2014年09月10日

『思い出のマーニー』 原作をうまくいかすのに成功した傑作

『思い出のマーニー』(米林宏昌:監督・2014年・日本)

はじめてみる米林監督の作品。
おもしろかった。はじめの5分でものがたりにひきこまれていく。
杏奈は12歳の女の子。
血のつながっていない養母にそだてられ、
自分はおばさん(養母)に愛されていないとおもいこんでいる。
世界は輪のうちがわにいるおおくの子と、
外側にいる自分とにわかれていて、
まわりとうちとけられない自分が 杏奈はすきではない。
持病の喘息のため、というよりも、
家からはなれて養母との距離をとったほうがいいという
お医者さんの判断で、夏やすみをいなかにある
おじさん・おばさんの家ですごすことになる。

おじさん・おばさんは、それぞれ自分の仕事にいそがしく
杏奈を大切におもうものの、つきっきりで世話をやくわけではない。
自分をみとめてくれつつ、適度な無関心でせっしてくれるので、
杏奈は安心して自分だけの世界をもつことができる。

児童文学では、この作品のように 家族からはなれ
理解はあるけど世話やきでないおとなとくらし、
自分の世界を再構築するはなしがよくとりあげられる。
杏奈は「湿っち屋敷」をたずね、そこにすむマーニーと
ふたりだけの世界をすごすようになる。
(外国人のシッチさんがすむからシッチ屋敷かとおもっていたら、
湿地にたっているので「湿っち屋敷」とよばれている。
これは原作どおり)。

絵のレベルはたかく、杏奈とマーニーの表情がとてもこまやかにえがかれている。
背景もうつくしい。
夜の湿地をボートがすすんでいく場面など、
1枚の絵としてずっとみていたくなった。
そのいっぽうで、たとえばボートのこぎかたはいかにもぎこちなく、
ちからをこめてオールをあつかっているようにみえない。
ボートをまるで自転車みたいにかんたんにうごかしたり、
船着場に横づけしたときにバランスをくずした様子など
ひやひやしながらみていた。
ただ、杏奈の内面が表現されるしずかな場面がおおく、
アクションのまずさは致命的ではない。

ひとことでいえば、とてもよくできた作品だ。
原作はイギリスのノーフォーク地方にある村、
そして1967年というひとむかしまえの出版なのに、
それをむりなく現代の日本に舞台をうつしている。
杏奈はマーニーとあそびながら
しだいに自分の無意識とむきあっていく。
杏奈が2つの世界をいきかうようすがうまくあらわされており、
よくここまで原作をいかしながら
アニメーション作品にしあげたものだと感心する。

杏奈は、ものがたりのおわりで養母との関係をとりもどす。
自分の生まれとそだちにひめられた謎をしったことから
そだててくれたものへの感謝と、母や祖母とのむすびつきをかんじるようなる。
湿地にやってきたときとは まったくちがう人間のように
あかるさとつよさをとりもどし、
札幌での生活にもどっていく。
ひと夏をかけて、杏奈は生まれかわった。

12歳前後というむつかしい時期に、自分をもてあましたことのあるひとは、
この作品に共感できるだろうし、いまその年頃をむかえる子どもたちのなかにも、
この作品ですくわれる子がたくさんいるのではないか。
宮崎駿さんでなくても、ジブリはこんな作品をつくれるのだ。
米林宏昌監督のすばらしい仕事をたたえたい。
映画館では、残念ながら お客がわたしと配偶者だけというさみしい鑑賞だった。
できるだけたくさんの子どもたちにみてほしい作品だ。

posted by カルピス at 22:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする