『夢で会いましょう』(村上春樹・糸井重里/講談社文庫)
本棚をながめていたら、さがしていた『夢で会いましょう』が目にはいった。
村上龍さんの本にまぎれこんでいたのが、意外な盲点となっていた。
(図書館ではないので、龍さんのとなりが春樹さんなわけではない)。
こんなところにいたのかと、おもいがけない再会をよろこぶ。
この本は、村上春樹さんと糸井重里さんによる ことばあそびの本で、
辞書やカルタみたいに、「ア」から「ワ」まで、
カタカナのことばがならべられている
(たとえば「ア」はアイゼンハワー・アシスタントなど8つ)。
そのことばに関したはなし(ショートショート)を、
ふたりが分担してかく、というスタイルだ。
だれがどのことばを担当するかはテキトーにきめたようで、
村上さんと糸井さんの作品が交互にならんでいるわけではない。
文のさいごに「i」か「m」のマークがついているので、
だれがかいたかわかるようになっているし、
村上さんのファンを名のるくらいなら、
どれが村上さん作か、すぐにみわけがつくはずだ。
村上さんがかくはなしは いかにも村上さんだし、
糸井さんのも特徴がよくでている。
といいながら、20年以上まえにはじめてよんだときは
どちらがかいたかをあてる確率が、あまりたかくなかった。
これはぜった村上さんだ、とおもっていたのに、ちがうこともよくあり、
村上さんが糸井さんの文体をあそびでマネしたにちがいない、
なんてうたぐったものだ。
その後わたしはりっぱなハルキファンにそだったはずなので、
ひさしぶりに作者あてをしながらよみかえしてみる。
クモザルやあしかがでてきたら村上さん作にきまっているし、
ビーフカツレツや季節はずれの避暑地、それに玄関マットなども
村上さんでないとまずとりあげないだろう。
こうした村上印というべきことばや、
反対に、村上さんがつかわない固有名詞などで判断すると、
グレーゾーンがだいぶ整理されてくる。
しかし、それでもなお、はずれてしまったはなしがいくつもあって、
わたしはたいした村上さんファンじゃないことがよくわかった。
たいしたファンではないけれど、それなりにすきなはなしがいくつもある。
「クールミント・ガム」では、
チャコール・グレーのフォルクスワーゲンにのった女の子がでてくる。
「彼女のドレスはとてもぴったりしていたので、
それはなんというか、とても素敵な眺めだった。
肩はすごくつるりとしていて、
おなかは画用紙のようにまっすぐで、それからほっそりとしていた。
ひとくちで言ってしまえば、
彼女は1967年の夏を一人で引き受けたような女の子だった。
彼女の部屋の戸棚には1967年の夏に関するすべてが、
整理された下着みたいにきちんと収められているんじゃないか、という気がした」
チャコール・グレーが どんな色かさえしらなかった 田舎もののわたしは、
こんなおしゃれな文章に すぐノックアウトされた。
画用紙のような まっすぐなおなかの女の子が、いまでもわたしの理想だ。
これくらいどこからみても村上さん色なら、
だれがかいたか まちがいようがない。
画用紙もそうだけど、村上さんはまえから比喩がうまく
「ブルー・スエード・シューズ」では
「二本立て映画の休憩時間みたいな感じで二年が経ち、
僕は十六歳になった」
なんて すてきなたとえがでてくる。
そんなふうにいわると、人生なんてたしかにあっという間だし、
休憩時間もしっかり生きようという気に、なるわけないか。