2015年01月09日

たし算よりもひき算で トレーニングメニューをくみたてる

体育館のジムでからだをうごかす。
週に2回のペースでいってたのが、
旅行のためほぼ1ヶ月ぶりのトレーニングとなる。
最初からもとのメニューにとりくむと、
全身が筋肉痛になりそうだから、
ベンチプレスとスクワット、それに懸垂と腹筋だけにした。
さいごに10キロはしる。

すこしまえまでは、これがすべてのメニューだった。
それが、だんだんよくばってしまい
あれもこれもとメニューをふやしてきた。
ベンチプレスとスクワットというのは、
この2つのメニューで胸と足をきたえておけば、
あとのちいさな筋肉も刺激をうけるので、
最小限の練習としては それでじゅうぶんだろう、というかんがえ方だ。
セット数をふやしたり、メニューをふやせば
それだけきたえられるだろうけど、
つかれるし、時間もかかる。

そうおもって、何年もそのすくないメニューでわりきっていたのに、
半年ほどまえからメニューがふえだした。
メニューをふやせば、それだけからだがきたえられる、
そんな欲望がわたしをくるわせてしまった。
練習の頻度・メニュー・セット数に上限はない。
へたをすると、毎日2時間もウェートトレーニングにとりくむような
スケジュールになってしまう。
オリンピックをめざすわけでもないのに、
どんどんメニューをふやしてどうしようというのだ。
わかいころならまだしも、50歳をこえたわたしは なにをもとめればいいのか。
健康は大切だけど、プロポーションの維持もまたみのがせない。
しかし、健康とプロポーションを同時にもとめるのが
そもそもまちがっているのかもしれない。

なにをもって適度なトレーニングとするかは
そうかんたんではない。
ジョギングと水泳だけでじゅうぶんかもしれないし、
水泳だけで用はたりるかもしれない。
それに毎日のうでたてふせをくわえると、
より効果がますというとき、やったほうがいいのか、
やらないですませるほうがかしこいのか。

勉強でも、はじめのとりくみをつづけていればいいものを、
ついいろいろとつけたしてしまい、
身うごきがつかなくなってすべてをほうりなげる、
という経験をもつひとは すくなくないのではないか。
たくさんやればそれだけ成果をあげられるというかんがえは、
仕事や勉強など、どこにでもみかけられる。
わたしたちはつい、つけたしてしまいがちだ。
大切なのは、ひくことではないのか。

福岡正信さんは、土をたがやさず、草もとらないで、肥料もやらず
作物をそだてる自然農法をあみだした。
土をたがやせば、根がふかくはるのではないか、
肥料をやれば、おおきくそだつのではないか、
農薬で病気や虫をおさえられるのではないか、
除草剤をつかえば、雑草にうもれないのではないか。
機械や化学肥料をつかった農法が 一般的におこなわれるなか、
福岡さんは、自然にまかせておけば、
すべてうまくやってくれることに気づいた。
土をたがやさなくてもいいのではないか。
肥料も必要ないのではないか。
雑草をとらないでもなんとかやれるのではないか。
たし算ではなく、ひき算のかんがえ方であり、
たどりついたのが無肥料・無農薬で、草もとらない不耕起栽培だ。

あれも必要ないのではないか、
これもやめて大丈夫なのではないかと、
できるだけけずったメニューが ベンチプレスとスクワットだったのに、
それをまたふやしてしまったのは
悪魔のささやきというよりない。
ひとによりトレーニングにもとめる効果はさまざまであり、
なにを目的とするかを はじめにおさえたほうがいいみたいだ。
わたしは、自分でそれがわかっているつもりだった。
時間の経過とともに、目的がゆらいでくるので
ときどき確認したほうがいい。
最少努力による最大効果をわたしはもとめているのではない。
楽ではないけれど、ウェートトレーニングはたのしいし、
ながい距離をはしる快感も しっているつもりだ。
わたしにおける自然農法的トレーニングとはなにか、
トレーニングの再開をきっかけにかんがえてみたい。

posted by カルピス at 21:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする