「世界ふれあい街歩き」で
マウイ島にあるラハイナという町をたずねていた。
ハワイというと、観光客だらけのリゾート地とおもいこんでいたけど、
地元のひとがゆったりくらしているようすは とても居心地がよさそうだ。
むしあつくなく、もちろんあたたかで、
水着でとおりをあるいていても違和感がなく、
かといって はしゃぎすぎたあかるさでもなく、
ただ自分のやりたいことをたのしんでいる。
すんでいるひとが自分の町に満足し、
おちついてくらしているようすがつたわってくる。
ハワイにいきたいなんて おもったことがなかったけど、
ずっとくらすのなら、あたたかくてこんなおちついた町がいいなーと、
コロッとまいってしまった。
旅番組をみると、わたしはすぐに影響をうける。
ハワイはありきたりすぎるとか、
観光客だらけなんてわたしのおもいこみにすぎない。
たとえありきたりだとしても、ぜんぜんかまわないではないか。
こういうのはベストセラー本をかわない心理といっしょで、
ひととおなじことをしたくないといいつつ、
そのこと自体が すでにひととおなじ発想なのだ。
ハワイといえば、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』をおもいだす。
あの本ではオアフ島のホノルルにあるビーチですごしていた。
ハワイのホノルルなんて、小説の舞台にするには
まんなかすぎてかえって意外におもえてくる。
もっとも、よんでいるときは そんなことに関係なく、
ユキがのんでいたピナコラーダが印象にのこっている。
「『だってハワイでしょ?』と彼女は怪訝そうな顔をして言った。
『そんなの大磯に行くのとたいして変わらないわよ。
カトマンズに行くわけじゃないもの』」
わたしもまたハワイにいくのを あまりたいしたことない旅行先ときめつけており、
ちがうたのしみ方もできるなんて かんがえたことがなかった。
気のきいたひとは、どこにいっても気のきいたすごし方ができる。
気のきかないひとは、どこにいってもおなじだ。
短編作品『ハナレイ・ベイ』にでてくるのはカウアイ島のハナレイだ。
ひさしぶりによみかえしてみる。
サチという名のタフなおばさんと、日本人青年 2人組とのやりとりがおかしかった。
緊急の場合にもってきているカードについて、
「『これはほんとに非常の場合にしか使うなって、
親父に釘をさされてんです。
使い出すときりないからって』(中略)
『アホ』とサチは言った。
『今が非常の場合なの。
命が惜しかったら、さっさとカード使ってここに泊まりなさい』」
しばらくしてサチは また青年たちとであう機会があり、
「『ところあんたたち、
ハナレイで気楽にサーフィンしまくって楽しかった?』
『すげえ楽しかった』とずんぐりが言った。
『サイコーだったす』と長身が言った。
『人生がころっと変わったような気がしますよ。ほんとの話』
『それは何より。楽しめるときにめいっぱい楽しんでおくといい。
そのうちに勘定書きがまわって来るから』
『大丈夫っすよ。こっちにはカードがありますから』と長身が言った」
わかいころって、これくらいアホで気楽にやれたほうがいい。
でないと、なんのためのわかさなのか、みたいにおもえてくる。
歳をとったわたしには、そのいきおいも、
そもそもなんでもかなえてくれるカードもないけど
さいわいまだ体力だけはまだのこされている。
ハワイのどこかのビーチで、サーフィンをならったり、
ピナコラーダでくつろげるのはいまのうちだ。
それとも、いまはまわってきた勘定がきを しはらうときなのだろうか。