サッカーのアジアカップがはじまり、
日本は決勝トーナメントをめざして きょうイラクと対戦する。
代表チームについてサイトをみていたら、
川端暁彦の記事が目にはいった。
といっても、アジアカップについてではなく、
『第9回フットボールカンファレンス』でおこなわれた
イゼケ氏の講演が「圧巻」だったというはなしだ。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2015/columndtl/201501140001-spnavi
このカンファレンスは、日本サッカー協会が主催する指導者の勉強会であり、
イゼケ氏は、前回のWカップで優勝したドイツチームの
アシスタントコーチをつとめたひとだという。
イゼケ氏が指摘した5のポイントは、
1〜3が戦術についてであり、おどろかされる内容というよりは、
あたりまえのことを どれだけしっかりできるかを
ドイツ的に追求したものだ。
4つ目のチームワークについても、よくいわれながら
こうしたポイントにいつもあげられるのは、
それだけよくまとめるのが、ほんとうにむつかしいからだろう。
イゼケ氏は、1枚の写真をみせ、ピッチをはなれたところで、
はばひろい分野のひとが真剣にチームのためにはたらかなければ
優勝できないとつたえている。
おかしかったのは、
「ドイツの専門家ですら顔を知らないような選手が混じっている」にもかかわらず、
「マニアックな人がいてほぼ正解を答えてしまったのだが(さすが日本!)」
というはなし。
「圧巻」なのは、Wカップにむけて どう準備をすすめたか、だ。
「『お金あるのねと言われるかもしれませんが、あるんです』
とイゼケが笑いながら、
通常フェリーでしか移動できない小さな島を借り切り、
『いろいろな人たち をシャットアウト』。
空港までは35分で、飛行機移動は全体で2時間くらい。
決勝まで見据え、『どこに行くのにも便がいい』場所を選んで
そこにコテージを 多数建てて、
一個の『村』を作ってしまったというから筋金入りだ」
「たかだか」サッカーのために「村」をつくってしまうのだ。
ひとつの大会にむけて、これだけの準備をするのが当然であるという共通認識が、ドイツにはやしなわれている。たしかに「圧巻」というよりない。
わたしたちはよく、さいごまであきらめずにたたかいぬく、
不屈の精神を「ゲルマン魂」などというけれど、
この徹底的な準備もまた、きわめてドイツ的である。
ドイツ以外に、これだけの用意周到さで準備をすすめる国があるだろうか。
もし日本でこれだけの準備が必要だと関係者がうったえても、
あまりにもおおげさなとりくみだと、理解がえられそうにない。
彼らにとって、Wカップとはそれだけきわめて重要な大会なのであり、
このとりくみを日本が参考にできるかというと、
あまりにも価値観がちがいすぎるとおもってしまう。
おなじサッカーというスポーツでありながら、
いっぽうは国をあげてたたかっている。
これは、いい・わるいのはなしではなく、文化のちがいというよりない。
サッカーの試合で、得点後のよろこび方をみていると、
なにかとくべつな物質が分泌されたとしかおもえない
爆発的なエネルギーに圧倒される。
あの興奮のまえでは、どんなきらいなひととでも だきあうことができる。
そんな、よろこびの頂点をなんども体験すると、
麻薬のように その興奮がなくては生きられなくなるのだろうか。
さめた目でみると、まるで病気みたいだ。
イゼケ氏がはなすドイツの準備をきくと、
この方向からドイツにかつのはむつかしいことがわかる。
日本が参考にするのは その徹底さではなく
べつの角度からサッカーを理解し、日本のよさを発揮するよりない。
「日本的なサッカー」とは、戦術だけについてのものではなく、
日本ならではのつよみをいかした総合的な環境づくりである。
いくらかの経験をつんできた日本のサッカーは、
いま「日本的なサッカー」をきずく道をさぐってるのだろう。