『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には
つくるくんがプールでおよぐ場面がなんどもでてくる。
230ページでは、とくにペースについてふれてある。
「彼のクロールのペースは決まっていて、
千五百メートルを三十二分から三十三分かけて泳ぐ」
1500メートルをクロールで 32〜33分のペースというのは、
まさにわたしの練習メニューであり、わたしのスピードだ。
つくるくんとおなじペースなのは、
うれしくもあり、なんだかふにおちないところもある。
中学から大学までずっと水泳部に所属し、
そのあとも定期的におよぎつづけていたわたしがいうのもなんだけど、
この1500mを32〜33分のペースは、
残念ながらそうたいしたスピードではない。
つくるくんのように、大学のころからおよぎつづけている36歳の男性なら、
そして 本に描写してあるような
「無駄のない美しい泳ぎだった。(中略)
しぶきも立てないし、無駄な音も立てない。
肘が美しくすらりと宙に持ち上がり、親指から静かに入水する」
ちからづよく、ムダのないフォームなら、
1500メートルを どうしても25分ほどでおよいでしまうだろう
(このフォームでおよいでいるのはつくるくんではないが、
それだけのスイマーについておよいでいたのだから、
つくるくんも にたようなタイムでまわっていた)。
わたしごときノロマなスイマーと、おなじレベルのスピードのはずがない。
村上さんはなぜ32〜33分というおそいペースを設定したのだろう。
ランニングでは、フォームとスピードが
どれだけ関係しているのかしらないけれど、
水泳において きれいなフォームは、あるレベルのスピードを約束してくれる。
へたなおよぎでは、いいタイムはまずでないし、
32分というスピードなら、それなりのおよぎでしかないはずだ。
1500メートルを一定のリズムで うつくしくおよぎつづける泳力があれば、
結果として32〜33分よりもはるかにはやいペースになる。
うつくしくおよいでの32分は、ありえないとまではいわないけれど、
おそすぎるタイム設定におもえる。
つくるくんのようにプールで1500メートルをおよぐのは、
長距離がすきなひとに特徴的なトレーニングだ。
きっと村上さんもそうやっておよいでいるのだろう。
一定のペースでよわい負荷をくりかえすうちに、いいかんじになってくる。
1500メートルというと、けっこうな距離に とうけとめられやすいけど、
ランニングになおしたら6キロほどであり、
みじかいジョギングに相当する。
ジョギングよりも水泳のほうが、
ここちよさを味わいやすいような気がする。
マスターズなど、水泳の大会に参加するひとは、
こうしたおよぎ方ではなく、
もっとスピードをあげてのインターバルトレーニングにとりくむ。
プールでの練習をみていると、
わかいひとや水泳経験者はみじかい距離をこのみ、
水泳を専門にしてるわけではないけど、
とにかくおよぐのがすきなひとは
たいていゆっくり・ながくおよいでいる。
かといって、つくるくんみたいに いつも1500メートルというひとは、
わたしのまわりではみかけない。
村上さんの短編小説『眠り』では、
主人公の女性がスポーツ・クラブのプールでおよいでいる。
「いつものように三十分泳いだ」
とあるだけで、ペースについてはふれられていないけど、
このひともまた30分をひとつのくぎりとしている。
ジョギングで30分はしっても、なんだかものたりないのに、
水泳だとちょうどいい時間となる。
多崎つくるくんは それなりのフォームでおよぎながら、
なぜ32分とゆっくりなのか わからない。
本をよむかぎり、村上さんは32分を
はやくはないけれど、わるくないタイムと とらえているようにみえる。
キレのあるおよぎをしているのだから、
つくるくんは、もっとはやくおよいでいるのではないか。
あるいは目にみえないところで 残念なフォームがじゃまをしているのか。