『島へ免許を取りに行く』(星野博美・集英社)
きのうにつづいて星野さんの『島へ免許を取りに行く』について。
ながくいっしょにくらしていたゆき(ネコ)の死と、
「ここ二、三年で築いた人間関係がズタズタに壊れた」のがかさなり、
星野さんはなにも手につかなくなっていた。
ながれをかえるために、自動車免許をとることをおもいつく。
星野さんがえらんだのは、長崎県の五島列島にある「ごとう自動車学校」だ。
合宿施設があり、最短で16日あれば免許がとれるという。
こういう本を、とくに女性がかくと、
いかに自分ができないかをおおげさにさわぎたて、
でもやってみればなんとかなった、みたいなのがおおい。
中学校の成績発表じゃないんだから、自意識過剰で悲劇のヒロインになるのは
いいかげんにしてほしいとおもう本がよくある。
この本も、おおざっぱにいえばそうしたながれに位置していながら、
いやみな内容になるのをまぬがれているのは、
星野さんの運転が、ほんとうにへたくそなことと、
そして ごとう自動車学校のおだやかな雰囲気が このましくおもえるからだ。
「S字はなんとか切り抜けたものの、
ほっとして左折時に植え込みに乗り上げ、クランクでは完全に脱輪。
踏切で一時停止を忘れ、坂道発進を忘れ、左折時の安全確認を忘れ、
慌てふためいて駐車時の停止線を大きく踏み越え、急ブレーキをかけて停車した。(中略)
二歩進んで三歩さがる。どんどん退化していく。
まぐれでできることはあっても、
まぐれでできなくなることはない。
現時点での実力は、はやりこんな程度だったのである」
仮免の試験をうける条件として まず「みきわめ」にとおらないといけないのに、
星野さんはなかなか運転がうまくならない。
運転って、そんなにむつかしいことなんだ、と
おどろいてしまうくらい、星野さんは運転に頭とからだがついていかない。
きっと、いろんなことをかんがえすぎるのだろう。
仕事でも勉強でも、ふだんは集中をもとめられるのに、
自動車の運転は、なにかに集中すると かえってうまくいかない。
まえばかりをみていてはダメで、うしろもよこも、
そしてまたまえも注意するのは
集中力のあるひとにはすごくむつかしいみたいだ。
なかなか「みきわめ」にとおらなくて、いつになったら卒業できるのかと、
運転がすこしもうまくならない自分をのろい、
吐きそうになるくらいおちこんでいく。
自動車学校で、馬の世話係をしているひとの奥さんは、
「ブレーキを踏もうとすると、手でハンドルの左を叩き、
アクセルを踏もうとすると、ハンドルの右を手で叩いてしまう」
から、運転をあきらめたのだそうだ。
星野さんのつまずきも、これとよくにている。
頭からでる指令が うまく手や足につたわらない。
できないというのは、こんなにたいへんなことなのだ。
理屈ではわかっていても、手と足がバラバラにうごいてしまう。
ひとまえではなすときに緊張して頭のなかがまっしろになることがあるけど、
そうした緊張とはまたべつの現象としてからだがコントロールできない。
それでもひとつのアドバイスをきっかけに、
星野さんは運転するときの気もちを整理できるようになり、
それ以降は順調に教習がすすんでいった。
本をよんでいると、星野さんはまるで半年くらい
この教習所ですごしたような気がしてくるけど、
じっさいは1ヶ月もかからずに卒業している。
たとえ合宿制とはいえ、1ヶ月で卒業できたらりっぱなものではないか。
その意味では、この本は女性らしい自意識過剰のおおさわぎストーリーだ。
何時間かかったとか、追加料金がいくらだったかにはふれられていないので、
どんなうちわけだったかはわからないけど、
たった1ヶ月で吐きそうになるほどなやむものなのか。
しかし、これは じっさいにすごした日数が問題なのではなく、
いっしょにはいったひとがどんどん卒業してゆき、
自分だけはおなじことにつまずきつづける状況が
あせりをまねくのだろう。
まわりからみれば、たった1ヶ月でおおさわぎするな、といいたくなるけど、
当事者としては、人間としてみとめられるかどうか
ギリギリの線でふみとどまったきびしい体験なのかもしれない。
星野さんの本を何冊かよんできたわたしとしては、
あの星野さんが、自動車学校の教官という人種に逆上せず、
さいごまで教習をつづけられるかを心配していた。
運転ができないから自動車学校にいくわけなのに、
それにもかかわらず、できないものにたいする
自動車学校の教官の評判はたいていよくない。
いかに不愉快なめにあったかと おおくのひとが体験をくちにする。
しかし、この本には教官への不満はひとこともかいてない。
それだけごとう自動車学校の関係者が、人格者ぞろいだったのかもしれないし、
星野さんはこういう環境におかれると、観察者としての意識がつよくなり
客観的に自分をとらえられるのかもしれない。
教習以外では、馬にのったり犬と散歩したり、
島のうつくしい景色にみとれたりと、
じゅうじつした滞在となっている。
この本の魅力は、星野さんの運転が上達していく過程だけでなく、
教官や生徒たちとのであいや やりとり、
自動車学校そのものがもつおだやかな雰囲気にある。
こうした環境にあって、星野さんは謙虚に自分をみつめ、
安全運転のドライバーとして、ぶじに免許を手にいれる。
免許への挑戦で、星野さんは なにかができるよろこびをおもいだし、
自分をもういちどみとめなおしている。
星野さんは、自動車にのってどこにでもいける「自由」を手にいれた。
それは、これまでしらなかったあたらしい世界だ。
いなかでは、自動車にのれないとくらせない。
車があってあたりまえ、なければ仕事も生活も、どうしようもないから、
これまで車にのる「自由」なんてあまりかんがえたことがなかった。
むしろ、どうしたら車にたよらずくらせるかが テーマかとおもっていたのに、
この本では車にのるよろこびが ストレートに表現されている。
40をすぎて車にのれるようになると、そんなに世界がちがってみえるのだ。
自分があたりまえとおもっていることを
すなおによろこべる感覚は新鮮でよろこばしい。
いまさら車にのるのが あたらしい世界への鍵だなんて
星野さんがいいだすとはおもってもみなかった。
身のまわりには、自由につながる「あたらしい世界」がゴロゴロころがっている。