10月はテレビやラジオの番組があたらしくなる ひとつのくぎりだ。
運転中ラジオをきいていたら、「カタツムリの上級編」として
黒田龍之助さんとカーチャさんのロシア語講座がはじまっていた
(再放送らしい)。
「上級編だからといって
不安におもわなくても大丈夫ですよ」
といいながら、
きびしいことを、あいかわらずサラッと口にされる。
「上級編なんだから、これは訳さなくてもいいですよね〜」と
さりげなくプレッシャーをかけてくる。
2回目の番組をきいていたら、前回のレッスンにでてきた
単数と複数形でかたちがまったくちがう単語について
「いやになっちゃいますよね〜。
でも、ちょーっといやになっちゃうだけで、
やめたくなるほどいやではなかったとおもいます」
とか、
「これはおぼえておいてほしいんですけど」
(おぼえてるのが上級編としては当然みたいないいかたで)と、
きくものの胸にチクチクささってくる。
黒田先生は、ことばを勉強するのが、ほんとうにすきでたまらないのだ。
外国語講座をきいていると、どんなことばもそれなりにおもしろいけど、
では、はたしてこの講座を勉強することで、
どれだけ外国語がつかえるようになるだろう。
なんといっても じっさいにひととはなすのにまさる勉強法はなく、
究極的には個人教授をうけるのが、いちばん効果的におもえる。
ほかの国でも、日本みたいにラジオやテレビでの外国語講座が じゅうじつしているのだろうか。
なんとなく、外国人はこういう いかにも訓練的な勉強法ではなく、
もっと実践的なやり方をこのむような気がする。
このまえみた映画の『最強のふたり』にでてきたドリスなんかは、
ラジオでの勉強をあたまからバカにしそうだ。
「そんなことしてないで、外にでてはなせ!」というにきまっている。
シャイな日本人は、外国人にはなしかけて、
じっさいにことばをつかう機会をみつけるより、
ひとりでラジオにむかってしこしこ勉強するのがあってるのだろう。
ただ、そればかりやっていてもたいした進歩はのぞめず、
とにかくつかってみなければ 外国語はなかなか身につかない。
もちろん おおくのひとがそうおもっているわけで、
だから「駅前留学」みたいな外国語学校の需要がある。
マンツーマンは無理としても、グループではなせれば、
ラジオとはちがう刺激をうけるだろう。
なにを目的に勉強するのか(あなたはなにをつたえたいのか)、とか、
どこまでの上達を目標にするのか、とかの みきわめも大切だけど、
とにかく、まずはなすことだ。
ひとつの外国語も ものにならなかったわたしがいうのだから
まちがいない。
テレビやラジオの外国語講座が どこまでの進歩を目的とするのかは、
勉強する側がきめることとはいえ、
ひとつのきっかけとかんがえたほうがいい。
おもしろかったら、そのさきにどんどんすすむ。
いっぽうで、まったく実用をはなれ、勉強のための勉強も
けしてわるくはないとわたしはおもっている。
目的をはなれるのは わたしの得意とするところだ。
なんのやくにもたたない勉強は、完全に自己満足の世界なので、
それはそれでたのしいし、だれの迷惑にもならない。
外国語講座の需要は、あんがいそんなところにあるのかもしれない。
「あーおもしろかった」と、きく側の好奇心を満足させるだけで、
なにも生みださない。
こんなことをいうと、黒田龍之助先生は残念におもうだろうけど、
たのしむのが目的というのも、ひとつのつきあい方だ。