2014年10月06日

「勝手に」がいまのキーワードではないか

このごろよく耳をすることばとして「勝手に」がある。

「勝手にたべほうだい」
「勝手に応援歌」

あ、「デイリーポータルZ」がらみだけか。
いや そんなことはない。ちょっとまえに「勝手連」があったし、
ふるくは「勝手にシンドバッド」が有名だ。
そうあたらしいことばではないのはたしかだけど、
それがまた 復活してきた。

「本の雑誌」の杉江さんが「炎の営業日誌」で
宮田珠己さんの『日本全国津々うりゃうりゃ』のことを
「宮田珠己が勝手に注目する日本各地の(観光)スポットを旅するエッセイ」
と紹介しているから(2012年3月23日)、
「勝手に」はそのころすでにでまわっていたようだ。
ふるくからあった、といいながら、
2012年のはなしをもちだすのは、
ことばとしての「勝手に」はまえからつかわれていたとしても、
いまとむかしでは、意味するところがすこしちがってくるからだ。
ここでいう「勝手に」はまわりからの評価に関係なく、
もちろん依頼されたわけでもなく、
完全に個人的な関心からうごくときの「勝手に」であり、
「勝手」がこうした意味をもったのはそうふるいことではない。
ギアでいえば、まえでもうしろでもなく、ニュートラルにある状態。
善悪は関係なくて、ただ自分がなにをしたいかだけが頭にある。
この「勝手に」こそ、
いまという時代のおもしろさをあらわすキーワードではないかと
おもえてきた。「勝手に」だけど。

わたしが小学校のときに「勝手(かって)」という名字の同級生がいた。
そいつがすごく勝手なやつだったかというと、ぜんぜんそんなことはなく、
ただ いまおもえば 大人になったときに名字が「勝手」では
あんまりいい印象をあたえないのでは、と想像する。
おぼえてもらいやすいかもしれないけど、
「ほら あのわがままなひと」みたいに
まちがっておぼえられるのなら、印象がうすいほうがまだましだ。
もうひとつ「勝手」でおもいだされるのが『幸福の黄色いハンカチ』だ。
おれみたいなやつをまってないで、
ほかの男と結婚しろ、と強引に離婚届を奥さんにおしつける健さん。
奥さんである倍賞千恵子がなみだながらにいったのが
「あんたって、勝手なひとだねー」なのだ(うろおぼえ)。
「勝手」といった場合、けしてほめてはないけど、
ひとの迷惑をかえりみず、というほどきつくとがめてはないようにおもう。

わたしが「勝手」にひかれるのは、「勝手」と「自由」がよくにているからかもしれない。
「勝手」を「自由」におきかえても、たいして意味はかわらないくらいよくにている。
「自由」はネガティブに、「勝手」はポジティブに
自分のやりたいことを主張しているのであって、
「勝手」も「自由」もだいたいいっしょ、と外国人に説明しても それほどまちがいではない。

「勝手に」のニュアンスをいろいろ説明しようとしたけど、
けっきょく「デイリーポータルZ」の企画よりわかりやすい「勝手に」をおもいつかなかった。

・「勝手にたべほうだい」
(お店が「たべほうだい」の設定をしてなくても、
 勝手に満腹になるまでたべれば
 それが自分の「たべほうだい」だ)
・「勝手に応援歌」
(どこからも依頼されてないけど、勝手に応援歌をつくる)

すべての権威や標準や前例や相手の都合とは関係なしに、
やりたければただ「勝手に」やればいいし、たいていのことは「勝手に」できると、
「デイリーポータルZ」はあたらしいもののみかたをおしえてくれた。

主催者がいくらきばってみても、
「勝手に」やるひとをとめることはできない。
勝手にやるひとは、本質的に自由だ。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする