『家族の灯り』をみる。
予告編をみたときから、いやな予感がしていたのだ。
あたった。
わたしには、この手の「芸術作品」を評価するちからがない。
なかでも「巨匠」とよばれるひとがつくったものは、まず理解できない。
わたしは本がすきだけど、純文学作品はなんのことかわからないものがおおく、
映画についてもおなじような傾向がある。
わたしによさがわからなかったから、
その作品がつまらないときめつけるつもりはないけれど、
これはそうとうなものだった。
もちろんあくまでも個人的な感想として。
とちゅうで席をたったひとがひとりいて、
つまらないという理由ではないかもしれないが、
もし30人ぐらいのひとがとちゅうでかえったら、
上映会の主催者は作品をえらぶときに
観客がこのむ作品の傾向を かんがえてくれるだろうか、とふとおもった。
わたしも席をたって、「たいくつ」「理解できない」の
意思表示をするべきだろうか。
まよいつつも、いったいどんなラストをむかえるのか、
こわいものみたさでみつづけていたら、
さいわいみじかい90分ほどの作品だったので、
そのあとじきにおわった。
まったくあっけない幕ぎれで、やはりわたしには
なんのことかわからない。
わからない、とマイナスの感想をいくらかいてもしょうがいないけど、
「巨匠」だったらそうした評価をうけるリスクも
当然かんがえたうえの製作だろう。
あえてわかったふりはやめ、
全面的にわたしにはあわなかったことを記録しておく。
この作品は、しまね映画祭の一貫として上映されたものだ。
23回目となるこの映画祭は、年ごとのテーマにそって
いくつかの作品を上映する。
日本一ながい期間の映画祭というわりには、
入場者数がだんだんへってきている状況を
きょねんのブログにかいたことがある。
http://d.hatena.ne.jp/guriguripipi/searchdiary?word=%A4%B7%A4%DE%A4%CD%B1%C7%B2%E8%BA%D7
「おまつり」として、ことしの上映作品はどううけとめられただろうか。
わたしは2本みて、1本はとちゅうでみるのをやめ、
もう1本がきょうの『家族の灯り』なので、
ことしもまた「あたり」とはいえない企画だった。
映画祭でない期間のほうがわたしにはたのしめる作品がおおく、
こうなってくると映画祭にはいったら
映画をみないほうがいいという、おかしなおまつりになってしまう。
映画祭はできればさけること、
芸術作品は、90分ていどがありがたいというのが、
きょうの作品からえた教訓だ。