アジア大会の陸上をみていると、
日本選手もトラック競技で上位にくいこむ成績をのこしている。
このレベルの大会、というと失礼だけど、
世界大会よりいちだんひくいレベルだと、
日本人でもまだ通用するのだ。
筋肉にはスピードをだすときにつかう速筋と、
持久的なちからをだす遅筋にわけることができるそうで、
その比率はあるていど生まれもってきまっているという。
だからオリンピックの100メートル決勝では、
黒人選手がおおくのこっているし、
距離がみじかいほど日本人には苦手な種目となる。
速筋は、1分以上になると無酸素状態でうごけないといい、
それからいえば400メートルまでが短距離で、
5000メートル以上が長距離、
そのあいだが中距離というわけかたになる。
中距離は、有酸素運動と無酸素運動の両方がふくまれるため、
いちばん過酷な競技と一般的にいわれている。
わたしは、その中距離が専門だった。
陸上ではなく水泳の、そして平およぎのはなしだ。
200メートル平およぎは競技時間でいうと2分30秒〜3分なので、
陸上でいえば1500メートルにあたるから、
中距離といっても あながちおおげさではない。
200メートルが専門というのもほんとうで、
100メートルよりも きまって200メートルの順位がよかった。
このごろの幼稚園や学校では、
勝敗をはっきりきめるのをさけるために、
順位がつかない「競争」になるよう、
運動会などで「配慮」されているときいたことがある。
わたしが小学校のころは、短距離がおそい子(わたしのことだ)は
1年生から6年生まで、運動会の順位がほぼきまっていた。
背の順番だったり、出席番号順だったりしても、
おそい子は、いつもまちがいなくおそい。
練習や努力によってどうにもならないものを、
何年もおなじようにつづけるのは、
なんという無神経かと 子どもながらにおもった。
わたしは、運動はとくいでも、短距離がおそく、
ひとことでいえばノロマな子どもだった。
わたしは高校のとき農業高校にかよっており、
そこでの運動会は、農業高校らしく「俵かつぎ」があった。
30キロほどのおもい俵を 200メートルずつのリレーではこぶ。
小・中学校の運動会でおこなわれる徒競走で、
ずっとかなしいおもいをしてきたわたしは、
この「俵かつぎ」でもはしるまえから
「どうせオレなんか」といじけた気もちで順番をまっていた。
それが、いざ俵をかついではしりだすと、
となりの走者においていかれないばかりか、ジリジリと順位をあげて、
まるで水泳の大会みたいに ぬきつぬかれつの レース展開ができた。
中距離で、しかも俵をかつぐという特殊な状況は、
わたしの能力を発揮するのにいちばん適していたのだろう。
はしる競争でいいおもいができたのは、
わたしの生涯でこのときだけだ。
教訓はこうだ。
自分の専門をしり、そのフィールドを仕事にえらべば、
そしてさらに、俵をかつぐような自分に有利なルールをもちこめば、
不得意とおもっていたジャンルでも そこそこの活躍ができる。
よく、すきなことを仕事にするのではなく、
得意なことを仕事にしろ、というけれど、
得意なこと(自分の専門=自分のつよみ)をもっといかすために
もうひとつべつの条件をくみあわせたら 勝負にもちこみやすい。
かてるケンカしかしない、とは、すこしちがう。
ただの徒競走ではノロマで万年ビリたったわたしが、
中距離で、俵をかつぐというルールのもとでは
エースになりうる。
だいじなのは、なにかをくみあわせて
自分に得意な条件をつくることだ。
すでにあるものとのくみあわせ、という意味では、
アイデアとよくにている。
かけっこで、となりの走者にまけないというのは、
わたしにとって不思議な、感動的な体験だった。
ただこれは、本当に自分の専門かどうかを確認したほうがいい。
何年も競技をはなれ、もうすっかり能力がさびついてしまっているのに、
自分だけがまだ「専門」とおもっているのかもしれない。
たとえば、わたしはもう中距離の専門ではなく、
水泳だろうが陸上だろうが、競技時間が3分以上でも以下でも、
ひと目をひくような活躍はできない。
よほど自分にしかできない特殊な「なにか」をみつけないうちは
ひとと競争しようなどと おもわないほうがいいだろう。
自分のよさは自分でわからないもので、
「200メートル」「俵かつぎ」みたいな条件は、
よほど冷静な観察者でないと みつけにくい。
ひとからのアドバイスにも きく耳をもち、
なにかをくみあわせて得意な条件をみつけられたら、
あんがいかんたんにレースがつくれるのではないか。