『晴天の迷いクジラ』(窪美澄・新潮文庫)
これだけよみごたえのある本はそうないだろう。
ストーリーテリングのうまさというわけではなく、
なにか非常にふかいところで 生きるとはなにかをとわれてくる。
わたしにこの本のすばらしさをまとめるちからはなく、
かわりにすこしまえの『本の雑誌』をひっぱりだして、
おなじ著者のかいた『ふがいない僕は空を見た』が
2010年のベスト1作品であることをおもいおこしたい。
2010年のベスト10をきめるはなしあいの日、
この号をさいごに編集長をおりる椎名誠さんが、
その記念にベスト1はおれがえらんだものにしろと
圧力をかけていた。
『ハンターズ・ラン』(G・R・R・マーティン他)を一番にしろと。
椎名「わかってるんだろうな。この1月号はどんな号だ?」
宮里「椎名さんが編集長の最終号です」
椎名「そう。だから、みんなわかってるよな」
杉江「一位をよこせと浜本さんに伝え済みなんですよね」
椎名「有終の美を飾らせてほしいと頼んだんだよ」
その圧力をはねのけ、椎名さんも納得して1位をゆずったのが、
窪美澄さんのデビュー作『ふがいない僕は空を見た』だ。
デビュー作ながら強烈なインパクトがあり、
『本の雑誌』としては1位をはずすわけにいかないと判断した。
『晴天の迷いクジラ』はその窪さんの2作目で、
この作品も、ほかの作家とどこかちがう 独特なちからで
ものがたりに読者をひきずりこむ。
そして、たちなおりがむつかしい状況の3人に、
ラストではすてきなおとし場所を用意するのだ。
3人は、それぞれの理由でいきづまっている。
3人は、ある湾にまよいこみ、死にかけているクジラをみにでかけることにした。
ちゃんとした計画があったわけではない。
なりゆきにまかせたら、いつのまにかそうなっていた。
こういういきづまったときは、そうやって
なりゆきに身をまかせることが必要みたいだ。
15メートルもあるマッコウクジラが、浅瀬にのりあげたまま
身うごきがとれなくなっており、
おおくの見物客が、クジラをみに湾をおとずれていた。
人間が、そのクジラにしてやれることはほとんどない。
ただみまもるだけで、死ぬのをまっているだけともいえる。
3人は、クジラをみながら自分のこと、ほかの2人のことをかんがえる。
瀕死のクジラをみまもるうちに、ほかのひととの関係もうまれてくる。
とじこもっていた殻は、自分だけではなかなかやぶれない。
3人はほかのひととかかわることで、
ふたたび自分の人生にむきあえるちからをえる。
べつになにか特別なことをしなくても、
ただそこにいるだけでいいんだ、とよく耳にする。
この本ではのこされた側のつらさにふれることで、
それがきれいごとではなく、ほんとうの気もちであることがつたわってくる。
げんきそうにみえるひとでも、胸にひめているかなしみは
だれにもわからない。
おおくのひとが、そんなかなしみをかかえて生きている。
「どげなことしたって、そこにいてくれたらそいで(中略)
そいだけでよかと」
これだけふかいはなしなのに、タイトルだけはベタなのがおかしい。
ほんとうに、タイトルがすべてをあらわしているのかもしれない。