『オリエント急行の殺人』(アガサ=クリスティー・ハヤカワ文庫)
これまでわたしはクリスティーの作品をよんだことがなく、
一般教養的な意味で、それはよくないのでは、とまえから気になっていた。
そう意識するからか、このごろクリスティーの名前がよく目につくようになり
ようやく超有名なこの作品をよみおえて、ほっとしている。
一般教養は、わかいころにたかめてこそ意味があるもので、
もうあまりのこり時間がすくなくなってから、
あわててつけたした「教養」は
あまり威力を発揮してくれないだろう。
この作品のひねり方は、もしわかいころによんでいたら
わたしの人生を もうすこしゆたかにしてくれたかも、とおもわせる。
人生は有限であり、おそすぎるクリスティーデビューによる
うしなわれた一般教養は とりかえしがつかない。
1934年に発表された本なのだから、
とうぜんずいぶんふるめかしいところがある。
それがまた、いまよむと味わいぶかい部分だろう。
なんにちもかけてイスタンブールからフランスへむかう。
ただ移動するだけでなく、豪華客船の列車版みたいな優雅な旅行だ。
貴族や実業家たちが、ととのった設備の寝台車や食堂車で
時間がとまったような旅行をたのしむ。
「小間使い」なんてことばがふつうにでてくるし
(いま「小間使い」という仕事はあるのだろうか)、
車掌に「ベッドの支度をさせる」なんてのも当然おこなわれる。
ベルをならせば車掌はなんでもいうことをきいてくれるのだ。
もちろんたっぷりとチップをわたしたうえだろうけど。
探偵のポアロは、絶対的な存在として登場しない。
ほかの名探偵にはないフツーさがいいのだろうか。
いたらないところもあるさえないおじさんにすぎなかったのが、
だんだんとするどい観察や推理をみせるようになり、
終盤にはいると、こんがらがった状況をきれいにときほぐす。
正直にいって、はじめはなかなか なじめなかった。
この本が、絶対的な評価をえたものであることをしらなかったら、
わたしはたいくつな序盤をやりすごし、さいごまでよみとおせただろうか。
しかし、事件がおき、乗客へのききとりがひととおりおわるころになると
だんだんひきつけられていく。
そして、さいごにくりひろげられる おどろきの結末。
なにかにつけおおさわぎするトホホな女性まで
一枚かんでいたなんて。
ポアロにひかれはしなかったけれど、
クリスティー作品のおもしろさがよくわかった。
『オリエント急行の殺人』をえらんだのは、
三谷幸喜さんが、この作品の設定を日本にうつし、
脚本をかいたことも意識していたからだ。
もちろん映画になっているのはしっており、それはまたみるつもりだけど
日本が舞台というのにも興味がわいてくる。
三谷さんの作品では、「みにくい」公爵夫人を
だれがえんじたのだろう。
ウィキペディアをみると、草笛光子さんだ。
どうやって出演をくどいたのだろう。