『アメリカン・スナイパー』
(クリント=イーストウッド監督・2014年・アメリカ合衆国)
すぐれた作品とはおもうものの、
どうしてもさいごには「なぜアメリカ軍がイラクにいるのか」に
ひっかかってしまう。
アメリカをテロからまもろうと
クリスは軍に志願する。
訓練ちゅう、「敵」をやっつける意識をたたきこまれ、
やがてじっさいに戦地への派遣となる。
はじめはたたかう意欲にあふれ
作戦に全力をかたむけていた兵士たちも、
そのうち自分たちの存在がはたしてただしいのか
自信がなくなってくる。
イラクで、イラクのひとたちにたいし、
アメリカはいったいなにをしているのか、というとまどい。
クリスも、テロ組織を一掃するという図式のもとに
敵にたちむかい、自分としてのベストをつくしながら、
妻との距離がひらいていくのを意識しはじめる。
たとえ派遣期間をおえ、アメリカにかえってきても
こころは家族のもとにもどらない。
安定した精神をたもっているようにみえても、
クリスのこころはつねにイラクの戦場にある。
クリスをみていておどろくのは、
戦場での彼と、アメリカにかえってきたときの彼とのギャップだ。
アメリカでは、ごくふつうの市民にしかみえない。
イラクにつくと、とたんにスイッチがはいり別のひとになる。
そのきりかえは、無意識なものであり、
自分ではバランスがとれているとおもっている。
しかし、妻からは、こころが家族といっしょにないと非難をあび、ふかくかなしませる。
4度目の派遣からもどり、帰還兵へのボランティアにとりくむことで、
クリスはようやく自分の居場所をみつけつつあった。
ふつうの生活がもどってきたと、
家族みんながよろこんでいたときに悲劇がおこる。
イラクでの戦場と、アメリカへもどった場面をくりかえす構成は、
『ハート・ロッカー』とおなじだ。
危険物処理班は、狙撃兵ほど目だつ役わりではない。
「伝説」とよばれ、味方からたたえられるクリスのほうが、
『ハート・ロッカー』のジェームスよりもわかりやすい。
クリスは軍からはなれようと決心するけど、
ジェームスは戦場に依存して、どうしてもイラクにもどってきてしまう。
みる側にとって、
『アメリカン・スナイパー』のほうが理解しやすい作品だ。
おおくのアメリカ兵が作戦でなくなり、ケガをおい、
こころのキズをかかえてイラクからもどってくる。
アメリカにとって悲劇だろうけど、
そもそものおこりをかんがえると、
アメリカがイラクにのりこんだのがはじまりだ。
アメリカを美化した作品ではないものの、
どうしてもアメリカ軍がイラクにいる矛盾につきあたってしまう。