著者の安井さんは、障害者を支援する事業所「ぴっころ」を旭川でたちあげ、
制度にとらわれない やわらかなとりくみを 根づかせてこられた方だ。
安井さんは入所施設の相談員として仕事をはじめられている。
1990年代は 福祉サービスがかぎられており、
入所をねがわないひとにも、家族の都合から
施設への入所をすすめるしかなかった。
そんな自分の仕事に安井さんは「悪徳商法のセールスマンみたい」と罪悪感をもち、
施設をでてくらしたいひとたちを支援する事業所として
ぴっころを仲間たちとたちあげる。
当時はまだ自閉症のかたへ適切な支援ができる事業所はあまりなく、
ぴっころは 発達障害に特化したような事業所として しられるようになる。
安井さんは、どうしたら発達障害をもつひとたちが こまらずにくらせるかに
地域づくり・ひとづくりとしてとりくみ、
仲間たちと実践をつみあげてゆく。
わたしはセミナーみたいなところで、
なんどか安井さんのおはなしをきいたことがある。
たいていの講師のはなしは、
わたしなどとはレベルがちがうのをみせつけられて、
感心しながら もうちのめされることがおおいけれど、
安井さんは自分のうまくいかなかった体験を
すこしこまったような笑顔をうかべながら
かくさずにはなされる。
介護を仕事にするものとして、
なれのはての職員になりつつあったわたしは、
安井さんのはなしには共感でき、安心して会に参加できた。
安井さんはただしさをおしつけない。
わたしのようにいたらない職員をも、
いっしょにやっていく仲間として ひきこんでくれる。
「専門業者はとても必要なのですが、
この役回りは少し間違えると、
『正しさをおしつける』ことになりかねない立場でもありました。
『自閉症の正しい理解を』
『自閉症支援を正しくしないと二次障害をつくることになる』と訴える活動は、
正しいことをしていない人へのダメ出し宣言と
表裏一体の危険がありました。(中略)
正しいことを求めるあまりに、誰かを排除するというような生き方で、
私は幸せにはなれないのです」
この、「私は幸せにはなれないのです」、が
わたしはこの本でいちばんすきなところだ。
安井さんのつよさとおもいが、ここにあらわれている。
安井さんは、ぴっころをはじめたときから、
ぴっころがなくなるのをねがっていた。
「NPO法人を立ちあげるメンバーに加わらないかとの話があったとき、
私はちょうどぴっころの終わり方について考えていました。
実は、ぴっころを終えるというのは、
ぴっころを立ちあげたときからの夢でした。
ぴっころがなくても困らない時代になることが、
そもそもの願いだったのです」
介護サービスが必要なひとはだれで、どれだけの量を
そのひとはつかう権利があるかなんて、わかるわけがない。
なにがただしいかという正解はなく、
ひとつひとつの相談に、いっしょうけんめい耳をかたむけるしかない。
安井さんは、ときどきまよいながらも誠実に仕事をつづけ、
とうとうぴっころが必要ないところまで地域づくりをすすめている。
そしていまは、あたらしくつくったNPOで「共生サロン」をひらき
「ともに暮らすこと」をめざしているそうだ。
達人の域にたっした安井さんは、
「こまった」をなくそうなんて もうかんがえていない。
「『ともに暮らすためのレッスン』とは、
『ともに困る作業』ともいえます。
今では私に常にこのようなことを考えさせてくれる、
悩みの種をもってきてくれる多くの困っている人たちに
とても感謝しています。
困りごとを解決してあげることはなかなかできないのですが、
ともに困ることならいつでもできます。
困る仲間がいることで、やがて困りごとが解決できたら、
そんなすてきなことはありません」
この本は、こまかなノウハウがかいてあるわけではないのに、
すぐれたマニュアルとなっている。
この本にかかれているかんがえ方をはずさなければ、
事業所として、支援員として、へんなことにはならないだろう。
ふたたびなれのはての職員になりつつあるわたしなのに、
安井さんのすてきなとりくみに刺激され、
ひさしぶりに血がさわいだ。