『人質の朗読会』(小川洋子・中公文庫)
タイトルをしらなかったら、よみはじめてしばらくは、
これがまさか小川洋子さんの本だとおもわないだろう。
ニュースをよみあげるように、ある事件の全容がまず読者にしらされる。
地球のうらがわにある国で、
日本から観光におとずれた旅行者と、添乗員をあわせた8名が
反政府ゲリラの襲撃をうけ、拉致される。
3ヶ月以上も膠着状態がつづき、しかし最終的には
人質の8人全員が死亡した。
タイトルにある朗読会は、
拉致されているあいだに人質になったひとたちが、
ひとつずつの物語をかたったものだ。
はじめわたしはものたりなかった。
とくに起伏にとんだ内容がはなされるわけではなく、
どれもごく個人的な記憶にすぎない。
しかし、8つのはなしをよんでいるうちに、
不思議なしずけさとおちつきにひかれはじめる。
小川洋子さんならではの世界だ。
わたしはよく、いまがすべてとかんがえる。
さきのことはどうでもいい。
ましてや、すぎてしまったことなどに
おもいわずらう必要はない。そうおもってきた。
しかし、ここではかたられるのは、すべて過去のはなしである。
「いつになったら開放されるのかという未来じゃない。
自分の中にしまわれている過去、
未来がどうあろうと決して損なわれない過去だ」(p12)
過去はそこなわれない。
人質という特殊な状況では、それがおおきな意味をもつ。
過去にあったできごとを大切にすることによってのみ、
自分の存在をたしかめ、自分をまもることができる。
過去におきたひとつのできごとを、なぜだかわすれることができない。
だれもがそうしたものがたりをもっている。
そのことだけが自分をつくったわけではないけれど、
朗読により、いまの自分にとって、それがどれだけ大切なものだったかをしる。
自分でも理由はよくわからない。
過去にすがりつくのではない。
しかし過去は、けして否定しなければならないものではない。
『おすすめ文庫王国』に、この本は候補作として 名前があがっていた。
しかし杉江さんの
「小説でいうと『人質の朗読会』と『紙の月』は
別格でいいんじゃないですか。
あげるならノーベル文学賞か天皇賞ですよ。
文庫ベストテンは卒業してもらいましょう」
のひと声でリストからはずされた。
この1年に発行されたなかで、いちばんすぐれた文庫本をえらぶという趣旨からいえば、
「別格」あつかいをするのはどうかとおもうけど、
たしかにリストにあげていたらきりがないというひとがいる
(といいながら、2014年のベスト1は角田さんの作品だった)。
いましかない、なんていいながら、
わたしはちょっとさきのことばかりたのしみにする。
たとえば、チェンマイについたら美容室でシャンプーとひげそりを
やってもらおう、とか、
まえにお世話になったタイマッサージのお店へ、毎日かよおうとか。
人質になったひとたちは、そんなふうにさきをたのしみにできない。
すこしさきの将来をかんがえるには、自分たちのおかれた状況がシビアすぎる。
けしてそこなわれることのない 過去のものがたりだからこそ、
彼らは自分たちの存在を確認し、まもることができた。