『戦略大作戦』(1970年・アメリカ・ブライアン=G=ハットン監督)
BSプレミアムでやっていた『戦略大作戦』をみる。
おふざけの戦争映画で、深刻ぶらずたのしい。
ドイツ軍がある町の銀行に1,600万ドル相当の 金ののべ棒を保管しており、
その情報をかぎつけた米軍の小隊が、
軍の作戦とは関係なしに、自分たちでそのお宝をものにしようとする。
彼らの隊長がいいかげんなひとで、
部隊に3日間の休暇をあたえておいて、
自分はぶんどったヨットをパリへはこぼうとでかけていった。
のこされた部隊は、自分たちだけで1.600万ドルを山わけしようと
作戦に必要な資材と仲間をあつめて
ドイツ軍が占領している町へむかった。
テリー=サバラスとクリント=イーストウッドが主役だけど、
ふたりをくってしまったのがドナルド=サザーランドだ。
戦車兵のぶっとんだおにーさんがはまり役で、
この役のために生まれたみたいに存在感がある。
テリー=サバラスは意外にもまじめな上官役で、
めちゃくちゃな部下たちに手をやいている。
イーストウッドは、ラストで戦争作品をウェスタンにしてしまった。
『MASH』にはついていけなかったけど、
この作品くらいのあそびはだいすきだ。
しかし、こうした映画はバランス感覚がむつかしく、
ふざけ方にリアリティがないと、のりきれずに しらけてしまう。
町にいくとちゅうでドイツ軍の偵察部隊と戦闘になり、
2人の犠牲者をだす。
イーストウッドたちは、かなしそうな態度をしめすものの、
そのまま町にむかってあるきはじめる。
多少の犠牲にたじろかないで、作戦をすすめるつよい精神力、
みたいな場面だったかもしれないけど、
あれでは なんの手あてもなく 畑にほったらかしにされた2人の遺体がうかばれない。
認識番号のついたタグをはずしたり、お墓をほったり、なぜしなかったのか。
町にはいりこみ、目標とする銀行のまわりをしらべると、
タイガー戦車が3台がいすわっている。
イーストウッドたちは奇襲をしかけ、いいところまでいくけど、
さいごにのこったタイガー戦車1台にはばまれて、
どうにもならなくなった。
(以下、ネタばれ)
イーストウッドたちは、相手の戦車兵にはなしをもちかける。
おたがいしがない兵士でしかなく、
そんなにがんばらないで、あの銀行にある 金ののべ棒を山わけしないか、
という交渉だ。
タイガー戦車にむかって、まるで西部劇のガンマンみたいに
イーストウッド・テリー=サバラス・ドナルド=サザーランドが
しずしずとむかっていく場面がうまい。音楽もピッタリだ。
「わけまえをやるから、タイガーで銀行のドアをぶっとばしてくれよ」
といわれたときの戦車兵の顔がおかしかった。
ドイツ兵がそんな提案にのるとはおもえないけど、
そこらへんはじょうずにつくってあって、きれいにラストまでもっていく。
『プライベート・ライアン』や『バンド・オブ・ブラザース』とくらべるまでもなく、
戦争をこうしたあそび感覚でえがく作品はほとんどない。
それがわるいというわけではなく、ああしたいいかげんさが
戦場ではあんがいありえたかも、とおもわせるリアリティがもうすこしほしかった。
そうでなければ、こんなふざけた作戦のまきぞえをくってしんだ兵隊は死にきれない。
戦争映画にむちゃをいうようだけど、だれも死なない脚本がほしかった。
1970年とふるい作品なのに、タイガー戦車やシャーマン戦車がそれらしくつくられていたし、
うごきもよかった。戦闘シーンだってたいしたものだ。
娯楽作品でありながら、そこらへんは手をぬいていない。
タイガー戦車がエンジンをかけると、うしろについたドラム缶みたいなマフラーから、
盛大にけむりがあがる。
こうしたこまやかな配慮がわたしはうれしかった。
ドナルド=サザーランドがえんじる超楽観的な戦車兵が印象にのこる。
きっとあのひとは心配なんかしないで、いい面ばかりをみることができるのだろう。
となりにいたらたまらないタイプだけど、
味方としてはたよりがいがある。
イーストウッドとテリー=サバラスだけではこの作品はなりたたなかった。
ドナルド=サザーランドの存在がこの作品のかるさを上質なものにしている。