きのうの天気予報は「はれのち雨」だった。
午後3時から雨になるという。
くもりから雨へ、ではなく、はれからいきなり雨だ。
なかなかこうきっぱりといいきるのはむつかしいのに、
あえてこの予報でとおしたのは
よほど自信があったのだろう。
こういう予報はだいたいあたる、とおもっていたら、
みごとにはずれた。
じっさいは、「はれのちくもり」で、
雨がふりだしたのは0時をすぎていた。
予測したよりも、あまぐもがゆっくり発達したのだろうか。
予報は はずれたけれど、わるい気はしなかった。
「はれのちくもり、ときどき雨」などと無難な線をついて、
あたらずといえども とおからずな結果よりも、
「はれのち雨」をつよ気に主張した根性やよし。
結果がたとえはずれたとしても、
その勇気をたたえたくなる。
10年以上まえのこと、全国的にどの地域もはれが予測された日があり、
それにもかかわらず、島根県だけ「はれのち雨」と大胆に予報しているのが、
新聞の気象欄にのったことがある。
このときは、ほんとうにそのとおりの天気となり、
気象庁島根県支部のスタッフをたたえたくなった
(おいわいのビールかけをやってたりして)。
よほどわかりやすい気圧配置だったのか、
それともだれか予報名人がいたのか。
ほかの県がのきなみ「はれ」を予想しながら
まわりにまどわされず、
島根だけ雨をいいはれたのはすばらしい。
世界じゅうにしられているジョークとして、
日本人を船から海にとびこむよう説得するには
「みんなとびこみましたよ」が効果的、というのをよんだことがある
(国によって「紳士はこういうときとびこむものです」「規則では・・・」などいろいろ)。
それくらいまわりをみやすい日本人、
そのなかでもとびきりうしろむきという島根県で
自分たちだけちがう予報をとおしたのは画期的なできごとだった。
きのうは 夕方から雨を覚悟していたのに、
くもり空のまま夜までもってくれたので、
自転車で体育館にいき、夜の水泳をたのしめた。
かえりもまだ雨はきていない。
つめたい雨のなか、レインコートでトボトボかえるのとはえらいちがいだ。
予報がはずれても どってことないし、
雨を覚悟してふらないのは むしろ歓迎できる誤報とうけとれる。
ビミョーな気圧配置のときは、ためらわずにつよ気にせめたらいい。
今回の「はれのち雨」は残念ながらはずれたけれど、
これにめげることなく大胆に、おもったとおりを予報してもらいたい
(してるだろうけど)。