このごろ宮田珠己さんの本についてかくことがおおく、
きょうもまたそれなので すこし気がひける。
でもまあ日記なんだし、かたいことはいわないで、
きのうかいた「めんどくさい」問題を
宮田さんの『スットコランド日記』(幻冬舎文庫)からもうすこしつづけてみる。
宮田さんは旅について「めんどくさい」とかいているけれど、
もちろんこの原則は ほかのどの場面でもいきてくる。
「旅立つときはいつもそうだが、もう全面的に面倒くさい。
毎回、もっと気力充実してから出発したいと思うけれども、
そうやって待っていても気力はとくに充実しないのであって、
まだそのときじゃないのかな、と思ったときが実は潮時である。
条件が整い、気力が高まってから行動しようと思っていたら、
いつまでたっても人生何も起こらないのだ。
それよりとにかく何でもいいから出発してしまって、
それから決心を固めていくほうが早い」
わたしが12月に予定している旅行について
ためらっているから この文章を引用したわけではない。
よく「旅行は準備をしているときがいちばんたのしい」なんてきくけど、
優等生すぎる発想におもえ、すこしちがったことをいいたくなってきた。
自分があれほどのぞんでいた旅行でも、
いろんなことがはっきりするまでの期間は たしかにめんどくさい。
宮田さんのべつの本、『だいたい四国八十八カ所』(本の雑誌社)には
こんな記述がある。
「なんのために、なんて考えていると、
旅はいつまでたっても始まらない。
意味を考える前に計画を立て、結論が出る前に出発してしまう。
これが大切である」
「めんどくさい」ということばはつかっていないけれど、
旅をはじめられないのは「めんどくさい」からなので、
旅だちへのぐずつきは、すべて「めんどくさい」問題がからんでいる。
そんなにめんどくさいのは、ほんとうはやりたくないからだろう、
というひとへの反論は
「何事もやってからだんだん面白くなるのであって、
やる前はどんなことでも面倒くさいに決っている」
と宮田さんはあんがい頑固だ。
宮田さんは、「かんがえる」ことについても
根源的な疑問をかんじているようにみえる。
「結論が出る前に出発してしまう」
これが、あんがいふかい。かんがえない。かんがえると うごけなくなる。
よりよく実行するためにかんがえをかさね、ふかめるのだろうけど、
かんがえたあげくに「やーめた」になってはぜんぜん意味がない。
そんなことなら、とにかく出発したほうがよっぽどましなわけで、
きめることと かんがえることは、なにも関係ないばかりか、
むしろかんがないほうがうまくいく例を、宮田さんはたくさん体験してきているのだろう。
「かんがえる」ことは、かなり用心してかかったほうがいい。
それにしても、いったいなぜ「めんどくさい」とおもってしまうのだろう。
めんどくさがる心理とは、いったいなにか。
宮田がいわれるように「面倒くさいは、性欲、睡眠欲とならんで
人間の三大欲望のひとつ」(11月17日のブログ参照)
がほんとうなら、めんどくささの説明なんてできっこないことになる。
ねむたいのに理由がないとおなじで、
めんどくささにも理由なんてないのだ、基本的な欲求だから。
『だいたい四国八十八カ所』には、もうひとつおそるべき発言がある。
「何事も最後までやり抜くよりも、
途中でサボるほうが難しく、
ステージの高い行為だということがわかる。
なぜなら、やり抜くのは惰性であって、
サボるのは決断だからだ」
そんなことをいわれると、だれだってさぼりたくなる。
「途中でサボる」は「途中でやめる」とおなじ意味なのだろうか。
かんがえはじめると、ブログをつづけてかくのが惰性におもえてくるから
こういうささやきには耳をかさないほうがいい。