『木暮荘物語』(三浦しをん・祥伝社文庫)
ふるい木造アパート「木暮荘物語」をめぐる連作短編集。
この本のよさは、小暮荘をとりまくおだやかな風景と、
それがもたらす目先30センチくらいの世界観だ。
そこそこひろい庭があり、雑種犬のジョンがいごこちよさそうにすんでいる。
小暮荘はふるいたてものなので、夏はあつく、冬は当然さむい。
せまいシャワーしかなく、となりの部屋から音がつつぬけで、
とても彼女をつれてこれるようなつくりではない。
でも、なぜだかこんなアパートにすんでみたくなる。
無名でビンボーなわかものをえがくとき、
その舞台のおおくは必然的にふるい木造アパートになってくる。
『男おいどん』(松本零士)・『ワセダ三畳青春記』(高野秀行)
・『めぞん一刻』(高橋留美子)・『哀愁の街に霧が降るのだ』(椎名誠)など、
こうしたふるいアパートものがたりは、ひとつのジャンルになっており、
そしてわたしはこの世界によわい。
わたしがまだわかかったころ、
世界は自分と、ほんのちょっとのまわりだけでなりたっていた。
小暮荘は、そんな時代をおもいださせてくれる。
世界情勢や日本経済のさきゆきなどしったことではなく、
たいした心配ごともないけど、
それなりにあわただしく毎日がすぎてゆく。
『木暮荘物語』は、大局からみるとたいしたことない、
でもくらしているものからすれば切実な生活がちゃんとある。
生きるというのは、こんなささいなことのつみかさねなのが、
歳をくってくるとわかる。
連作短編であり、中心となるのは小暮荘にすむひとたちだけど、
なかの1編は、小暮荘のまえを たまたまとおりかかる女性・美禰(みね)のはなしだ。
小暮荘の庭にかわれているジョンは、
げんきにくらしながらも、これまでいちどもシャンプーされたことがない。
美禰はトリマーで、うすぎたないジョンをあらいたくてたまらなかった。
そのねがいをかなえたのが、前田という、とてもカタギにはみえない男だ。
前田は自分も犬をかっていることから彼女としたしくなる。
とおりかかるひとまでも作品にとりこんでしまう 三浦さんのうまさというか、
そんなことをしたら、小暮荘に関係なく、
だれでも作品に登場させられる調子のよさというか。
ジョンをシャンプーをしたつぎの日から
前田は美禰のまえにあらわれなくなった。
子分らしい男に前田のことをたずねると、
「出張中です」
「いつごろお戻りですか?」
「三年ほどです。
そのあいだは、私がミネさんのお世話を仰せつかっております」
「ミネさん」とは、前田がかっている犬の名前だ。
犬だけど、兄貴分がかっている犬をよぶときは「ミネさん」。
なかせるはなしだ。
ほかの6編も、それぞれふかいおくゆきをもっている。