2014年11月10日

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』ちえさんがはたしたやくわり

『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』
(作:K.Kajunsky / 漫画:ichida / PHP研究所)

「ヤフー知恵袋」にのった相談が話題になり、
マンガ化されたもの、らしい。
わたしは「ヤフー知恵袋」がだいきらいで、
そんなこと質問せずに 自分でかんがえろ、といらついてしまう。
しかしこの相談は、たしかにひとりでかかえこむには難問すぎる。
わたしも「必ず死んだふり」をする奥さんについてかんがえさせられた。
かんがえたのは、もちろん配偶者のことだ。

「ちえさん」が、死んだふりをする奥さんの名前だ。
彼女がなぜそんなことをするのか、夫にもよくわからない。
相手にしないでいると、首になわをつけたり、
口から血をたらしたりと 演出がエスカレートしていく。
わからなくても 夫はいらだったり といつめたりはせず、
基本はスルーしながらおだやかにつきそっている。

わたしの配偶者は、死んだふりはしないまでも、
この「よくわからなさ」がとてもよくにているとおもった。
ことばにだして説明してくれない。
なんかよそよそしいし、距離感がとりにくい。
不機嫌なわけではない。
用がなければなにもはなさないし、
用があっても よほどでないと自分からは口をひらかない。
無口なのかもしれないけど、職場ではふつうにやっているようだ。

わたしと家のなかでであわないように、
ビミョーに時間をずらしてうごく。
わたしがひっこんだところに彼女がはいってきたり、
その逆だったり。
なんだかすこしずつみごとにずれるなー、と感心していたら、
彼女がタイミングをコントロールしているみたいなのだ。
わたしがきらいだからではなく、これが彼女のやり方なのだと
ずいぶんしてから気づいた。
それで夫婦といえるのか、といわれそうだけど、
わたしはこれでいいとおもうようになった。
あまり一般的とはいえないにしても、これもまたひとつの形であり、
そういうひともいるのだ。
ちえさんのはなしをよんでいると、
配偶者もまた彼女なりのやり方で、
おだやかな日常をたのしんでいるとおもえてきた。

どうでもいいようなことをはなしかけてきてこまる、とか
いつも長電話で、とかいう男性側の苦情をよくきくけど、
わたしと配偶者との関係にはあてはまらない。
わたしたちが特殊なのかとこれまでおもってたけど、
このマンガをみると、あんがいこういう女性はおおいのかもしれない。

波風があってあたりまえだろう、それが生活というものだ、
というのが一般的にはいわれている。
それもまたひとつの形にすぎないわけで、
わが家が絵にかいたような家族でないとしても、
ひとつの家族であることはまちがいない。
それでじゅうぶんだ。

ちえさんは、にぎやかなおしゃべりはきっと苦手だろう。
ほかのひとがもりあがっていても、
それをとなりでしっかりきいているだけで、
自分から輪にはいったりしない。
それがいいというわけではないけれど、
そういうひともいることが
このマンガによってひろくうけいれられたのではないか。

電車にのったとき、老婦人に席をゆずったちえさんは、
てれくささから つつつーと、となりの車両にうつってしまう。
「いいことをしましたね」と家にもどってから夫がほめると
ちえさんはまだはずかしがっていて、むこうへにげてしまった。
そして、つぎの日には、ウルトラマンのお面をかぶっている。
それならはずかしくないようで、
夫がなにをはなしかけても「ゼアッ」と
ウルトラマン語でかえすだけだから 会話にならない。
会話にしたくないことを、ちえさんはお面をかぶってつたえている。

ひとはつい、自分を基準にものごとをかんがえがちで、
それからはずれると「かわっている」「ふつうじゃない」と
拒否反応をしめしがちだ。
一般的でないちえさんは、まちがっているのではなく、
それが彼女のスタイルというだけのことだ。
「家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています」という
ありえない相談が たくさんのひとにうけいれられたのは、
ちえさん的な人間への共感からだろう。
「必ず死んだふり」をする奥さんがいるくらいだから、
これからの相談ごとは、たしょうのことではおどろけない。
なんでもありだし、それでいいのだ。
ちえさんがはたしたやくわりはおおきい。

posted by カルピス at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする