NHK放送文化研究所の調査によると、
「生卵」「玉子焼き」と、漢字でつかいわけるひとが55%もいて、
わかい世代ほどその傾向がつよいということだ。
生物学的な意味でつかうときは「卵」で、
食材の場合は「玉子」、というつかいわけであり、
わりと一般的におこなわれているようだ。
日本語の奥ぶかさとして、
こういうつかいわけをたのしむぶんにはいいけれど、
どっちがただしいか、なんていいだすとややこしくなる。
はなし言葉ではこのふたつをつかいわけられないし、
「卵」や「玉子」を外国語に訳せば、
そのニュアンスはこぼれおちる。
こぼれても、たいしたことない、とわたしはおもっている。
わかい世代ほど「卵」と「玉子」をつかいわけているのは、
これから複雑な表記をこのむひとがふえるようで、
わたしにとってあまりたのしい状況ではない。
つかうひとの自由にまかせるしかない、とわたしはおもう。
けっきょく漢字があるばかりに
こうした問題が生まれてくるのだ。
漢字のつかい方にきまりがないのだから、
「卵」「玉子」のどっちがただしいかをいいだしても正解はきめられない。
テレビ局や新聞社は、それぞれの会社が自分たちマニュアルをもっているそうで、
たいへんだろうし、ご苦労さまだとおもう。
「たまご」にきめたら それですむはなしだけど、
なかなかそういうわけにはいかないのだろう。
漢字をつかわない表記法をとれば、
どんな場合も「たまご」ですむのだからなにも問題はない。
「卵」あるいは「玉子」をつかいわけたいひとはどうぞご自由に。
そして、つかうのは自由だけど、つかわない自由もみとめてほしい。
ネットをみるうちに、
「クルミノ コーボー」(しばざき・あきのり氏)のサイトにであった。
なかでも「ことばと文字についてのおぼえがき」がおもしろい。
あることばを漢字でかくのかひらがなでかくのか、http://homepage1.nifty.com/akshiba/kotoba_mozi/hyookinotooitu01.html
はたまたカタカナでかくのかアルファベットでかくのか……といった表記は、
みなさんがまさに感じているように、
ひとりひとりの“感覚”にまかされています。
こうした“感覚”は、“りくつ”(論理)であるルールとは、根本的にあいいれません
おそらく、とおい将来であっても、日本語の表記から漢字をなくすことはできないでしょうhttp://homepage1.nifty.com/akshiba/kotoba_mozi/hyookinotooitu02.html
(それでもわたしは、漢字をなくすべきだとかんがえています。
このことは強調しておきましょう)。
だとしたら、“漢字をなくせない”現実のなかで、
日本語の表記を、さらには表記の統一を、具体的にどうしていけばいいの か……
こうした問題意識をもつ方がおられるのは
たいへんこころづよい。
しばざき氏の上品で堂々とした文章に共感する。