2015年02月10日

『ハンニバル』のドラマシリーズ マッツ=ミケルセンのレクター博士がすごく不気味

『ハンニバル』のドラマシリーズ1が、週末にスカパーで無料放送された。
全部で13話あり、録画をふくめて そのいくつかをみる。
映画版でレクター博士をえんじたアンソニー=ホプキンスほど、
はまり役はないだろうとおもっていたけれど、
ドラマ版のマッツ=ミケルセンもそうとう不気味だ。
じっとみつめられただけで、わたしは背中がゾクゾクしそうだ。

レクター博士は、直接手をふれなくても、
ことばのつかい方だけで相手を自由にあやつれる。
ひとは、あんがい自分のことをわかっていないもので、
レクター博士がたくみに誘導すると、
だんだん自分がやったことに確信がもてなくなってくる。
レクター博士は、犯罪者や自分の患者の意識につよい影響をあたえていく。

原作では、クラリスをさんざんいたぶったいやな男を
レクター博士がつかまえて食事に招待する。
その男を局部麻酔にかけ、頭蓋骨をひらいて 脳をむきだしにしたまま
レクター博士・クラリス・その男と、3人がテーブルにつき、
エレガントに料理しながらの食事がはじまる。
こまかくそのさきをかこうとおもったけど、
かなりえげつないのでやめたほうがよさそうだ。
映画をみたときは、残酷さにおどろくよりも、
クラリスをくるしめた男にしかえしができ、
わたしは溜飲をさげたように記憶している。
ありえない場面をレクター博士はスマートにみせる。
残虐さに洗練されたうつくしさをもちこんだのは、
レクター博士をつくりだしたトマス=ハリスの功績ではないか。
そこにきわめてたかいリアリティをかんじさせた
アンソニー=ホプキンスの演技も、もちろんすばらしい。

ドラマ版は、原作とはだいぶちがうようだけど、
でてくるひとたちの心理がどうゆれるかを
ていねいにおいかけている。
自分がはなつことばのひとことひとことが、
相手にどんな作用をおよぼすのかを
レクター博士は計算しつくしており、どこまでも気味がわるい。

レクター博士をはじめ、猟奇的な事件をひきおこす犯人たちほど
日本人の自己はつよくないので、
日本はこうした事件と無縁だとおもっていたけど、
このごろはありえないような事件がいくつもおき、
しんじがたい動機がかたられている。
常識ではかんがえられない世界であり、
なぜこういうひとたちがうみだされるのかわからない。
どんなふうにそだてられたかが
そのひとの人格に影響するとおもっていたのに、
それほど単純なはなしではないようだ。
『ハンニバル』をみていると、そうしたひとたちがすくなからずいて、
ありえない世界が存在するのを意識させられる。

posted by カルピス at 23:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする