2015年01月10日

ためこんだ古新聞はなぜおもしろくないのか

旅行中の新聞をまとめてよむ。
朝ごはんのときに、1時間くらいかけてゆっくり新聞をよむのがたのしみなので、
22日分の古新聞はさぞよみごたえがあるかとおもったら、
2時間もかからずに目をとおしおえた。
きりぬいた記事はたった3つ。

なにかのひょうしで たまたま目にする古新聞は
あっちにも こっちにもおもしろい記事があるのに、
どっさりためこんだ古新聞になると、
なんでこんなに興味がわかないのだろう。
たくさんあるという安心感がぞんざいな気分をよぶのか。
年末・年始にまたがる古新聞なので、
いちねんをまとめた記事や、
新年のスタートにあわせた記事がおおいせいかもしれない。

わたしの経験からいえば、
いちにちに新聞をよむ時間は、2時間が最大、という
法則みたいなものがあるような気がする。
どれだけながいあいだ新聞をためていても、
まとめよみをすると2時間ほどでおわってしまう。
1ヶ月分であっても、1週間分であっても、
たいていは2時間で用がたりる。

それなら新聞をよむのは週末にかぎれば、
平日の朝、毎日1時間が節約できるわけだけど、
それもまたまずしい生活におもえる。
必要なムダというのがあり、
効率的でないとはいえ、
わたしは毎朝の1時間をけずりたくない。
わたしはヒマをもてあまして新聞をひらくのではなく、
新聞をよみながらごはんをたべるのがすきだから
毎朝そうやってたくさんの時間をかけている。
そのほうがたのしいから。

かんがえてみると、朝ごはんのときに新聞をよむから時間がかかるわけで、
家族そろって朝ごはんをとれば、
行儀がわるいから、わたしだってさすがに新聞をひらかない。
朝よまないのなら、夜ざっと目をとおすくらいしかできず、
1時間もかけてよむのはかんがえられない。
子どもがおおきくなったいま、はなしがはずまない食事時間をさけ、
わたしはひとりで朝ごはんをたべるようになり、新聞をよむようになった。
けしてふるい習慣ではなかったのだ。
問題は、ひとりでの朝ごはんにある。
朝ごはんにひとりで新聞をひらくような状況は、
気らくな生活というよりも、
あまりよくない家族関係をあらわしているようにおもえてきた。
ひとりでたべるわたしがわるいのだけど、
わたしにそうさせる状況がそもそもよくない。
ためこんだ古新聞がおもしろくないのは、
朝ごはんのときによまないからで、
朝ごはんのときに新聞をよまないのは
ほんとうはいいことなのだ。
朝ごはんのときの新聞をたのしくかんじたら、
家族関係について、ふりかえってみたほうがいいかもしれない。

posted by カルピス at 23:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする