2014年09月22日

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき)高速バス+野宿の かとうさんならではの旅

『バスに乗ってどこまでも』(かとうちあき・双葉社)

最近みかけないとおもったら、
かとうちあきさんの関心は 野宿からバス旅行にうつっていた、
というわけではなくて、
バスにのってとおくにでかけながら、ちゃんと野宿もこなしている。
月刊誌『増刊大衆』に連載された記事をまとめた本なのだそうで、
編集部の依頼をうけて高速バスをつかってのミニ旅行にでかけている。
バスにのるのはだれにでもできるけど、
バス+野宿でのケチケチした旅行はかとうさんにしかできない。
なにしろ1回目の仙台ゆきが1月におこなわれているのだ。
1月に野宿なんて、だれにでもできることではないし、
何回かのおでかけでは いきさきで雨がふってるのに、
たいしたことなさそうに しのいでいる。
なにげなくよんでいると かんたんそうだけど、
これまでにやしなってきたかとうさんの経験があちこちに顔をだしている。

かとうさんの野宿ものにひたりたくて、
『野宿野郎』をひっぱりだし お遍路さんの記事をよんだりしていた。
きょねんの夏に『あたらしい野宿(上)』がだされているけど、
もうひとつ期待にそぐわない内容だった。
不完全燃焼の状態で かとうさんの本をまっていたところに
『バスに乗ってどこまでも』が出版された。
高速バスと野宿のくみあわせは、かとうさんのもち味をいかすのに 絶好の舞台だ。

予算は1万円。1万円でバス代も食費も観光にかかるお金も、
ぜんぶやりくりするのだから、宿泊は当然 野宿ということになる。
それにしても、いつも1万円にかぎりなくちかいお金でまとめている。
1回目9,630円・2回目9,960円・3回目9,795円・4回目9,907円・・・。みごとだ。
そしてついに24回目の秋田ゆきで、ぴったし1万円をつかいきるのに成功する。
かとうさんがやると、出費をおさえるのが ケチというより
上級者の旅行はそういうものなのだ、という気がしてくる。
豪華なご当地グルメにありつけなくても、
ひるごはんでそこそこ名のしれた名物料理をたのしみ、
スーパーにならんでいたみきり品を手にいれてよろこんだり。
お金がなければ旅行できないなんて、ただのおもいこみにすぎず、
この本が紹介しているように、やりようによっては
1泊2日の旅行をたのしむことができる。
お金をかけておなじルートをまわったとしても、
かとうさんみたいなおもいでにのこる旅は なかなかできないだろう。
お金のあるなしではなく、旅行をあじわうスキルがあるかないかのちがいだ。

お金をつかわずにすませようとすると、たいへんなこともおおい。
鶴岡へでかけたときに、無料のかし自転車をつかおうと、
かとうさんはまえの日からあたりをつけていた。
「当日返却」がきまりなので、1日目はかりず、
2日目に自転車で鶴岡駅周辺をまわろうという計画だ。
その2日目の朝のはなし。

「3時間弱、休憩せずに歩いたのですが、
それは自転車が借りられてしまわないよう、
念のため早目に着いておこうと思ったから。
到着は9時40分頃となかなかよい時間でしたが、
観光案内所の前には、なぜ自転車のことを知っているのか、
中国人らしき観光客の大集団がいました。
彼らはおのおのの自転車の乗り心地を試して、
そして計ったかのようにぴったり全台の自転車を借りて、走り去ってしまった」

そのあとも運のわるさがつづく。

「夕食はスーパーで買ってきたカップラーメン。
広場に移動してお湯を沸かしていると、
途中でガスがなくなってしまいました。(中略)
駅のコンビニに行って、ポットからお湯を拝借しようとしたらお湯切れだったので、
そんなのいやだ・・・」

わかい女性が こんなトホホなおもいをするのはかわいそうだけど、
かとうさんはそんなときでも「自分がいたらないのだ」と
気もちをじょうずにきりかえる。
たしかに、そんなことでいちいちやさぐれていたら、
野宿旅行なんてやってられないだろう。
そしてかとうさんは、ほんとうに野宿がすきなのだ。
旅さきで旅行者どうしはなしをしても、
「宿が付いて、往復のチケット代よりも安いんだから」と
相手がどんなにやすくまわっているかを自慢しても、
かとうさんは「野宿すれば宿は必要ないのに」
とぜんぜんうらやましがったりしない。

かとうさんが野宿をするのは、ただお金をけちりたいからではない。
野宿のほうが旅館にとまるより自由だからで、
とはいうものの、かとうさんにとってのお金とはなんだろうと、すこし気になる。
かとうさんに「ほぼ日手帳」をみせたらどういうだろう、とふとおもった。
いい品とはみとめても、手帳に5000円はらったり しないのではないか。
あるものですませるのが かとうさん流なので、
なにかほかの工夫でほぼ日手帳の機能をおぎなおうとするだろう。
たとえお金に余裕があったとしても、なくてこまらないものはかわない。
そんなお金をかせぐくらいなら、はたらかずにすませようとする。
お金をつかうのがもったいないというよりも、
できるだけはたらかずに自由でいたいのが
かとうさんが大切にしている野宿の精神ではないか。

お金がなくてもたのしそうにすごすかとうさんをみていると、
わたしもリュックをせおって旅行にでかけたくなった。
きのうは、いつも自転車でいくスーパーへあるいてでかけ、
夕ごはんの材料と、10キロいりのお米をかい リュックにいれてみた。
旅行って、どんなかんじなのかをおもいだそうとしたのだ。
ほんの20分程度あるいただけだけど、わたしはもうそれでじゅうぶん
荷物をせおった気にひたれた。
10キロはおもすぎる。
身がるにうごくには、せいぜい8キロが限度だともおもった。
あるくのはすきだけど、おもい荷物をせおうのはたのしくない。
本番の旅行で快適にすごそうとすれば、荷物はますますおもくなる。
ほんとうに必要なものをしりぬいた
かとうさんのリュックのなかをみてみたい。

今回の旅行には、編集者のY氏が毎回つきそっていたようだ。
紙面ではあまりふれられていないけど、
Y氏の存在は、いかに黒子にてっしても、かとうさんの旅に
影響をあたえたのではないか。
ひとりの野宿と、みかけだけとはいえ男女ペアの野宿では
まわりのうけとめ方がおおきくちがってくる。
かとうさんの旅行スタイルに同行記者は必要ない。
酒井順子さんが旅エッセイをかくときに編集者がつきそうのと、
かとうさんの野宿にだれかが同行するのとはいっしょではない。
余計なお世話でしかなく、それがなければもっとおもしろい本になっていたとおもう。

posted by カルピス at 23:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | かとうちあき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする