2014年09月27日

「3万円の読書カード」まっていれば 夢のような仕事がくるかもしれない

『本の雑誌』の企画に「図書カード3万円」というのがある。
3万円の図書カードのつかい方がそのまま記事となり、
そのひとがどんな本に関心があるのかや、
お金のつかい方から ひととなりがうかがえる。
マンガをかったり、児童書をえらんだりとひとそれぞれで、
なにをかったのかが公開されることから、
なぜその本をえらんだかの記事をみると
多少ちからがはいっている印象をうける。
おこづかいとはちがい、ひとからプレゼントされた3万円は
ひとを理屈っぽくさせる。

この企画をたのしみにしているかというと、
あんまりよみとおした記憶がない。
企画としてはおもしろそうなのに、
できあがった記事はたいしてよみごたえがない。
わたしはひとがなにをかうのかについて、
ほとんど関心のないことがわかった。
おもうのはいつもおなじで、
だれかわたしにこの企画をむけてくれないか、ということだ。

どのひともたいてい
「この企画がまわってこないかとねがっていた」
「こんな夢のような仕事があるのか」
といった感想を、お約束のように記事のなかでのべている。
それはそうだろう。本ずきに、自由につかっていいよと、3万円わたすのは、
ギャンブル中毒のひとにおこづかいをあたえて、カジノにときはなつようなものだ。
ひごろはサイフを気にして ためらって、というか
はじめからあきらめていた高額の本を、この機会に手にできる。
それが仕事なのだから こんなにうれしいことはない。
わたしもまねをして、3万円の図書カードを、というのはウソで、
こういうのはおもいがけないプレゼントだから意味があるのであり、
自分が自分にあたえたごほうびでは、いつものかいものとあまりちがいがない。

「こんな夢のような仕事」でおもいだしたのが、
マッサージの実験台になってもらえませんか、ときりだされたことだ。
わたしはとくに肩こりや筋肉痛がひどいほうではないけれど、
マッサージをうけるのがだいすきで、
部活動の整理体操や、レースまえのマッサージをたのしみにしていた。
おとなになっても、いそがしい時期がおわった記念や、
自分にごほうびをだしたいときなど マッサージの店へゆく。
旅行さきでも たいていの国で その地方独自のマッサージを体験する
(これまでのナンバーワンはタイ式マッサージ)。

マッサージを勉強中のひとが、
おねがいだからマッサージをさせてくださいと、
わたしにたのんでくれないだろうか、というのが、
ずっとのぞんできたシチュエーションだった。
でもまあ、そんな夢みたいなはなしはあるわけがなく、
たんなる妄想としてあきらめ、
仲間どうしの すごくものたりないマッサージで我慢してきた。

それがある日、その夢のような依頼が、わたしにもたらされたのだから、
生きているのも わるいことばかりではない。
しりあいの女の子が、所属するクラブ(陸上)の選手にマッサージしたいので、
ついては その練習台になってくれないか、というのだ。
マッサージをしたいというぐらいだから、
まったくの素人ではなく、彼女もまた
練習をするなかで 選手どおしのマッサージをやっていたくちだ。
この依頼をきりだされたとき、わたしはほんとうにうれしかった。
ずっとねがっていたことが現実になったのだ、
しかも女の子からたのまれるかたちで。
実験台になった当日、わたしはマットにうつぶせになり、
全身をていねいにマッサージしてもらった。
ひととおりおわったあとで感想をつたえ、
たりないとかんじたところを もういちどやってもらう。
しあわせとは このことかとおもった。

ねがっているだけでは夢はかなわない、とよくいわれるけど、
かならずしも絶対ではなく、ほんとにかなうこともあるというのが、
このはなしの教訓だ。
しかし、この体験がわたしの人生にどんな影響をあたえたのか、よくわからない。
おもしろい依頼だった、ですんだのか、それとも
わかいうちにおいしい体験をしてしまったことで、
まっていれば、そのうちいいことがあると、
おもいこんだ面がありはしないか。
2回目の依頼がなかったのは、なにかわたしの発言に問題があったのかもしれない。
いまとなっては そんなことどうでもいいから、
だれかわたしに 3万円の読書カードをプレゼントしてくれないだろうか。

posted by カルピス at 20:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする