性がさんざんなことに気づいた。
べつに角川春樹氏がきらいだとか、
角川文庫にネガティブなイメージをもっているわけではないのに、
結果として あきらかに角川文庫をよんでいない。
かんがえてみれば、出版社によって
どんな本をだすのかという特徴が当然あるだろうから、
わたしの読書歴に角川文庫の本がわずかしかはいっていないのは、
ひとつの傾向としてありえる結果だろう。
わたしがすきな作家は、あまり角川書店から本をだしていないともいえる。

ベテランの書店員なら当然しっているような出版社べつの特徴を
わたしはまったくしらなかったことがわかり、
ウィキペディアをのぞいてみる気になった。
でも、該当ページにたどりつくまでに、
ネットにはものすごい質問が平気でのっているのをしり、おどろいてしまった。
ズーズーしいというか、それくらい自分でかんがえろというか。
「出版社べつの文庫の特徴をおしえてください」みたいな
質問もちゃんとあり、あんまり参考になりそうにない回答がよせられている。
わたしがしてるのも、本質的におなじおろかな行為なのがあきらかで、
そんなことをする自分がいやなかんじだ。
角川文庫との相性のわるさがわかっただけでよしとして、
これ以上ふかいりするのはやめた。

それにしてもすごい質問がたくさんある。

「村上春樹さんの小説は『文学』ですか?
『風の歌を聴け』のみを僕は読んだことがあります。
この小説で『文学』な部分を教えてほしいです」

いまネットの検索は、こんなことにつかわれているのか。
たずねるほうもたずねるほうだけど、
こたえるほうもかなりずっこけている。
「もちろん冗談です」と、どこかにかいてあればいいけど。

posted by カルピス at 13:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月11日

『ニューギニア水平垂直航海記』(峠恵子)探検の素人による、すごい探検記

『ニューギニア水平垂直航海記』(峠恵子・小学館文庫)

本書は「日本ニューギニア探検隊2001」の記録だ。
ヨットで日本を出発し、ニューギニアについてからは
ヨットとゴムボートで川をさかのぼり、
オセアニアの最高峰カールステンツ(5030m)北壁の新ルートを
ロッククライミングでのぼるという壮大な計画。
著者の峠恵子さんは、それまで山もヨットも経験のない、探検の素人だった。
雑誌にのった隊員募集の記事をみて応募し、全行程に隊員として参加している。

日記風に探検隊のうごきが記録されている。
日記だけでわかりにくいところは、
べつにくわしい説明がはいるので、すんなりよめる。
しかし、この探検隊はけっきょくなにがやりたかったのだろう。
もし北壁の新ルートが最優先課題だとしたら、
それなりの準備があっただろうし、
そもそも公募して素人の隊員を採用するのもよくわからない。
日本からヨットでニューギニアへいったのは なぜだろう。

この探検隊は、いきあたりばったりのうごきがおおい。
独立をもとめるゲリラによる影響で、カールステンツにとりつくことができず、
計画をちかくの山に変更し、しかしそこも地元のひとたちにみとめられず、
別の山にまた目標をかえ、そこはなんとか登頂に成功したものの、
そのあとは計画になかったタスマニアン・タイガーとよばれる謎の野生動物をさがすことになりと、もうぶれまくっている。
かるいのりでコロコロ目標をかえるのは
本人たちがよければべつにいいのだけれど、
峠さんの記録には「決意していた」「諦めきれなかった」等の記述がいたるところにあり、
どこまでつよい気もちがあったのか よくわからない。
「私たちが目指すのは」なんて記述をみると、
隊員全員が統一した意思で活動をすすめているようにもみえるけど
(本来それがあたりまえ)、
そうした本気さは、本書からよみとれないのだ。
それに、いかに峠さんが探検の成功をのぞんだとしても、
山の経験がないひとに、戦力として隊員のはたらきを期待するのは無理がある。
峠さんの日記では、隊長との衝突がなんども記録されており、
よくこんな探検隊が無事に日本までもどってこれたとおどろかされる。
探検だからといって、まじめなことばかりいう必要はなく、
こんなすごいことをやって、ちゃんと生きてかえれたのだから
その臨機応変さというか、柔軟性を評価したほうがいいのかもしれない。
探検の内容は一流であり、探検ゴッコというわけにはいかない。
もしこの記録がかかれているとおりであるとしたら、
よくこれだけのことをやりとげたと、峠さんの実行力をたかく評価できる。

ちなみに、本書に登場する「ユースケ」は、
先日このブログでとりあげた『地図のない場所で眠りたい』で
高野さんと対談していた角幡唯介さんだ。
角幡さんが早稲田大学の探検部に所属していたころ、
この「日本ニューギニア探検隊2001」に参加されている。
角幡さんによると挫折の体験であまりおもいだしたくないといい、
たしかに「ユースケ」は本書でとくにめだった活躍をしていない。
峠さんの記録では、ユースケやとちゅうで日本にかえったコーちゃん、
それに隊長の藤原さんについても、あまりこまかな紹介はなく、
探検隊の準備についてもほとんどかかれていないので、
よけいに隊員たちがどんな熱意でこの計画にとりくんだのか
つたわってこないのだろう。

本書になんどか登場した
「ツナ缶に醤油をたらした『ぶっかけご飯』」
がおいしそうだったのでためしてみた。
そんなに感激するほどのごちそうとはおもえない。
これをおいしくたべられる峠さんの感性をたのもしくおもった。
探検の素人なのに、こんな探検隊に参加して、
とちゅうでやめずに日本までかえってくるし、
文章もいやみがなくてスラスラよめるし、
ツナ缶のぶっかけごはんを夢のようなごちそうみたいにいう。
峠恵子さんは、こんなめちゃくちゃな探検隊でなく、
もうすこしまっとうな隊に参加していたら、
しっかりした成果をあげる探検家になれたのではないか。
隊の方針はゆれっぱなしなのに、すごい行動力でどんどんさきへすすんでいく。
あまりこれまでの探検になかったタイプの本だ。
めちゃくちゃだけど実力のある隊長と、
探検の素人というくみあわせがよかったのだろうか。
おもしろいけど、動機においてわからないことのおおい、
かわった探検記だ。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする