2014年11月25日

『ネコ学入門』(クレア=ベサント)ネコかわいがりをやめる必要はありません

『ネコ学入門』(クレア=ベサント・築地書館)

朝日新聞の書評欄で、横尾忠則さんが紹介されていた。
横尾さんは、もっとこの本とはやくであっていれば、と残念におもっている。

「猫をペットとして一方的な愛情を押しつけ、
猫を私物化することであなたは猫の最も軽蔑すべき対象となり、
追えば追うほど猫から無縁の存在になっていくのだ。
猫が好む人間はむしろ猫に無関心。
猫は独立、独歩、自立心が強いために
余計なお世話には耐えられない。
大方の愛猫家は過剰なおせっかいをし、
その結果は嫌がられるのが落ち」

なのだそうだ。
なんだかわたしのことをかかれているような気がしてきた。
わたしはネコにとってうとましい存在で、
わたしのしていることはまちがっているのか。
でも、ネコかわいがりしないで、ネコとくらすよろこびがあるのか。
さいわい本書が図書館にあったので(2000円もする本なのだ)、
かりてきて、すぐに目をとおした。

ネコの特徴と、ネコといっしょにくらすときに注意すべきことが
こまかくかかれている。
各章のおわりには、その章のまとめが箇条がきになっていて、
わかりやすい。

よんでみると、横尾さんはよほどひねくれた目で
愛猫家のアラさがしをしたのでは、とおもえてくる。
冒頭で紹介した
「大方の愛猫家は過剰なおせっかいをし、
 その結果は嫌がられるのが落ち」
なんて意味あいの記述はなく、よほど拡大解釈をしないと
そんなよみ方はできない。

「猫を追いかけて注目を押しつけてはいけない。
 猫はもっとあなたから遠ざかるだけだ」

とはかいてあった。
でも、このことと横尾さんの解釈とはずいぶんちがう。

「老猫の世話」という項目では
「起きているときは、頻繁に愛情をこめて触れてやることが必要だ。
 そっとグルーミングしてやれば猫はリラックスするし、
 体を清潔に保ち、自尊心を失わずにいられる。
 また、あなたと猫に可能なかぎり、家庭生活に参加させることも大切だ」

食欲がおちているネコについては
「そういう猫を看病するときは優しくしてやることが何よりも重要だ。
 餌をやりながら励まし、話しかけよう。
 猫がのこした餌は必ず新しいものと取り替えること」
まさしくわたしがピピにたいしてやっていることがかかれているので安心した。
はげまし、はなしかける効果はたしかにある。
クリア=ベサント氏は、そうしたつきあい方を大切にするひとだ。
横尾さんの紹介がなければよまなかった本で、
そういう意味では横尾さんの「おかげ」ではあるけれど、
横尾さんはいったいどういうよみ方をしているのか 不思議におもえてくる。

「訳者あとがき」で、
ご自身もネコずきであるという三木直子さんが感想をよせている。
三木さんがいわれるように、この本は基本的にそとへあそびにいくネコについてかかれており(イギリスではそれが一般的)、
家のなかだけでかうのは「家猫」という表現で
わけてあつかわれている。
家だけでかうときも、それはそれでネコもひともしあわせなのだろうが、
家のなかだけでかっていてはわからないことも たしかにある。
「猫という生物の正体は、
家猫だけを見ていたのでは半分しかわからないのかもしれない」
と三木さんはおもうようになる。

「好きなときに外に出かけ、
好きなときに家に帰ってくる。
気が向けば一日家の中で過ごすこともあるが、
ぷいと出かけて丸一日以上戻ってこないこともある。
家にいるときは、人の膝に乗り、
嬉しそうにゴロゴロ言いながらよだれを垂らし、
お腹の上でフミフミし、
昼だろうが夜だろうが我が物顔で人間のベッドで寝る甘えん坊のくせに、
一度外に出れば俊敏な野生動物に変貌する。(中略)
猫というとても身近な動物の中には、
消そうとしても消して消せない野性があるのだ」

三木さんのいわれることは、とてもよくわかる。
ネコといっしょにくらすとき、
ベタベタにかわいがり、ネコもそれをもとめてきても、
ほんの一瞬で野性の表情にきりかわることがある。
遺伝子にひきつがれ、いまもおおむかしからの記憶が支配する
むこう側の世界にさっとはいってしまう。
その野性がネコの魅力であり、
わたしはそれにひかれ、尊重したいとおもう。
ネコの野性がもとめる行動は、
たとえいっしょにくらす人間でも とめることができない。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(1) | TrackBack(1) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする