2014年09月07日

つぎの日のひるごはんがたのしみになる夕ごはんのメニューは きっとただしい

ゆうべはわたしが料理当番だった。
メニューは
タジン・ナン・トマトリゾット・ペペロンチーノ・サンマの塩やき
・もやしと野沢菜のいためもの。

いつもながらめちゃくちゃなくみあわせだ。
パン・ごはん・メンと、主食が3つならび、
モロッコか 地中海料理っぽいのかとおもわせるなかに、
いきなりサンマの塩やきはないだろう。
ひとつひとつはおいしくできた。
でも、炭水化物だけをそんなにたべられない。
ずいぶんお皿にのこってしまった。
バイキングじゃないんだから、
4人ぐらしとしては 夕ごはんの域をこえている。

タジンは好評で、全部なくなった。
友だちがわたしの誕生日プレゼントにくれたタジン鍋をつかっている。
水をくわえず、大量のオリーブオイルだけで弱火にかける。
やわらかく味がしみこみ、われながらザ・タジンとよべるできとなった。
ペペロンチーノもわるくはない。
ゆであがりの時間を計算し、みごとなアルデンテでテーブルにのせた。
粉チーズをかけるとみごとにおいしい。
もしほかのおかずがなかったら、すぐに大皿がからになっていただろう。
トマトリゾットも、うすあじにしあがり、バジルのかおりが食欲をそそる。
ナンだって、タジンをつつむのに適度なやわらかさがあり、
それだけでたべてもおいしかった。

こういうメニューを、もし料理研究家や栄養士のひとがみたら
どんな感想なりアドバイスがきけるだろう。
もっとバランスをかんがえて、というありきたりのものか、
主食がおおすぎます、という、そのままの直球か。
問題外として黙殺されたら わたしとしてはすこしかなしい。
いずれにしても地中海クルーズをおもいだしました、
なんて好意的な意見はひきだせそうにない。

ところが大胆なことに、わたしの配偶者は栄養士なのだ。
彼女はいつもなにもいわずにほしいものだけをたべる。
昨夜のメニューでいえば、リゾットにはみむきもしなかった。
そもそも、サンマをメインにとらえ
自分だけ白いごはんをお茶わんによそっている。
ペペロンチーノは、さいごにすこしだけお茶わんにとっていた。
もうすこしたべておかないと、夜おなかがすくから、みたいなかんじだ。
よく、愛情の反対はにくしみではなく、無関心だ、といわれるけれど、
配偶者の反応はどうとらえたものだろう。

ひらきなおっていえば、炭水化物だけでなにがわるい、という
わたしの持論がそのまま形となった確信的なメニューともいえる。
よくわからないのはサンマの塩やきと、もやしと野沢菜のいためもので、
サンマはわたしがすきだから、
いためもののほうは、ただなんとなくで、必然性はない。

夕食がおわり、のこった料理を冷蔵庫にしまうとき、
つぎの日のひるごはんがたのしみになった。
リゾットとペペロンチーノは、そのまま日曜日のおひるらしいメニューとなる。
いっぽうで、つぎの日のひるごはんがたのしみになるおかずを
夕ごはんにつくってどうするんだ、ともおもった。

今朝はいつになく6時に目がさめる。
きっと、頭とおなかが のこりもののおかずをたのしみにしたからだ。
バランスを無視したラディカルなメニューのおかげで、
はやおきができたし、ブログまでかけた。
ひるごはんがまちどおしい。

posted by カルピス at 07:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする