2015年02月13日

「クールジャパン」日本人と動物のつきあい方はクールか

先日の「クールジャパン」で 日本の犬事情をとりあげていた。
犬に服をきせたり、犬が人間といっしょに食事ができるカフェがあったり、
日本では「ふつう」でも、外国人ゲストにすれば かわった風習にみえるようだ。
すくなくとも、犬に服をきせるのは日本だけだった。
わたしは犬をかっていないけれど、
もし犬がいても 服をきせたりはしないだろう。
とはいえ、服をきせるひとがいるのは理解できる。

いつもだと、日本の「クール」をささえる たかい技術や精神性について、
素直におどろくゲストがおおいのに、
今回はつよい拒否反応をしめすひとがすくなくなかった。
犬はあくまでも動物であり、家族ではない、というのが
外国人ゲストの一致した意見だ。
ペットではあるけれど、家族ではない
(アメリカ人ゲストだけは、犬といっしょにねたりする、といっていた)。
主人のいうことをきくのが犬だ、というみかただ。
完全にそこには一線がひかれている。
文字どおり、人間があるじであり、犬はそれにつかえる家来でしかない。
家族とおなじ存在としてあつかう 日本的なしめった感情はそこになく、
あくまでもかわいた精神で、主と従がはっきりわけられている。

犬がおしっこをしたあとに ペットボトルにいれた水をかけて よごれをおとすとか、
フン用に特別な袋をもってあるくとかが紹介されると、
ゲストたちは「いいねー」とはいいながらも
自分はそこまでしないという。
動物とのつきあい方は、世界にふたとおりしかない。
ひとつが日本で、もうひとつはそれ以外の国々。日本だけが特殊なのだ。

犬に服をきせる日本的なかい方に批判的なゲストたちも、
秋田犬が紹介されると、
そのつよい忠誠心が魅力的にうつるようだ。
ある外国人は、秋田犬の魅力を「彼らはサムライ」と表現していた。
外国人にとって、主人が絶対であるという日本犬の忠誠心は特別であり、
ほかの国の犬たちは、こんなふうに人間につかえたりしないそうだ。
主人をまちつづけた忠犬ハチ公は、日本だけで成立する美談であり、
きわめて日本的な精神のもちぬしだったのだ。

日本犬が特別なのはわかった。
日本のネコたちはどうだろう。
彼らはとくに日本的な精神をまとうことなく、
ネコらしく生きているようにみえる。
日本でそだった犬たちは、きわめて日本的な性質をおびてくるのに、
ネコはそうしたしばりから自由だ。

そうした、世界のネコたちとおなじように
けだかく生きている日本のネコにたいし、
そんなことおかまいなしで、日本人はぐちゃぐちゃにかわいがる。
ちなみに、ネコかわいがりとは、
ネコをかわいがるように溺愛することであり、
ネコにたいしてはつかわないようだ。
「ネコかわいがり」という表現が
ほかのことばにあるかどうかしらないけれど、
外国人ゲストの反応をみていると、
動物をそこまで溺愛するのは
きわめて日本的な愛情表現におもえてくる。
犬やネコをまえにメロメロになってしまう日本人は、
世界的にみて、かなり特殊な存在だ。
わたしもまた犬やネコを日本的にかわがるタイプで、
なぜネコをこんなふうにネコかわいがりしたくなるのか、
自分の深層心理をしりたいとおもう。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする