義母の3回忌があり、配偶者の実家へでかける。
お経のなかやすみに、繊維関係の仕事をしている親戚すじと 近況をはなす。
このごろは中国にしたうけをださなくなったので、
中国への出張はなくなったけど、
かわりにベトナムへいかされるそうだ。
わたしはあそびでベトナムとラオスをまわるのに、
そのひとは仕事としてベトナムにいけるわけで、
すこしかんがえれば あそびでいくほうがいいにきまっているのに、
なんだか かるくガクッときてしまった。
わたしは有給やおこづかいをやりくりして、
やっと(というのはちょっとおおげさだけど)
旅行にでかけるのに、というヒガミだ。
これが中国だと、「仕事とはいえ たいへんだなー」になるから
ヒガミの心理はややこしい。
旅行まであと3週間ほどになり、
すこしずつ準備をすすめている。
今回は、タブレットをもっていくので
本は2,3冊におさえて、なんておもってたのに、
このごろおもしろそうな本によくみかけてしまい、
けっきょくいつものように10冊くらいのリストになりそうな
たしかな予感がある。
旅行まえは、いつも今回こそかるい荷物で、とおもうのに、
いつもカバンいっぱいになってしまう。
こんどもまたおなじことがくりかえされるのだろう。
3年前にカンボジアへいったときは、
直前に『ジェノサイド』(高野和明)をよみはじめてしまい、
逆上して600グラムもあるその本までもっていった。
パソコンも、いまではつくられていない「iBook」という
ふるい13インチのもので、2.3キロもあった。
こうなると、すこしくらい荷物をかるくするなんて どうでもよくなり、
けっきょくカバンにいっぱいの荷物になったのだ。
外国へいくから荷物がおおいかといえば、
残念ながらそうではなく、
国内を、ほんの1泊するだけでもけっこうな荷物にしてしまう。
「みじかい」という油断から、
まずよまないだろうという本や、
くらいところでの読書にとあかりにまで気をくばり、
ズルズルとカバンをふくらませる。
わたしが負担にかんじずにもてるのは、8キロまでであり、
どこへいくにも8キロのカバンになるのがわたしの旅行準備だ。
今回も、いきさきが東南アジアなのに、
わざわざ夏用の寝袋までもっていく。
タイの冬はそれなりにさむいので、あったほうがいいのはたしかとはいえ、
なしでもきっと問題はない。
これはもう、わたしのスタイルだからしょうがないとうけいれている。
図書館でかりたガイドブックをながめる。
『地球の歩き方』というシリーズで、
まえはバックパッカーむけのガイドブックとしてしられていたけれど、
いまひらくとレストランやショッピングガイド(宝石・アクセサリーも)、
スパやエステにナイトライフと、
お金もちの旅行者でもつかえるようになっている。
もっていくカバンも、まえは当然バックパックをすすめていたのに、
いまは「荷物がたくさん入ってパッキングがしやすく、
しかも頑丈なスーツケースが便利」
と、かなり方針がかわっている。
『地球の歩き方』は、まえだとすべてのわかい旅行者が、
といえるくらい、旅行先で黄色の表紙をみかけたものだけど、
さすがにいまは事情がちがってきてるだろう。
むかしは(むかし!)、ほかにえらびようがなかったのだ。
あんまりだれもがもっているので、わざわざ自分でもたなくても、
むこうでだれかにみせてもらおうと、
『地球の歩き方』をもたずにでかけたことがある。
わたしには男のつれがいて、
わりとひろい道路のむこうからわかい女性のグループがあるいてきた。
手にはお約束の『地球の歩き方』がみえたので、
「あのー、『地球の歩き方』をみせてもらえませんか?」と相棒が声をかけたら
「わたしたち、そんなのもってません!」とものすごくひかれてしまった。
ちょうどそのころ女性の旅行者がまきこまれる事件があり、
わかい女性の心理として、むこうからくるわけのわからない男たちは警戒すべき対象だったのだろう。
女性たちの人数が5,6人と、集団心理がうまれやすかったのもよくなかった。
とはいっても、なにもあんなふうにさけなくてもいいのに、
まるで日本の路上でナンパ男になにかされたような反応だ。
ガイドブックをもっているのがみえてるのに、
「もってない!」といいはりたくなるほど
わたしの相棒がいかがわしそうだったことを もうしわけなくおもった。
『地球の歩き方』は、そんなふうにトラブルのネタになるくらい
だれもがあたりまえにもって旅行していた時代があった。