2014年11月08日

『家族の灯り』と、しまね映画祭からえた教訓について

『家族の灯り』をみる。
予告編をみたときから、いやな予感がしていたのだ。
あたった。
わたしには、この手の「芸術作品」を評価するちからがない。
なかでも「巨匠」とよばれるひとがつくったものは、まず理解できない。
わたしは本がすきだけど、純文学作品はなんのことかわからないものがおおく、
映画についてもおなじような傾向がある。
わたしによさがわからなかったから、
その作品がつまらないときめつけるつもりはないけれど、
これはそうとうなものだった。
もちろんあくまでも個人的な感想として。

とちゅうで席をたったひとがひとりいて、
つまらないという理由ではないかもしれないが、
もし30人ぐらいのひとがとちゅうでかえったら、
上映会の主催者は作品をえらぶときに
観客がこのむ作品の傾向を かんがえてくれるだろうか、とふとおもった。
わたしも席をたって、「たいくつ」「理解できない」の
意思表示をするべきだろうか。
まよいつつも、いったいどんなラストをむかえるのか、
こわいものみたさでみつづけていたら、
さいわいみじかい90分ほどの作品だったので、
そのあとじきにおわった。
まったくあっけない幕ぎれで、やはりわたしには
なんのことかわからない。
わからない、とマイナスの感想をいくらかいてもしょうがいないけど、
「巨匠」だったらそうした評価をうけるリスクも
当然かんがえたうえの製作だろう。
あえてわかったふりはやめ、
全面的にわたしにはあわなかったことを記録しておく。

この作品は、しまね映画祭の一貫として上映されたものだ。
23回目となるこの映画祭は、年ごとのテーマにそって
いくつかの作品を上映する。
日本一ながい期間の映画祭というわりには、
入場者数がだんだんへってきている状況を
きょねんのブログにかいたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/guriguripipi/searchdiary?word=%A4%B7%A4%DE%A4%CD%B1%C7%B2%E8%BA%D7
「おまつり」として、ことしの上映作品はどううけとめられただろうか。
わたしは2本みて、1本はとちゅうでみるのをやめ、
もう1本がきょうの『家族の灯り』なので、
ことしもまた「あたり」とはいえない企画だった。
映画祭でない期間のほうがわたしにはたのしめる作品がおおく、
こうなってくると映画祭にはいったら
映画をみないほうがいいという、おかしなおまつりになってしまう。
映画祭はできればさけること、
芸術作品は、90分ていどがありがたいというのが、
きょうの作品からえた教訓だ。

posted by カルピス at 17:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする