テレビドラマの『デート』がおもしろそうだ。自分自身、意識しているわけでも決めているわけでもないのに、なぜか曜日によって下着、シャツ、ハンカチ、靴から朝、昼、晩の食べるもの、飲むものまで決まってしまっている。パターンを変えなきゃと思うのだが、合理的に組み合わせて、昨日は日本酒だから今日は焼酎と変えていくうちに、パターン化してしまったようだ。走るコースも距離も、その日の気分もすべて曜日によって決まっている。問題だ。
http://sam-seki.at.webry.info/201501/article_19.html
無意識のうちに行動がパターン化するのではなく、
「合理的に組み合わせ」た結果がパターン化、というのがおもしろい。
しかし、かんがえてみれば、
すべてをかんがえたうえでパターン化するのは 当然なのかもしれない。
トイレにくとき、便器がいくつもあるのに、
たいていのひとは、いつもおなじところで用をたすらしい。
あたらしいことよりも、かわらない安定を無意識のうちにもとめるみたいだ。
しかし、記事でいう「マンネリズム」は、
「合理的に組み合わせ」た結果そうなったわけで、無意識ではない。
ゲンをかつぐ、ともまたちがうような気がする。
運にたよるのではなく、自分にとって最良な方法をつみかさねたら、
パターン化したというはなしだ。
わたしは、おなじ便器をつかったり、おなじ道をとおる傾向はあるけれど、
曜日によってすべてきめたりはしない。
そんなめんどくさいこと、自分にはできないとおもっていた。
ダスティン=ホフマンが自閉症の男性をえんじた『レインマン』では、
曜日によってたべる料理が完全に固定されていた。
自閉症のひとも、無意識のうちに行動を「合理的に組み合わせ」た結果、
パターン化させているのだろうか。
たまたまはじめてとった行動がパターンになったのではなく、
そこにちゃんと理由があり、
それがだんだんと複雑にからまっていくとすれば納得できる。
それだったら、自閉症でないひとのパターン化とおなじだ。
無意識とおもっている習慣も、
スタートしたときは、合理的に最善をもとめており、
そのつみかさねが生活習慣となっているのがおもしろい。