2015年02月23日

『これもまた別の話』『それはまた別の話』(三谷幸喜/和田誠) なぜその作品がおもしろいかの論理的うらづけ

『これもまた別の話』『それはまた別の話』
(三谷幸喜/和田誠・キネマ旬報社)

せんじつのブックオフめぐりの収穫として、
この2冊を手にいれた。
おふたりが「キネマ旬報」で かたってこられた連載がまとめられている。
和田さんは、戦後の映画史全般にあかるい関係者として、
三谷さんは監督・脚本家としての視点から、
1本の作品についてふかくはなしこんでいく。
ふたりの息がよくあって、たのしいよみものにまとまっている。

『ジョーズ』について。

和田 「アメリカで今サスペンス・ミステリーの『あご』っていう映画が
    製作されてるって記事を読んだ記憶があるんですよ。
    どんな映画だろうとずっと思ってた(笑)」
三谷 「『あご』じゃ何の話か分からない」

『ジョーズ』が『あご』っていうのがすごくおかしいけど、
それでも頭のすみにおいといた和田さんはさすがだ。
タイトルが『あご』のままでは
おそらくあまりヒットしなかっただろうから、
『ジョーズ』にあらためたのはよい判断だった。

『ジョーズ』といえば、まだむすこが小学生のころ、
家族旅行としてUSJへあそびにいった。
『ジョーズ』のアトラクションでは、
みえみえの「あぶない」しかけが お客さんをおそってくる。
わたしたちのすぐうしろにいた男性グループは、
その設定を子どもだましとばかにするのではなく、
じょうずにこわがって、まわりの気分までもりあげてくれた。
おかげでわたしたちもたのしく「恐怖」をあじわうことができ、
たのしいおもいでになった。
あのお兄さんたちがいなかったら、
わたしの『ジョーズ』体験は はるかにまずしいものとなり、
ハリウッドのお気楽作品と、的はずれなきめつけをして
『ジョーズ』としたしむ機会をうしなっただろう
(「こんなのただの『あご』じゃないか」くらい いったかもしれない)。

2冊をざっとよんだなかでは、
『ダイ・ハード』についてのはなしがいちばんおもしろい。
ブルース=ウィルス演じる警部が高所恐怖症という設定で、
それを克服するおまじないとして、くつしたをぬいではだしになればいいと、
となりの席のおじさんにおそわる。
その伏線が、あとのアクションシーンでいかされてくるわけで、
また、シャツをきてなかったから 銃を背中にはりつけるアイデアが効果的だった。
たまたまくつしたをぬいでいたり、ランニングシャツだったわけではなく、
よくねられたシナリオが、映画をおもしろくしている一例だ。
こういう指摘は和田さん・三谷さんならではのもので、
なぜおもしろいかの種あかしに納得できる。

警部がビルの屋上からとびおりるシーンについて、

三谷 「あれ、普通はできないですよね」
和田 「高所恐怖症だしね」
三谷 「結局おまじないは効いたのかも知れないですね(笑)」

がおかしい。
いいシナリオは、さいごまで作品に血をかよわせる。

1本の作品について、これだけほりさげられると、
みたことがない作品はみたくなるし、
もうみたことがあっても、もういちどみたくなる。
ひとつの作品をこれだけふかくよみこめるのは、
それまでにみてきた 膨大な数の映画が背景にあるからで、
さらっとよんでいるだけでも おふたりがどれほど映画ずきかなのかがわかる。

とくに三谷さんの発言をきいていると、
子どものときに、とにかくおもしろくてたくさんみてきたことが
あとになって財産としていきている。
なにかがすきでたまらないというのは、
そんな対象にであえただけで
ありがたいとおもったほうがいい。
その体験は、あとになっていろんなものをつれてきてくれる。

よむべき本もおおいけど、みておいたほうがいい映画もまたたくさんある。
この本でとりあげている作品は、一般教養として
どれもおさえておいたほうがよさそうだ。
でないと、ほかの作品でパロディとして登場しても、
そのおもしろさがわからずに さみしいおもいをする。
わたしのいまのペースでは、ぜんぜん数がこなせないので、
毎週1本はDVDをかりてきて、これまでの穴うめをしなければ。
わかいころにすませておくべき体験を、
不完全なままさきおくりしてきた。
そのツケのおおさを、このごろ実感することがおおい。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする