『ぼくは眠れない』(椎名誠・新潮新書)
アウトドアあそびがすきで、
仲間をあつめてキャンプやたきびをたのしみ、
外国・国内のあちこちをいそがしく移動しつづけ、
自分の家ですごす日はあまりなく、
体力があって酒につよく、
ちいさなことは気にせずに すぐねてしまうひと、
だとおもっていた椎名さんは、35年来
不眠症をかかえていた。
ねむれないことが、どんなふうにたいへんかが、
椎名さんの体験からかかれているわけだけど、
その椎名さんの不眠症も、
「専門家からいえばまったくどうってことのないもので、
本当の不眠症とは言えない」程度なのだそうだ。
本格的な不眠症になってしまうと、睡眠薬などきかなくて、
ひじょうに治療のむつかしい、というか
基本的にはなおらない症状だという。
本格的な不眠症でないとはいえ、
頭のなかにすむもうひとりの自分がいて、
そいつと一生つきあっていかなければならないことを
椎名さんは覚悟している。
「『不眠症状』というものをくすりなど使わず
根本から正常睡眠に戻していこう、
などという方針は捨てた。
覚醒している頑固な自分の神経を考えたときに、
その向こう側にいる、ひねくれて悪質な鏡の中の自分である
『睡眠妨害』の意欲に燃えたそいつを意識し、
その都度うまくおりあいをつけてやっていこう、と考えているのだ」
わたしはこの本を なんにちかかけて 夜ねるまえによんだ。
このところ1時くらいまでだらだらおきている日がつづいてしまい、
ねむくてたまらない。
ねむけをこらえて「 ねむれない」という本をよむのは
なんだかへんかかんじだった。
ねむれないつらさをわたしはほとんどあじわったことがないけれど、
時差でねむれない日が2,3日つづいたときは
かなりくるしかった。
こんなのがずっとつづけば さぞたいへんなのは
わたしにも想像がつく。
この本によると、基本的によわい動物は睡眠時間がみじかい。
ゆっくりねむっている余裕がないからで、
ウマは平均2.9時間というから、ずいぶんみじかい。
反対につよい動物、たとえばライオンは13.5時間もねむるという。
椎名さんは、安全な家で快適なふとんにくるまって、
たいして用事があるわけでもないのに ねむれない自分を はずかしくおもっている。
椎名さんが不眠症になったのは、サラリーマンをやめ
作家としての生活をはじめてからだ。
いくつかの原因があげられているけど、
原稿をかくことで興奮状態にある脳は
仕事がおわったからといってすぐにはねむってくれない。
椎名さんが作家になってだした本は、これまでに235冊といい(文庫をのぞく)
それだけの原稿をかきづづけてきたツケが生活全般におよび、
不眠症というかたちで椎名さんのからだに影響をあたえている。
35年というながい期間 不眠症とつきあううちに、
椎名さんはいくつかのコツをつかんでいる。
フランスからとりよせた塩による入浴法と、
落語のCDをねるときにきくといいそうで、
数百枚あるという落語のCDのなかから おなじはなしをえらんで、
噺家によるちがいをたのしむ。
本には「寝床」をシリーズとしてきいたことが 例としてあげてある。
わたしは桂枝雀の「寝床」しかしらないので、
あのおおさわぎの落語と ねむりとの関係が意外だったけど、
そうやってなにかにかるく意識をむけている、という状態がいいのだろう。
本にもこの効果はあって、よみながらねむけをおぼえ、
そのままねてしまえるときは すごく気もちいい。
もっとも、本の場合はどれでもいいというわけではなく、
むつかしくなく、でもおもしろすぎない、というかねあいがむつかしい。
なぜわたしたちはねむるのか。
ねむるとは、ガレージに車をとめてエンジンをきることとは まったくちがうそうだ。
ねむっているあいだも内蔵はうごきをとめないのとおなじように、
脳もまた活動をつづけている。
むしろねむっているときのほうが はるかに活発に活動しているそうで、
「睡眠のさいには覚醒時の意識が一時的に終わり、
もう一種類の意識がそれを引き継ぐという見方である。(中略)
夜寝床に横になるときに、自分は活動を停止するのではなく、
睡眠の王国へと離陸するのだと感じるようになることである」
(『スリープ・ウォッチャー』・W=C=デメント)
とうとらえ方が紹介してある。
わかったようでいて、人類は睡眠について しらないことがまだたくさんある。
この本をよむと、不眠症状がけして特別なひとだけのなやみではなく、
なにかをきっかけに、どんなひとにもおとずれることがわかる。
「不眠症や鬱を誘発するストレスは、人生のなかにいくらでもある。
どんな人にも、基本的にはぼくと同じような
『思いがけない』外側からの攻撃によって、
精神のバランスをめちゃくちゃにされてしまう危険が存在する」
医者にいっても睡眠薬を処方されるくらいで、
根本的な解決にはならない。
どうすればいいのか、だれにもわからない。
椎名さんは本をかくにあたって、何十冊ものねむりについての本をよんだけれど、
けっきょく たしかなことはわからなかったそうだ。
そういうはなしをきくと、なんだか腰痛とよくにているとおもう。
たくさんのひとがなやんでいるのに、決定的な解決法はなく、
それぞれが自分で工夫するしかない。
そしておおくの場合、自分とおりあいをつけることになる。
敵は外側にいるのではなく、自分の内面にひそんでいるからだ。