『世界の国名地名うんちく大全』(八幡和郎・平凡社新書)
以前から国の名前に興味があった。
なぜその国を、そうよぶようになったか、という疑問だ。
フランスをフランスとよぶのはわかるけど
(フランス人が自分たちでそうよんでいるから)、
ではドイツとはいったいなんなのだ。
ドイツのひとは、自分の国をドイツとはいってないみたいだし、
英語でもフランス語でもない。だれがドイツをドイツとよぶことをきめたのだろう。
ギリシャにしても、「ギリシャ」ではぜんぜんつうじなくて旅行のときこまったし、
イタリアやスペインだって、地元ではそんないい方をしないみたいだ。
だれが、どんな原則のもとに、外国のよび名をきめるのか。
外務省なのか、地図をつくる会社なのか、国連を基準にしているのか。
この本では、すべての国をとりあげ(かぞえたら197あった)、
その国ではどんな言葉がつかわれ、正式にはどうよぶのかが紹介されている
(正式名称が複雑なときは、通称もしめされている)。
きいたことのないよび方もおおい。
けっきょく、「その国でつかわれているよび方」という原則をまもらなかったのが、
いまみたいなメチャクチャな状況をまねいた原因だろう。
まちがったよび方でも、なれてしまえばそれがあたりまえになり、
ずっと訂正されずにきょうまできた。
日本人は日本のことを「ニッポン」あるいは「ニホン」とよんでいるのだから、
わたしは、ほかの国にもそうよんでほしい。
しかし、日本だけの変更を主張してもだめで、
そのためには、ほかの国についてもおなじような配慮が必要だろう。
わたしは、韓国(正式には大韓民国。それも日本だけがそうよんでるだけ)のひとが
自分の国を「ハングク」とよんでいることを、まったくしらなかった。
ニッポンへの変更をいいだすには、
ドイツをドイチュラント、中国をチョングオなど、
おおくの国について、おなじようなみなおしが必要であり、
なかなかたいへんなとりくみになりそうだ。
それに、その国でよばれているといっても、
多言語の国はどうすればいいのか。
スイスは貨幣に4つの言語をのせるわけにいかないので、
ラテン語をとりいれているそうだし、
インドの紙幣は17の言語でかかれていることで有名だ。
そのうちのひとつだけを、特別あつかいにはできない。
ちょっとかんがえてみても 例外がゾロゾロでてきて、
かんたんにはいかないことがわかる。
その国が、対外的にどうよんでほしいかをしらべるしかないけど、
国によって、はっきりいえるところと いえないところがあるだろう。
国連に加盟したときの名称が正式といえるのだろうか。
でも、それでは現地のよび方をおもんじる、という原則からはずれるし。
ざっとこの本をよんだだけでも、国名は問題が非常に複雑であることがわかった。
国がなぜそうよばれるようになったかをしることができても、
ではどう変更したらいいのかはかんたんではない。
原則として 現地でつかわれているよび方をすればいい とまではいえても、
それからさきへはなかなかすすめない。
本書のエピローグでは
「できるだけ原語で、また、ひどく間違った読みは
修正するという基本姿勢であるべきだと思う。
まずは、社会科の教科書あたりで、
従来の表記と併記するなどしながら
正しい呼び方を浸透させていったらどうだろうか」と提案してある。
また、「訳語は、同じものは同じく」として
「同じユナイテッドを使っても『合衆国』になったり『連合王国』になったりするかと思えば、
原語が違うのに同じ『公国』になったりしてよいことなど何もない」
と指摘してある。
たしかに「アメリカ合衆国」などというまちがいは、
日本が自分でかってにこけたようなものだ。
「連合国」、あるいは「合州国」へと修正すべきだろう。
あやまりをただすのだから、ためらわずにすすめたほうがよく、
例外としてでてくる問題は、そのうえでひとつひとつ対応をがんがえる。
こうした本をよめば、すっきりするかとおもったら、
薮にすむヘビのむれをつついたようなもので、
あたらしい問題がいくらでもでてきた。
いまつかわれている国名がメチャクチャすぎるわけだから、
いっぺんにかえることは無理でも、
著者が提案するように、すこしずつ修正をかけていくしかない。
ただしい国名をとりいれるのが、こんなに複雑な問題だとはおもわなかった。